少年の頃、「スゴイ!」と眺めた富士山も何度も見るうちに、偉大であるだけに余計、屈折した大人の目で眺める対象になる。
太宰治<富岳百景>から。
<富士> 頂角東西124°南北117°広重85°北斎30°鈍角も鈍角、のろくさと拡がり決して秀抜の、すらりと高い山ではない。裾のひろがっている割に低い。
・・・あらかじめ憧れているからこそ、ワンダフルなのであって、そのような俗な宣伝を、いっさい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に果たして、どれだけ訴え得るか。
十国峠から見た富士だけは、高かった。あれはよかった。はじめ雲のために、いただきが見えず、私はその裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと雲の一点にしるしをつけて、そのうちに雲が切れて、見ると、ちがった。私があらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂が、すっと見えた。
おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やってやがる。と思った。人は完全のたのもしさに接すると、まずだらしなくげらげら笑うものらしい。全身のネジが、帯紐といて笑うといったような感じである。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬にははっきり、よく見える。小さい、真っ白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが高さだ。なんのことはない。クリスマスの飾り菓子である。
御坂峠の富士。
ここから見た富士は、富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらいむきの富士である。
まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲って湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひと目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。
・・・女車掌が、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分のひとりの詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックをしょった若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆって口元を大事にハンケチでおおいかくし、絹物をまとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた感嘆を発して車内は、ひとしきり、ざわめいた。
けれども、私のとなりのご隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士山には一瞥も与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断崖をじっと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、あんな俗な山見たくもないという、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる頼まれもせぬのに、共鳴のそぶりを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を眺めてやった。
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、「おや、月見草」そう言って、細い指でもって路傍の一箇所をゆびさした。さっとバスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらっとひと目見た黄金色の花ひとつ花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う。
太宰治<富岳百景>から。
<富士> 頂角東西124°南北117°広重85°北斎30°鈍角も鈍角、のろくさと拡がり決して秀抜の、すらりと高い山ではない。裾のひろがっている割に低い。
・・・あらかじめ憧れているからこそ、ワンダフルなのであって、そのような俗な宣伝を、いっさい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に果たして、どれだけ訴え得るか。
十国峠から見た富士だけは、高かった。あれはよかった。はじめ雲のために、いただきが見えず、私はその裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと雲の一点にしるしをつけて、そのうちに雲が切れて、見ると、ちがった。私があらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂が、すっと見えた。
おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やってやがる。と思った。人は完全のたのもしさに接すると、まずだらしなくげらげら笑うものらしい。全身のネジが、帯紐といて笑うといったような感じである。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬にははっきり、よく見える。小さい、真っ白い三角が、地平線にちょこんと出ていて、それが高さだ。なんのことはない。クリスマスの飾り菓子である。
御坂峠の富士。
ここから見た富士は、富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらいむきの富士である。
まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲って湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひと目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。
・・・女車掌が、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分のひとりの詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックをしょった若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆって口元を大事にハンケチでおおいかくし、絹物をまとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた感嘆を発して車内は、ひとしきり、ざわめいた。
けれども、私のとなりのご隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士山には一瞥も与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断崖をじっと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、あんな俗な山見たくもないという、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる頼まれもせぬのに、共鳴のそぶりを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を眺めてやった。
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、「おや、月見草」そう言って、細い指でもって路傍の一箇所をゆびさした。さっとバスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらっとひと目見た黄金色の花ひとつ花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う。
小説を幾編も並走させ詩歌とカテゴリーを拝見すると文学系のご出身でしょうか。連載を読むのは物憂いですが、「言葉」なら小コラム風ですから面白そうです。
太宰治の「富士山と月見草」については、きのうの新聞「日曜版」で取り上げていました。富士山が世界遺産に登録される前の登載ですから、話題先行型でした。
富山は、祭の宝庫といわれるほどたくさんあります。中でも五箇山は平家の落人の里といわれ豪快な唄と舞が残っています。これは能登から伝わったともいわれます。
また、東北のねだたに代表される行燈祭も、能登のあんどんが富山を経て伝承されていったとする説もあります。
石川県の祭を調べていくと、とても面白いであろうと思われます。
iinaさんのブログは洒落ていてすてきですね。
芸術系ですか?
ぼくは経済ですが、書くことが好きなんです。
石川県のことは、金沢の友だちが時々フォト便りをくれます。
金沢便りをご覧ください。