昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

言葉(31)女の強情

2016-04-23 06:06:18 | 言葉
 今回のNHKBSテレビ「選択」では、明治初期、外国との不平等条約改正に辣腕を振るった外務大臣、陸奥宗光の妻亮子を取り上げていた。
 新橋の芸妓だった彼女はたいへんな美人だった。
 
 
 単に美人というだけでなく、陸奥の妻になってからは大変な勉強家だった。
 日本文化を学び、琴を弾き、しかも英語を猛勉強した。
 ワシントンに日本公使夫人として赴任した彼女はアメリカの社交界でたいへんな評価を得た
 
 パーティを開き、招かれた数は1200回に及ぶと言われている。
 
 そこで彼女は得意の英語を駆使して美術工芸品の紹介のみならず、小説の翻訳などで日本文化の紹介に努めた。
 彼女は江戸時代に培った文化力の代表的女性だったので、自ずと外国の人々に日本が深い文化をもった国民だということを知らせることになった。
 結果的に旦那の陸奥宗光の仕事「不平等条約の改正」を成し遂げるサポートとなった。

 彼女の「選択」を見ていて、別な形で「女の強情」を貫いた、フラメンコの名手、舞踏家の長嶺ヤス子さんに対する五木寛之氏の感想を思い出した。
 
「長嶺ヤス子さんといえば、国際的に活躍している芸術家である。その長嶺さんが必死でピピちゃんを抱きしめてホテル側ともめている図を想像すると、おかしくてしかたがない。
 死んでも犬を離すまいという、幼子のような一途さがおかしい。
 理は一応ホテル側にあるのだが、なんとなくそんな長嶺さんの強情さが可愛らしく思われてくるのである。
 待つことしばし、ようやく和服姿の長嶺さんが姿をあらわした。
 胸にひしと茶色の小型犬を抱きしめている。
「大変でしたね」
「わたし、ピピちゃんと離れるわけにいなかいんです」
 私は改めて会津若松のひとを打ち眺めて不思議な思いに駆られたものだった。
 もし、ホテル側が大人の見識を示してくれなければ、この人は対談の席に現れずに決然と引き上げたに違いない。
「こんど東京に帰ってくるとき、パキスタン航空の飛行機だったんです」
「ええ」
「いつもの航空会社なら何も言わないんですけれど、向こうを飛び立つ時に、飛行機の中で、ピピちゃんをバスケットに入れろって言うんですよ」
「なるほど」
「わたくしがいやだって申しましたらズラーッとパイロットや航空会社の人が私を取り囲んで犬をバスケットに入れなければ飛行機を飛ばさないと・・・」
「へえ」
「わたし、いやだと申したんです。で離陸が30分遅れました」
「どういう結論に・・・」
「死んでもいやだってがんばりましたら、最後にピピちゃんの片脚の先だけ形式的に入れてくれって」
「なるほど」
「飛び立ちましたら、さっきのパイロットやパーサーが、かわりばんこに隣に来てデイトを申し込むんですの」
 理屈ではない。
 いろいろ問題はあろうが、わたしはこういう女の人に感心する。理屈は別にしてである。
 今度のリサイタルが楽しみだ。
  
   
 彼女の舞踊は、西洋、東洋の別を超えた絶対舞踊を通じて到達しようとする「絶対世界」を目指す。



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