昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(311)昭和を代表する3人の首相(3)

2014-10-24 03:17:59 | なるほどと思う日々
 東條のアメリカ観が戦争の原因であったとすれば、吉田茂はアメリカ、イギリスの考え方に沿っていった方がいい、それと対立する必要は全くないという考えだった。
 昭和10年代にイギリス大使をやり、軍が三国同盟を結ぼうとしたとき大反対した。
 それで日本に戻されて、憲兵隊からマークされる。
 大磯の私邸には中野学校出身の工作員が書生として入り込むほどだった。
 

 駐日大使のグルーの日記を見ると吉田は「軍隊はばかなことを言っているが、天皇とその周辺の人は戦争を望んでいません。正直な日本の姿を見てください」と言っている。
 吉田は徹底的に米英との間で和平の道を模索していた。

 もう一人の昭和を代表する田中角栄のアメリカ観は吉田茂のようにアメリカべったりではない。
 吉田首相以降、歴代の首相は安保条約を含めて、占領政策の下でのアメリカの恩恵やしがらみのもとで論じているが、田中にはそういうものはなくストレートで論じた。
「資源、石油、そんなのは別にアメリカだけじゃなくていいじゃないか。シベリアにだってあるだろう。直接アラブと交渉したっていいじゃないか」
 
 そういうところがアメリカとの距離をもたらし、不信感を買うことになる。

 そしてさらにアメリカを出しぬいて中国と国交を回復する行動に出る。
 
 田中首相は、ある意味我が国のナショナリズムを具現化していったのだ。
 アメリカのワシントン、あるいはニューヨークの特化しているアメリカのスーパーエリートたちにしてみれば、田中角栄的ナショナリズムをなんだこのよろうという目で見るようになった。
 これがロッキード事件へとつながり、田中は失脚することになる。

 田中角栄と中国との関係でちょっと気になるエピソードがある。
 彼が毛沢東と面会した時、一冊の本を貰った。
 田中は「ありがとうございます。勉強させてもらいます」と応えている。
 その本の内容は「三国志の時代に口だけで平和を唱えて武力を何も用意しなかった国が滅びる」話だという。
 

 世界に散らばっている華僑たちは、これを見て「どうだ、日本の首相と比べてわが国の指導者は全然レベルが違う」と喜んだそうだ。
 中国は甘い国ではない。
 そういう残酷さは、政治の小さな日常の所作の中にある。
 田中は日本の知性を測るときのいい材料にされたのかもしれない。

 首相は確かに集票の結果として生まれるが、同時に天がその人に何か与えているのだということを、首相自身が自覚してそれに相応しい政策をやるのが望ましい。
 それともう一つ、やはり他国から侮られないような知性が必要なのかなと思う。
 (以上、交詢社における保坂正康氏の講演より抜粋させていただきました)
 


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