昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

小説「女の回廊」(3)下宿の奥さん

2019-05-16 05:38:30 | 小説「女の回廊」
 ・・・パチンコにでも行くか・・・
 そう決断した時だった。
 背後でドアが開き、下宿の奥さんが出てきた。
 
 ・・・どこかへお出かけだな・・・

 いつもの薄手のセーターに短パンという下宿着ではない。
 
 薄いブルー地に、淡いピンクの花びらをあしらった和服姿で現れた。
 花びらと同系のピンクの帯でそのしなやかな姿態をきりりと締め上げている。

 ・・・下宿のおばさんて感じじゃないよね。本職はどこか都心のクラブのママとしてご出勤なのかな・・・
 夕方になると、時々和装で出かける奥さんのことをみんなで噂していた。 
 そういう点ではちょっと風変わりな下宿の奥さんだった。

 アパートの両サイドは畑で、まだ建って間がない木の香りの匂う、奥に長い総二階建てのシンプルな直方体の建物に、コンクリートの踏み石を二段上がって入る玄関が付録のように付いていた。
 ・・・今日もご出勤なんだ・・・
 奥さんは裾を引いてゆっくり階段を下りると、あたかも・・・お待たせしました・・・というように、ボクに笑顔を向けた。
 ボクはどぎまぎして思わず吸っていたタバコを落とした。
 見よう見まねで吸い出したばかりのタバコだった。

「どちらへいらっしゃるんですか?」
 それを足で踏み消しながら、ボクは下を向いたままかすれる声で訊いた。
「お酉さまへ行くの」
 ・・・いつものご出勤ではないのだ・・・
「おとりさまって?」
「あら、知らないの? 熊手で有名な浅草の鷲(おおとり)神社よ」
「・・・」
「一緒に行きます?」

 こんなかたちで二人だけで会話したのは初めてだ。
 いま、よそ行きの和装姿の奥さんから直接、「しかも、「お食事ができたわよ」とか「お洗濯ものは?」とかのルーティンの会話ではない。
 いきなり一緒に出掛けますか? と誘われたのだ。
 ボクの頭はパニックになった。
 そんなボクが「お供します・・・」と答えた。

 後になってボクは何度もこの場面を反芻して思い起こすが、どうしてこんなに明快な対応ができたのか不思議でならない。
 当然どぎまぎして「いいえ、けっこうです・・・」と遠慮するのがいつものボクなのだ。
 魔法をかけられたとした思えない。

 ボクは無意識ながら人生で初めて<女>を意識した。

 ─続く─
          





最新の画像もっと見る

コメントを投稿