昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(199)三鷹市民大学・哲学コース(11)

2017-06-24 03:55:39 | 三鷹通信
 昨日は三鷹市民大学・哲学コースの第7日目。
 合田正人先生の第4回目の講義だった。
 議題は「自然と社会、民族と国家の境面を探る」
 スピノザによれば、
「自然は民族(natio)を創らずただ個々の人間を創るのみであり、個々の人間が言語、法律ならびに風習の相違によってはじめて民族に区別されるのである。(神学政治論より)

 ・・・20世紀を振り返るとき、動乱の世紀の焦点として<民族>nationという問題が浮かび上がってくる・・・
 「将来の歴史家が描きだす20世紀は、テクノロジーの刮目すべき発展だろうか、それとも戦争、革命、虐殺の記録だろうか。・・・だが一つだけ間違いのないのは、<民族の世紀>であろうということである」(関広野「民族とは何か」)

 「20世紀の歴史がわれわれにはっきり示したのは<ナショナリズム>はなくならないということである」
「国家はもともと市場の管理者として登場し、市場から税金を徴収するかわりに、市場にルールを制定、維持、違反の摘発、排除という公共サービスを提供する。・・・また国家は一定の領域の中で暴力を独占している<最強の暴力集団>であるから、その暴力を使って自分自身の仕事を見出す。その仕事が<戦争>である。戦争は暴力を使って自らの支配地域を拡大する事業である。」

 ・・・ここに<国境>なるものが発生する・・・
「自分の土地だ!と言い始めた時に不幸が始まった」
 
 ここで注目すべきは京都大学で西田幾多郎と並び称された田辺元の「種の論理」である。 「国家は人類的国家であることをめざし、民族国家であることを自己否定していく存在である」とした。
 つまり個としての自分を犠牲にしても、世界市民になるような人間、種の対立を超えて人間を導くことのできる者を育てて、いうなれば菩薩的な国家を求めるというのが田辺の考え方だ。
 ・・・う~ん。今回の講義だけでは咀嚼しきれない。いただいた沢山の資料をさらに読み砕かなければ・・・

 *講義が終わった後、我々運営委員4人(一人欠席)が合田先生を囲んで、前回自主学習でみんなから出された感想、要望事項について話し合った。
 「難しい表現や語句が多い中、講義についていくのが精一杯、という参加者が多い。初歩的な哲学指南書みたいのがあれば、紹介していただきたい。また、自主学習の進め方についてもアドバイスを」など。