C623牽引:快速「C62ニセコ」(その2-2 スハフ14増結)
快速「C62ニセコ」で(その2)の運転期間初日、所定でスハ45系客車5連であるところ、スハフ14客車1両を増結して運転されたことがありました。
できるだけ現役時代に近い姿で保存運転するということで運営が行われていた鉄文協の精神に外れてしまった措置となってしまい、現役当時に存在しなかった14系客車を増結して運転しなければならなくなったことに対し、理解を求める文書が発せられたと記憶しています。
この形態での運転に対し、仲間からもブーイングが聞かれました。
しかし、変化のない保存運転の中では、ある意味稀少な展開であることに対して「それも有り」と理解していたファンもいたかもしれません。そのうちの1人が私ですけど。
平成元年6月30日 塩谷~小樽間にて
同行した友人たちが14系客車の目立たないアングルを選んだため、写真のようにちょっと中途半端なアングルになってしまいました。
確か、団体客の乗車により座席数が足らず、増結措置が取られたと記憶しています。
JRになってほぼ旧型客車は淘汰されてしまいましたので、旧型客車を調達することはできなかったと思います。サービス電源の関係で、スハフ14形1両が増結されました。
それでも補機を連結せずに連続勾配を走ることができたのは、さすがに最強機C62だな、と思います。
当時はこの形態を非難する声も聞かれましたが、このような形態の運転はほとんど行われることが無かった筈で、貴重な機会であったと思います。
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快速「C62ニセコ」で(その2)の運転期間初日、所定でスハ45系客車5連であるところ、スハフ14客車1両を増結して運転されたことがありました。
できるだけ現役時代に近い姿で保存運転するということで運営が行われていた鉄文協の精神に外れてしまった措置となってしまい、現役当時に存在しなかった14系客車を増結して運転しなければならなくなったことに対し、理解を求める文書が発せられたと記憶しています。
この形態での運転に対し、仲間からもブーイングが聞かれました。
しかし、変化のない保存運転の中では、ある意味稀少な展開であることに対して「それも有り」と理解していたファンもいたかもしれません。そのうちの1人が私ですけど。
平成元年6月30日 塩谷~小樽間にて
同行した友人たちが14系客車の目立たないアングルを選んだため、写真のようにちょっと中途半端なアングルになってしまいました。
確か、団体客の乗車により座席数が足らず、増結措置が取られたと記憶しています。
JRになってほぼ旧型客車は淘汰されてしまいましたので、旧型客車を調達することはできなかったと思います。サービス電源の関係で、スハフ14形1両が増結されました。
それでも補機を連結せずに連続勾配を走ることができたのは、さすがに最強機C62だな、と思います。
当時はこの形態を非難する声も聞かれましたが、このような形態の運転はほとんど行われることが無かった筈で、貴重な機会であったと思います。
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