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485系:特急「北越」

2015-03-15 23:36:00 | 国鉄・JR特急列車
485系特急「北越」


昭和44年10月、大阪~新潟を結ぶ臨時列車として誕生した特急「北越」。
翌昭和45年3月に定期列車に格上げ、昭和48年3月には2往復の増発が行われ、大阪~新潟間2往復及び金沢~新潟間1往復の3往復体制となります。
昭和53年10月ダイヤ改正において、大阪~新潟間を結ぶ特急は「雷鳥」として存続し、「北越」は金沢~新潟間1往復のみとなります。ここで「北越」は大阪口から撤退することになります。

昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業時において、関東~北陸圏への需要増から長岡を接続点とするアクセス特急としての役割も担うことになり、新潟~北陸の都市間アクセスの役割と合わせた全国でも珍しい存在の特急列車となります。

以来、32年半もの長きにわたってその性格も車両も変わることなく運転され続けてきた特急「北越」も、北陸新幹線の開業によってその任を下りることになりました。



平成27年1月23日 「北越3号」 黒部~生地間にて



平成27年1月23日 「北越4号」 水橋駅にて



平成27年1月23日 「北越3号」 福岡~石動間にて



平成27年1月24日 「北越4号」 呉羽駅にて



平成27年1月24日 「北越6号」 小杉~越中大門間にて



平成27年1月25日 「北越2号」 水橋~東富山間にて



平成27年1月25日 「北越3号」 東富山~水橋間にて

最後に北陸特急を撮影するために訪れた際、出来る限り撮影をしてきましたが、3日間全てが3000番代で運用されており、国鉄色はおろか字幕のT編成すら撮ることができませんでした。
帰って来てからT編成がすべて廃車になっていたことを知り、非常にガッカリしました。



平成23年5月4日 R21編成 「北越1号」 米山~笠島間にて



平成23年5月4日 T14編成 「北越2号」 潟町~土底浜間にて

急行「きたぐに」が廃止になるために撮影に行った際のもので、なんとか1列車のみですがT編成を撮影していました。



平成20年4月23日 「北越1号」 金沢駅にて

485系特急「雷鳥」を撮影に行った際、金沢駅で撮影したもの。
この回は、金沢以西での撮影であったため、「北越」にあったのは金沢駅に到着したこの時のみ。隣に停車中の国鉄色は、上野からやってきた急行「能登」。



昭和52年 上野駅にて

これはウソ写真になりますが、上野駅での幕回しの光景。
489系は関西特急への運用を考慮して装備しているので、「つばめ」「雷鳥」「しおじ」「みどり」といった関東では見られない列車名を拝むことが出来ました。



昭和49年8月 大阪駅にて

私と「北越」の出会いはここからでした。当時は「きたこし」と読んでいたと思います。
2回目に関西を訪れたのが昭和55年になりますので、既に「北越」は大阪口から撤退していました。

その後、昭和の時代にも富山港線など数回訪れていますが、1日1往復と本数が少なかったためか、1度も出会っていなかったようです。

この記事を書く前日に思ったのですが・・・
昭和44年に誕生して以来、最後まで一貫して485系が使用されており、途中に489系が入っていたかもしれませんが、1系列を46年にもわたって使用してきた列車は無い筈で、直流電車も含めてこの記録を破ることが出来る列車は現れないような気がします。
現時点ですと185系「踊り子」や381系「くろしお」「やくも」が追随していますが、誕生が8~12年ほど差がありますので、世代交代の時期を考えるとこの記録に及ぶのは難しいように思います。


「北越」という地域名を、運転開始当初から特急列車に使用した例も珍しい存在でした。
全国の特急列車の中でも地味な存在でしたが、その役割は非常に大きいものであったと評価できると思います。もし、北陸新幹線が全通して大阪~新潟間を結ぶことがあれば、迷わず「北越」の名を復活させてほしいものです。

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