キハ58系:急行「きのくに」
「きのくに」は、関西(天王寺)から阪和線を経由して紀勢本線の新宮・紀伊勝浦方面を結んでいた急行列車です。
同区間には特急「くろしお」が設定されていましたが、昭和40年代は観光地として栄えていたこともあり、急行列車も多数が設定されていました。ちなみに、名古屋口からは急行「紀州」が設定されていました。
非電化の歴史が長かった紀勢本線も、昭和53年9月に一部が電化され、これに合わせて特急「くろしお」は電車化されています。しかし、急行列車については当時余剰車両が無かったためでしょうか、電化区間を走る「きのくに」は気動車のままでした。
昭和59年7月6日 見老津~周参見間にて
昭和59年7月6日 南部~岩代間にて
昭和59年7月6日 白浜~朝来間にて
電化されてからかなりの年月が経過していますが、最後に特急化されるまで気動車であったと記憶しています。
それでも、東北急行とは異なり、全車が冷房化されていたことは特筆に値すると思います。そのために、キハ65が多用されていたことも納得できます。
「きのくに」には臨時の客車急行なども設定され、かつては南海電鉄への乗り入れが行われるほどの隆盛の時代がありましたが、ご他聞に漏れず、特急化され消滅しています。
「きのくに」は、関西(天王寺)から阪和線を経由して紀勢本線の新宮・紀伊勝浦方面を結んでいた急行列車です。
同区間には特急「くろしお」が設定されていましたが、昭和40年代は観光地として栄えていたこともあり、急行列車も多数が設定されていました。ちなみに、名古屋口からは急行「紀州」が設定されていました。
非電化の歴史が長かった紀勢本線も、昭和53年9月に一部が電化され、これに合わせて特急「くろしお」は電車化されています。しかし、急行列車については当時余剰車両が無かったためでしょうか、電化区間を走る「きのくに」は気動車のままでした。
昭和59年7月6日 見老津~周参見間にて
昭和59年7月6日 南部~岩代間にて
昭和59年7月6日 白浜~朝来間にて
電化されてからかなりの年月が経過していますが、最後に特急化されるまで気動車であったと記憶しています。
それでも、東北急行とは異なり、全車が冷房化されていたことは特筆に値すると思います。そのために、キハ65が多用されていたことも納得できます。
「きのくに」には臨時の客車急行なども設定され、かつては南海電鉄への乗り入れが行われるほどの隆盛の時代がありましたが、ご他聞に漏れず、特急化され消滅しています。