国鉄 山口線:キハ30+キハ47+キユニ28
山口線は、山陽本線新山口駅と山陰本線益田駅を結ぶ路線。新山口駅は小郡駅が速達「のぞみ」の停車に当たって改称されたものです。
山口線と言えば国鉄が全国に先駆けてSL動態運転を行った路線として有名であり、現在でも継続されています。
私も昭和時代に何回も足を運んだものですが、12系客車が改装されてからは足が遠のいてしまいました。
撮影は「SLやまぐち」やその前後を走る特急「おき」がメインとなり、本数の少ない普通列車は移動に利用してしまうと、まず撮影するチャンスが無かったように記憶しています。
そんな状況の中で、撮影場所を探している最中に、偶然にも撮ることができた普通列車の写真が1枚だけありました。
昭和59年2月11日 山口線 篠目~長門峡間にて
被写体が小さいので、画像が大きくなるようにしておきました。
大宮操車場の阪埠(ハンプ)部が廃止になり、余剰人員と化した私は、同期の職員と山陽山陰方面へと旅に出ました。何と言っても、休暇を何日でも連続で取得できるチャンスなんて、それまでありませんでしたからね。
1駅間歩いた割には良いロケーションの場所がなく、仕方なく丘の上で待機することとなったのですが、その時に構図合わせで撮った写真がコレです。
編成は、手前からキハ30+キハ30+キハ47+キユニ28(実際は後追いなので、編成順は逆)。当時は当たり前にこんな編成ばかりでしたので、別に撮るほどでもないような列車ですが、今になってしまうとキハ47を除いては絶滅危惧種。殊にキユニ28については、旧型の荷物車駆逐のために余剰であったキロ28を土台に改造した郵便・荷物合造車でしたが、僅か数年で鉄道郵便事業、そして荷物輸送自体も全廃となってしまうという憂き目に逢った、悲運の車両でした。
当時は移動の際も20系気動車は殆ど乗った記憶が無く、キハ30系が多かったように思います。ロングシート主体の普通列車でありながら、マメに車内販売が回ってきた珍しい路線であったことが非常に印象に残っています。
山口線は、山陽本線新山口駅と山陰本線益田駅を結ぶ路線。新山口駅は小郡駅が速達「のぞみ」の停車に当たって改称されたものです。
山口線と言えば国鉄が全国に先駆けてSL動態運転を行った路線として有名であり、現在でも継続されています。
私も昭和時代に何回も足を運んだものですが、12系客車が改装されてからは足が遠のいてしまいました。
撮影は「SLやまぐち」やその前後を走る特急「おき」がメインとなり、本数の少ない普通列車は移動に利用してしまうと、まず撮影するチャンスが無かったように記憶しています。
そんな状況の中で、撮影場所を探している最中に、偶然にも撮ることができた普通列車の写真が1枚だけありました。
昭和59年2月11日 山口線 篠目~長門峡間にて
被写体が小さいので、画像が大きくなるようにしておきました。
大宮操車場の阪埠(ハンプ)部が廃止になり、余剰人員と化した私は、同期の職員と山陽山陰方面へと旅に出ました。何と言っても、休暇を何日でも連続で取得できるチャンスなんて、それまでありませんでしたからね。
1駅間歩いた割には良いロケーションの場所がなく、仕方なく丘の上で待機することとなったのですが、その時に構図合わせで撮った写真がコレです。
編成は、手前からキハ30+キハ30+キハ47+キユニ28(実際は後追いなので、編成順は逆)。当時は当たり前にこんな編成ばかりでしたので、別に撮るほどでもないような列車ですが、今になってしまうとキハ47を除いては絶滅危惧種。殊にキユニ28については、旧型の荷物車駆逐のために余剰であったキロ28を土台に改造した郵便・荷物合造車でしたが、僅か数年で鉄道郵便事業、そして荷物輸送自体も全廃となってしまうという憂き目に逢った、悲運の車両でした。
当時は移動の際も20系気動車は殆ど乗った記憶が無く、キハ30系が多かったように思います。ロングシート主体の普通列車でありながら、マメに車内販売が回ってきた珍しい路線であったことが非常に印象に残っています。