165系:急行「佐渡」
急行「佐渡」は、準急列車からの格上げで誕生した急行列車。上野~新潟間の昼行を基本とし、相互間の夜行列車も設定されていました。
新潟区(上沼垂区)の165系を使用していましたが、かなり特徴のある編成でした。
サハシ連結時代は、クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+サハシ+サハ+クハ+モハ+クモハ+クハ+モハ+クモハの13両編成でした。
昭和52年頃からサハシが外され12連に、さらにサロ1両の10連と衰退していきます。
短編成に便利な165系を使用していましたが、新潟の編成は何故かクモハとクハの間にサロやサハを組み込むなど、分割不可能な珍妙な組成をしていたのが特徴でした。

昭和54年頃 西川口~蕨間にて 下り 急行「佐渡」
既にサハシの連結は無くなっていますが、グリーン車にはグリーン帯が入っており、長大な編成とも相まって、急行列車としての貫禄・美しさを保っていました。
この後、直ぐに塗装合理化によるグリーン帯が廃止となってしまい、外観上も格落ち感が出てしまいましたね。

昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて
こちらは24mmで創作的に撮った写真。見る人が見れば判るというようなものです。


昭和57年11月13日 大宮駅にて 165系 下り「佐渡1号」
クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+クハ+モハ+クモハ+サハ+クハ+モハ+クモハの12両編成となり、3連のユニットのそれぞれの間にサロやサハを挟むという極めてユニークな編成でした。
急行「佐渡」は有名ではありましたが、ヘッドマークが無くなってからは脚光を浴びることも無く、地味に特急「とき」をサポートしていたような感じです。ですからあまり写真も残っていません。
上越新幹線の上野開業にあたってその役目を終え、昭和60年3月に廃止されています。
現在残っている夜行快速の「ムーンライトえちご」ですが、元を糺せば夜行「佐渡」の名残であり、今も生き続ける急行「佐渡」であると言えると思います。

急行「佐渡」は、準急列車からの格上げで誕生した急行列車。上野~新潟間の昼行を基本とし、相互間の夜行列車も設定されていました。
新潟区(上沼垂区)の165系を使用していましたが、かなり特徴のある編成でした。
サハシ連結時代は、クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+サハシ+サハ+クハ+モハ+クモハ+クハ+モハ+クモハの13両編成でした。
昭和52年頃からサハシが外され12連に、さらにサロ1両の10連と衰退していきます。
短編成に便利な165系を使用していましたが、新潟の編成は何故かクモハとクハの間にサロやサハを組み込むなど、分割不可能な珍妙な組成をしていたのが特徴でした。

昭和54年頃 西川口~蕨間にて 下り 急行「佐渡」
既にサハシの連結は無くなっていますが、グリーン車にはグリーン帯が入っており、長大な編成とも相まって、急行列車としての貫禄・美しさを保っていました。
この後、直ぐに塗装合理化によるグリーン帯が廃止となってしまい、外観上も格落ち感が出てしまいましたね。

昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて
こちらは24mmで創作的に撮った写真。見る人が見れば判るというようなものです。


昭和57年11月13日 大宮駅にて 165系 下り「佐渡1号」
クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+クハ+モハ+クモハ+サハ+クハ+モハ+クモハの12両編成となり、3連のユニットのそれぞれの間にサロやサハを挟むという極めてユニークな編成でした。
急行「佐渡」は有名ではありましたが、ヘッドマークが無くなってからは脚光を浴びることも無く、地味に特急「とき」をサポートしていたような感じです。ですからあまり写真も残っていません。
上越新幹線の上野開業にあたってその役目を終え、昭和60年3月に廃止されています。
現在残っている夜行快速の「ムーンライトえちご」ですが、元を糺せば夜行「佐渡」の名残であり、今も生き続ける急行「佐渡」であると言えると思います。
