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キハ30系:キハ35900番代

2020-12-06 20:17:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
キハ30系キハ35900番代


かつて、国鉄型気動車の中でも一際目立つ存在であるはずだったキハ35900番代という車両がありました。



平成28年11月12日 碓氷峠鉄道文化むらにて キハ35901

ラッキーにも保存されているトップナンバー車。

地方都市の非電化区間用における通勤形気動車として、昭和36年に製造が開始されたキハ30系(キハ35系)。
気動車としては初となる、両開き3ドアでオールロングシート。非電化路線におけるドアステップの必要性から、外吊りドアを装備する特殊な外観となっていました。

同系の誕生から約1年後、ボディーをステンレス製とした900番代が登場します。国鉄気動車としては初となる銀色の気動車となりました。



昭和52年1月頃 大宮駅にて キハ35910

シルバーボディーの900番代はキハ35形のみ、10両が登場しています。新製時はすべてが木更津に配置され、房総地区で活躍していました。
ステンレス製としたのは房総地区での運用における塩害対策ですが、濃霧も良く多く起こる地域であるために、銀色無塗装の車両には視認性の問題が生じました。そのため、前面には警戒色の赤帯を入れることになってしまいました。



昭和52年1月頃 大宮駅にて キハ35910

房総地区の電化により活躍の場を失った大部分のキハ30系は、新たな活躍の地へと散らばって行きました。そのうち、シルバーボディーの900番代は、高崎第一機関区へ全車が集中配置されることになり、八高線や川越線で活躍することとなります。
写真は大宮駅における川越線で撮影したもので、ラストナンバーの910となります。



昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇間にて

数年は銀色に警戒色のまま運用されていましたが、昭和52年頃から実施された塗装合理化に際し、何故か塗装不要な900番代も他の鋼製車と同様に朱色4号に塗装されることになってしまいました。

気動車王国でひと際目立つ存在であった900番代は、他の鋼製車の中にすっかり溶け込んでしまいましたが、ボディや屋根の肩部に残されたコルゲートと、強度確保のために長く造られたドアレールカバーにその存在の主張を残していました。

埼京線の開業と同時に川越線が電化となり、昭和61年頃に半数の900番代が廃車となり、さらに八高南線の電化で殆どの車両が廃車となります。
キハ35904のみが生き延び、茅ケ崎に配置されて相模線で最後の活躍をしていましたが、平成7年11月にその運命を終えたそうです。


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