マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

【写真】根室本線 混合列車:混441レ&混444レ

2021-07-13 06:22:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
【写真】根室本線 混合列車:混441レ&混444レ


このところ連投しているネタ、根室本線の混合列車。

時刻表と模型レベルでの話をしようとしていたところ、金町のHさんから実列車の写真を多数提供していただきました。
自分は経験できなかったC58牽引時代の貴重な写真ばかり。今回、まとめてご紹介させていただくことにしました。




昭和48年3月23日 厚岸 444レ

C58が牽引する444レ。
最後部にコキ10000が1両連結されています。機関車次位は張り上げ屋根のマニ36。マニ362222ではないか?と想像を膨らませてしまいます。





昭和48年3月23日 落石 444レ

2日後のC58牽引444レ。
前回記事の写真はこの一連の連続写真の一部。編成はまったく同じ構成のようです。





昭和48年7月18日 上尾幌 444レ

C58が牽引する444レ。こちらは夏場の写真。
客車編成はおなじですが、コキ10000が2両となっており、さらにレ12000が連結されています。



昭和48年12月23日 厚床 441レ

機関士と助士の様子から、列車が到着したところでしょうか?貨車は連結されていません。
これから荷物車での積み下ろしが行われる。そんな状況が伝わってきます。



昭和48年12月23日 初田牛 441レ

同じく同日の441レ。この列車に乗って移動したようですね。
SL列車、混合列車にイベントではなく日常で乗ることができた時代です。



昭和48年12月23日 糸魚沢 444レ

C58408が牽引する444レ。
望遠なので判りづらいですが、コキが2両連結されているように見えます。あれ?オユ10が連結されていませんね。遅れとかで運用できなかったのでしょうか?
C58のツララ切りも良い演出です。



昭和49年2月26日 厚床 441レ

厚床駅で荷物扱いをしている貴重な写真。
この高さから放り投げるように荷物を落としています。今だったら即クレームの乱暴な扱いですが、当時は当たり前だったみたいですね。
厚床はこの地域では大きな町。標津線への乗換駅でもあるので、ここからさらに奥へ入っていく荷物もあったのでしょう。結構多いですね。さらに荷物の向こう側には、郵袋と思われる山もあり、拠点であったことが窺えます。



昭和49年3月3日 茶内 441レ

こちらは後部から撮影した441レ。
上りの444レに比較して極端に貨車の連結が少なかったようですが、この写真ではコタキ+レム5000+コトラ+ワム+レ12000と現車5両の貨車が連結されています。
急行「狩勝」からの流れでスハフには独立した暖房装置が無いため、貨車は後部に連結するしかなかったようですね。



昭和49年7月24日 厚床

こちらは厚床駅を発車した441レ。とうとう無煙化でDD51に置き換わってしまったのでしょうか?
当時は新鋭重連仕様・耐寒型のDD51524。最後部にはワムが4両程度連結されているように見えます。
現役SL時代を知らない私にとっては、こちらの方が自然に見えてしまうのは年代差でしょうか?


この列車の特徴として、急行「狩勝」(後の「まりも」)の座席車2両がそのまま使用されていたこと、荷物車と郵便車が隅田川~根室間を急行「ニセコ」「狩勝」そして441レとロングランをしていたこと、さらに、上りの444レではこれらの車両が折り返すとともに高速貨物列車「北海ライナー」の源流となるコンテナ輸送の一部を担っていたことが挙げられます。
なお、この昭和50年3月ダイヤ改正前の写真においては荷物車2両連結されていたようで、当時はさらに荷物需要があったことが窺えます。

それほど深堀りすることはないと思っていた記事ですが、思わぬところから深くツッコミを入れることになり、全貌とは言わずともかなり明らかになりました。
荷物車、郵便車、コキ10000と、それぞれが緻密に運用され、全車寝台でも良かった急行に指定席車2両が連結されていた謎。この混合列車にすべてが詰まっていたとは思いもしませんでした。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (金町のH)
2021-07-13 22:24:58
特集を組んでいただきましてありがとうございました。ただただSLの写真が撮りたくて北海道を彷徨していました。撮影場所にはこだわりはありましたが、個々の車両にはあまり興味はありませんでしたね。
「解説」していただくと、当時の鉄道というち密なシステムが見えてきて、改めてその魅力を感じることができました。
また、いろいろ教えてください。
返信する
Unknown (PIN)
2021-07-14 17:29:46
10年ほど前に張上げ屋根のマニ36を作られておりましたよね。
気になって読み返してきました^^
私も作ろうと思っていろいろ調べています。
今回の写真の編成は全て再現したくなりました。
とりあえず、富のコム冷蔵コンテナを手配しなくては・
又、写真のマニ36は2222ではないことだけは確かなようです。 また「水」をさしてスミマセン。
2222はS51にオハ35 2077から改造されてるようなので、
写真のS48/3/23には写りませんね^^
希望なのはKATOからC58のリニューアルが欲しいところですが、
ファインスケールは構造上1/87以下の縮尺では無理なんですよねぇ~
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2021-07-17 16:18:12
金町のH様
いつも貴重な写真をご提供くださいましてありがとうございます。
蒸気機関車の場合は写真と言えども動感を表現したい被写体だと思いますし、やはりカマがメインでもあるので、牽引されている車両に注目することは殆どなかったのではないでしょうか?まして、昭和の時代は詳細な情報も今のようには手に入りませんでしたから、興味が持てなくても仕方のない時代だったと思います。
私も模型をやっていなければ今ほど興味が無かったかもしれませんし、国鉄で大宮操車場に配置されなければ貨車なんて未だに興味が持てなかったかも。
それにしても、その時代にそのような仕組みに着目して記録をされている方がこれほど多く居たこともちょっと驚き。頭が下がりますね。
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2021-07-17 16:23:32
PIN様
早速残念な情報をありがとうございます。
しかし、そうだとすれば同系他の車両が2両以上いたということになりますね。
マニ36は子供の頃には既に出揃っていた形式という認識でしたので、私が中学に入った時代にもなお改造が続いていたというのは正直驚きでした。昭和61年には全廃になっていますので、改造後はかなり短命だったことになります。
コレクション館のマニ36張り上げ屋根は、アップこそ10年前ですが、作ったのは30年近く前の話です。GMでの出来栄えですが、今KATOの車両を種車に改造すれば、もっとグレードの高い、室内灯・テール点灯の車両ができるでしょうね。今から再挑戦つもりもありませんけど。製品化してくれたら100%予約します。
返信する