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東北本線 上野発:旧客普通列車3兄弟(下り編)

2021-02-13 17:22:00 | 国鉄・JR普通列車
東北本線 上野発:旧客普通列車3兄弟(下り編)


かつての上野駅では、各方面に多くの客車列車が走っていました。
115系の登場により、殆どの普通列車が電車化される中、最後まで残った3往復の旧型客車による普通列車が残っていました。

※時刻表は、交通公社時刻表 昭和50年7月号から拝借しました。




1本目は、上野5:30発の121列車 郡山行きです。
田舎に行く際、何回も利用した列車で、とにかく「遅い!」。途中までは追い抜かれる特急・急行が走っていないので小気味良く快走していきますが、宇都宮で機関車交換のため24分停車で、その場面から後発の特急・急行に次々と追いつかれ出します。やっと宇都宮を発車したと思ったら、次駅の岡本でまた10分停車と、とにかく進まないんです。
終点の郡山まで、特急なら2時間半のところ、この列車では6時間以上も掛かってしまいます。今なら乗り継ぎまちがあっても4時間程度で行けてしまうのでは?

この列車の特徴として、郡山方2両は途中の白河駅回転となっており、白河駅停車中の10分間の間に入換が行われます。


昭和53年頃 白河駅にて ED751003 121レ

残念ながら客車は写っていませんが、白河駅で入換中の121列車です。
ここで先頭2両を持ったまま側線に転線し、留置後再び戻って元の121列車を牽引し郡山を目指します。
なお、この回転車2両は白河13:47発の小牛田行きとしてミニ編成で出発し、仙台回転でこの日の運用が終るようです。この列車の小牛田行は白石駅から増結されるとされていました。

時間が時間だけに、何度も乗った割に地元では一度も撮ったことがありませんでした。





2本目は、上野11:19発の123列車 一ノ関行きです。
あまりの長距離運行のため、終点の一ノ関駅には22:42着で、11時間半近くを要します。
この列車の特徴は、荷物列車ではなく郵便車を連結していること。一ノ関方3両は仙台回転車になっていたということです。
さらに、快速とはしていませんが、途中の宇都宮までは多くの駅を飛ばしています。おそらくですが、優等列車の多い時間帯に走っているため、ただでさえ遅い客車列車ですので、115系普通列車並みのダイヤを確保するために、利用客の少ない駅を不停車にしていたのではないかと思われます。




前回、金町のHさんからご提供いただいた写真の前のコマを送っていただきました。
前記事アップの際、「サボが付いていないので謎があります」としましたが、反対サイドが見えるこの写真を拡大して見ると、確かではありませんがサボが取り付けられているようです。さらに、不鮮明ではありますが、最後部は郵便車のようですね。
時間帯と東北本線の定期列車であること、郵便車のみが連結されていることから、一ノ関行きの123列車に間違いないでしょう。

この列車も地元では良い時間帯に走っているのですが、撮影した記録が見つかっていません。一度だけ乗ったような気はするのですが・・・。





最後は、上野16:14発の福島行き125列車です。
勤め人の帰宅には早い列車ですが、長距離を通う上野近辺の高校生は利用していたのではないでしょうか?
この列車の牽引機は、上り「八甲田」で上京したカマが宇都宮に戻る仕業となっていましたので、「八甲田」にEF57が充当されると、学校が終ったら直ちに上野に向かうなんてことをしていました。それもたった1年弱でしたが・・・。



上野~尾久間にて 125レ

折しもEF57活躍末期の頃。冬場だと非常に厳しい時間帯でした。

終着の福島が22:45ですので、旅行にはとても利用価値はありませんでしたが、EF57のデッキに乗りたいため(←良い子は真似をしてはいけません)、古河まで乗って行ったこともありました。



昭和53年10月1日 EF651047牽引 125レ

EF57やEF58が牽引する定期客車列車として人気があった客車普通列車でしたが、時代の波には勝つことができず、昭和53年10月ダイヤ改正で一気に廃止されてしまいました。
最終日のトリとなった125列車は、特急列車牽引機として人気のあったEF65PFを充当するという、心憎い演出がされました。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (金町のH)
2021-02-13 22:15:53
一枚の古い写真がきっかけで、素晴らしい記事になりました。ありがとうございます。
ドン行客レの旅の記憶もはるかな彼方になりそうです。特急退避で山あいの小さな駅に停車すると、本当に車内が静かで、乗客同士の小さな声でさえ響きました。嗚呼、あの時に戻りたい。
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Unknown (キハ181つばさ)
2021-02-15 00:02:30
金町のH」様
こちらこそ画像を提供していただきありがとうございました。
経験やそれに基づく記憶というのはそれなりにあるのですが、写真に撮っていないものは記憶の中にも埋もれてしまっていて、何かきっかけがないと引き出しが開くことはありません。そこから蘇る記憶は多少実際の出来事とのズレが生じているケースも有り、ネット社会の創成により再検証できるようになった結果、実際に近い出来事を紐解くことができるようなったのは、自分としても嬉しいです。
早朝に出発したする121列車も、黒磯辺りまでは道路の音や駅の活気などで音に切れ間がないものですが、交流区間に入るとブレーキ音が切れて停車した途端に静寂が訪れ、動力のない無音の世界になりますね。高久・豊原・久田野などは鳥のさえずりだけが音として耳に入り、白坂では静寂の中にいきなり轟音と共に特急列車が通過する音が物凄いボリュームとなって響きました。それが過ぎ去ると静寂が戻る。窓全開、音のしない列車でしか味わえないそんな光景もなくなってしまいました。
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Unknown (J.R)
2021-03-13 20:01:54
 申し訳ありません。特に鉄道好きではないのですが、上野発福島行が懐かしくてコメントさせていただきます。

 わたしは、昭和40年代の小学生の頃、よく母親と大宮まで出かけた帰り、この福島行に乗りました。他の列車は既に自動ドアなのに、これだけがドアが開いていて珍しかったから大好きでした。母親に怒られるのでできませんでしたが、走り始めてからも乗れるので、映画に出てくる列車みたいだと楽しみでした。わざと開いているドアのそばに立って、外の風景を眺めていました。映画「大脱走」のように、かばんを先に投げてから飛び降りたらどうなるかなあなどと考えてました。

 昭和50年代、都内へ通っていた高校生のときも、部活動がないときも、ちょうどこの列車を赤羽で捕まえて乗ってました。まだ東北本線も30分に1本の頃です。発車する前に、全体がガタンと揺れてからゆっくりと走り出す様子が懐かしいです。

 何か、あの福島行について記事はないかなあ、と探していました。貴重な写真ありがとうございます。
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Unknown (キハ181つばさ)
2021-03-14 23:16:21
J.R様
コメントありがとうございます。
鉄道ファンでない方のコメントは珍しいのですが、記憶の内容が鮮明過ぎて驚きました。
私よりご年齢が少し上と察しますが、鉄道ファンでなくても旧型車両にご興味があったようでうれしく思います。同年代として、同じような気持ちで接していました。もう少しDEEPだったと思いますが・・・。
上野口では東北本線が昭和53年10月、高崎線や常磐線が昭和57年11月に無くなってしまいましたが、地方では昭和60年頃まで残っていましたので、社会人になってからは地方にも会いに行きました。
今となっては旅情よりも時間を大切にする意味で早い電車を選んでしまいますが、当時は純粋に雰囲気を感じながら乗っていました。今ではそんなことすら簡単に味わえなくなってしまい、寂しくなりましたね。
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