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【完結】根室本線:C58牽引 貨物列車

2021-07-26 06:30:00 | 国鉄・JR蒸気機関車
【完結】根室本線:C58牽引 貨物列車


先般、混合列車ネタから話が発展し、とんでもない深掘りをすることになった根室本線。

話の発端は、根室本線唯一の客車列車には混合列車としてコキ10000が連結され、これが隅田川行き「北海ライナー」の源流になっていたということ。
ここから話が発展し、まずはこの混合列車の編成が急行「狩勝」(のちの「まりも」)のうちオマケだと思っていた座席車+マニ+郵便車が基本編成として根室まで運転されていたということ。さらに、このマニ及びオユは急行「ニセコ」等を介し遠く隅田川から運用されたいたこと。

こうした壮大な運用が国鉄時代に組まれていたことに、組織の大きさ、緻密さ、それを動かすために多くの人力が関わっていたことに感服しました。

多くの謎が解けてきたと同時に、新たな謎も生まれてきました。
当初の目的であったコキ10000の運用が、どうも上りの444レに限定されていた様子であるということ。しかし送り込みが必要であることから別の貨物列車に連結されていたのだろう。そうした疑問に答えをいただいたのが金町のHさんから提供されたC58牽引の貨物列車の写真でした。





前回ご紹介させていただいた貨物列車の写真。後部にコキ10000が2両連結された貨物列車です。
しかし、またここでネタが新たなネタが発生。最後部に連結された客車は一体何なのか?
先の記事のコメントから、スユニであることが判りましたが、これが常連結だったのか?その疑問に対し、早速金町のHさんからご返答があり、さらに関連する貨物列車の写真と、当時のSL運転情報を追加いただきました。
今回は追加のご提供写真をご紹介させていただき、完結編にしたいとおもいます。


まずは当時の貨物関連の時刻です。(昭和48年:牽引機はC58)

混441 釧路  6:41 根室 10:21 → 混444 根室 11:28 釧路 14:57
1495 釧路操 7:15 根室 12:30 → 1498 根室 14:19 釧路操20:03
 471 釧路操12:34 根室 17:24 →  470 根室  6:37 釧路操12:32

このように、1往復の混合列車のほか、2往復の貨物列車が設定されていたようです。これ以外に、臨時貨物のスジが1往復あったようです。

この時刻に加え、件のスユニは撮影してた471レ及び1498レのいずれの列車にも毎日連結されていたという情報をいただいております。この2列車は時刻表によると厚床駅で交換となっていることから、運用を考えるといずれの列車にも毎日スユニが連結されていたと考えられます。
当時は道路網が発達していませんでしたので、小口程の輸送量ながらも最大限に鉄道を利用せざる得なかったものと推測できます。




昭和48年3月24日 厚床駅 1498レ

先着して下り471レを待つ上り1498レ。最後部にスユニを連結している。一番後ろに出っ張っているのは煙突だろうか?
待合室で見えづらいですが、中間にコキを連結しているように見える?・・・???



昭和48年3月25日 落石~別当賀 1498レ

こちらは翌日の上り1498レ。やはり最後部にスユニが。しかし、コキは連結されていない・・・。



昭和48年3月24日 厚床駅 471レ

厚床駅で交換した下りの471レ。スユニが真ん中に???
煙で見えづらいが、コキが繋がっているように見えない。



昭和48年3月26日 厚床 471レ

同じく厚床駅手前のカーブを行く下り471レ。やはりスユニが中間に連結されており、これが同列車の常態と思われる。
こちらにはコキ10000が2両繋がっており、トラが中心の編成。最後部の1つ目がGoo!


いただいたSL写真から編成や列車の分析をするのは大変失礼ながら、その資料性を蔑ろにするのは非常に勿体なく、敢えてまとめさせていただきます。

まずスユニについて。
編成の特性から、石炭又は石油ストーブ或いは温気暖房装置を搭載したスユニを限定して運用に充てていた。そして、窓配置からスユニ60及びスユニ61が両方とも存在していたことが分かりました。

そして件のコキ10000について。
これについては下りも上りも連結されていたりされていなかったり。下りが貨物列車に必ず連結されていたという証明に至らなかったこと。
ただし、ご提供された写真はいずれも3月とは言え北海道としては冬季のものであり、遅れ等の運用でダイヤどおり運用できなかったとも考えられます。さらに、もう1往復の貨物列車もあったので、どの列車が定時とされていたのかも分かりませんでした。

いずれにしても、当時の根室本線末端区間において、これら3本の混合列車と貨物列車が、ローカル運用ながら重要な物資輸送を担っていたということが分かりました。

沢山の資料写真のご提供で楽しませていただき、また、模型遊びの参考として大変役立ちました。心より感謝いたします。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (金町のH)
2021-07-26 12:24:19
手あたり次第画像を送り付けて申し訳ありません。当時、車両継走などに少しでも興味があればもう少し的確な写真を撮っていたかもしれません。
不十分な写真を「解釈」していただいて、ありがとうございます。
おっしゃる通り、当時の道東の道路事情は厳しく、根室へ行く国道44号は舗装されていたものの、厚床から根室標津方面へ行く国道は一部非舗装区間があり、泥と砂塵の舞う、苦行の道でした。
その中で、鉄道の優位性がかろうじて保たれていたというのが実態でしょうか。
いずれにしても、貨物列車が各駅に止まり荷を積んで、あるいは貨車を付け替えて運行していた時代を見られたことは、そこに携わった方との交流も含めて、私にとって、とても貴重な思い出です。
ぜひ模型で再現してください!
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Unknown (キハ181つばさ)
2021-07-29 06:57:00
金町のH様
いつも貴重な写真をご提供いただきありがとうございます。毎度撮影意図とは違った検証に使わせていただき恐縮です。
鉄道模型をやっていると、どうしても車両そのものや編成など、現実に即した遊び方を追求したくなるので、このような古い資料と言うのは大変参考になるものです。今回は特に、スユニが貨物列車の最後部やまして中間に常時繋がっていたという点で、遊び方が大きく広がったと言えます。このような編成が存在していたことは、今回の写真を見て初めて知った次第。
昭和50年代半ば、釧網本線に2度乗ったことがあり、混合列車の実物も見ることができましたが、残念ながら乗る機会はありませんでした。途中駅で入換をしているシーンを見てみたかったですね。
今となってはそのようなシーンを見ることはなくなってしまい、そうした時代が経験した人の記憶と共にこの世からいずれ無くなってしまうことを非常に勿体なく思います。こうした記録を残していくことが私らの年代に託された使命かもしれません。
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