ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

とこんとん議論、生みの苦しみ新体制

2012-12-04 22:16:54 | 教育
 どこまでやるの?って感じの演劇部、ようやくにして新体制に移行する。

 って言っても今、その話し合いの真っ最中だ。なんと12月のここまで3年生よく頑張ってくれた。いえいえ、まだ13日~15日の東京町田・杉並公演、さらには来年2月2日の「サントリー地域文化賞受賞報告会」まで続くわけだけど、取りあえず、地区内の公演すべて終了した時点で、2年生への引き継ぎとなる。

 新しい体制は徹底的な議論を経て決定される。これまで一年間の反省・総括をし、相互批判を繰り返してようやく新しい部長、プレイリーダーが推薦される。この間、短くても3日、長い時には1週間も話し合いが続く。これから先一年間のリーダーを選ぶわけだから当然と言えば当然だけど、今時の高校生としてはかなり珍しい事態と言えるだろう。例えばクラス委員を決めるなんて言うと、誰もがやりたがらず弱い者に押しつけなんてのが結構ありふれた選出の仕方だからだ。

 演劇部の、このとこんと議論のやり口、悪くないと思っている。これまで不満に思っていたあれやこれやが怒濤のように吹き出し、時には個人攻撃の様相を帯びることもある。涙なんて当たり前、激しい言い合いにつかみ合い、にはさすがにならないが、かなり緊迫した一触即発にまで立ち至る、ようだ。顧問は一切関与しないので部員たちの様子から推測するしかないのだが。一年間、これだけハードな活動でぶっ飛ばしてくれば、それぞれの人間性も丸出しになる。ぶつかり合いはしょっちゅうで、泣きの涙の訴えをなだめ納めるのも顧問の大切な役目と言っていいくらいなのだが、なんせ、立ち止まることのできない自転車操業、泣く泣く我慢して次の公演に当たるなんてことで1年が過ぎてきた。そんな不満がどどーっと噴き出すのがこの話し合いなわけだ。だから、大いにぶつかりあって欲しい。

 今年は2年生に一人として傑出したリーダーが存在しない。演技面でも人間性でも他のメンバーを文句なく引っ張れる人間がいない。となると、不満はあってもどこかで折り合いをつけるしかない。ならばなおのこと、お互いに目一杯言い合って、疑問点をただし、納得行かない点を追求し合った末に選ぶしかない。この議論を今日は4時間続けていた。まだ明日までかかると言う。

 2年生にとっては修学旅行前の気分浮き立つ時期、こんな気の滅入る話し合いを延々と続ける、このうんざり感を乗り越えることでこれからの一年間を共に歩もうという一体感も生まれてくるのだと思う。大いに悩め!大いにいがみ合いなさい。納得の一年を迎えるために。


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久しぶりの映画はしご!まずは『人生の特等席』

2012-12-02 10:30:34 | 映画
久しぶりだ、映画のはしご。以前は結構やったけど、さすがにこの歳となるとねぇ、って言うより時間がない。そう、まるでない。映画一本だって時間が取れない。そんな生活がずーっと続いてきたから。シニア演劇公演もなんとか終わり、農業クラブプロジェクト発表県大会も最優秀で締め、ようやっと、目の前から仕事の山が消え去った。で、待ちに待って出掛けた山形フォーラム。昼に入って5時半まで二本の秀作を存分に堪能した。

 
 
 『ソハに地下水道』、『人生の特等席』の二本だ。どちらか一本が不作でも、残りが納得できれば気持ち良く帰ってこれる、これがはしごの最大の利点なんたけど、今回はどちらも満足することができた。とは言っても、事前の予想とは正反対で、『人生の特等席』はかなり減点の合格点すれすれってところかな。

 クリントイーストウッドが老いの醜さから老人の格好良さに走り抜けるって内容のもので、同輩の身としてかなり期待していた。冒頭、出にくいおしっこに業を煮やす主人公ガス、たるんでしみだらけの二の腕、嗄れた声、ああ、クリントイーストウッドも歳を取ったんだ、わかるよわかるって身につまされた。車庫から車を出すにもあっちにぶつけこっちを壊し、自分の過ちを棚上げして車庫に八つ当たりする苛立ちなんかも、ついこの間の僕の姿だ。車庫出しでサイドミラーぶっ壊して、自分の不注意だってわかっていても、車庫を狭くしていた唐箕に当たり散らしたからね。

 でも、映画全体としては、以前の『グラントリノ』に数段及ばない凡作だったな。まず、ガスと対決する若手のスカウトやそれが押す注目の高校生新人が、人間としてあまりにちゃちだってこと。善玉・悪玉対決にもならないお粗末さ。次にストーリーのあまりのご都合主義。6歳で妻を亡くし、その後娘は親戚や全寮制の学校にやって仕事一途、電話一本かけなかったってことなのに、その娘が過去のプロ野球データを知り尽くしてるって不思議。さらに、その娘が偶然発見するプロ並みの剛球投手の玉をキャッチする、ありえねぇ感。どこでそんな技術身に付けたっていうんだ?さらに、その剛球投手が球場のピーナッツ売りで、期待の新人から小馬鹿にされていた存在で、なんと公開対決で期待の新人をきりきり舞いさせる、って、おいおい、そりゃ夢物語で楽しいけどさ、・・・・・。ばりばりの一級弁護士の娘が、心の病を感じていて大学時代はカウンセリングに通ってたとか、これなんか米国映画によくある話し。一番ダメなのが、メインストーリーの野球の描かれ方がまるで魅力がないってことと、ガスの、ってことはつまり老人の底力が鍛え抜かれた耳=五感だってことも、あっそう、って感じで迫ってはこないってことだろう。

 『グラントリノ』には、社会の現状にとけ込めず苛立つ孤独な魂があった。社会の理不尽と戦う老人がいた。身をもって移民の隣人を守ろうとする孤高の愛と正義感があった。そして、大切にされたグラントリノはその未来のアメリカ人・移民の若者に引き継がれるという高いメッセージ性があった。だが、今回作品にはなんだかんだあったとしても『人生の特等席』にすわり続ける恵まれた年寄りがいるに過ぎない。なんてずいぶん酷評してまった。でも、おとぎ話としては、老いてもなお格好いいクリントイーストウッドを見る映画としては、そう悪くはないってことで、及第点ってことにしておこう。

 二本一緒に評を書くつもりだったけど、ここまでで結構長くなってしまったから、『ソハの地下水道』については次回書くことにしよう。こっちは相当気持ち引き締めて書かなくちゃならない作品なのでね。ということで、今日はお終い。

 

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