ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

おじさん頑張る!菜の花座第23回公演『イーハトーボの劇列車』

2010-12-18 20:37:44 | 地域文化

いやぁ、こんな長い芝居だっんだ!昼公演、休憩10分を差し引いて正味3時間30分!どうりで稽古が進まないわけだ、ってそんなことゲネプロや通して稽古でわかってたろう?

お恥ずかしい、ゲネも通しも一回も出来なかったんだ、本番まで。乗客メンバーが決まらなかったり、演出プランが遅れたり、小道具・衣装が揃わなかったり、まっ、理由はいろいろある。最大の原因は稽古に人が集まらなかったこと。

これまで女の子中心の芝居作りしてきた菜の花座が、ぐるりと転換、おじさんばっかりの舞台になった。おじさんはねえ、やっぱり忙しいんだよ。責任ある仕事抱えてるから。家族のこともあるから。若い衆みたいに仕事終われば、後は自分しだいってわけにはいかないんだ。

で、稽古に来られない、来ても9時過ぎだったり、顔出してもすぐに帰ったり、当然せりふも入らない。動きをつける以前の話。それでも、それぞれ苦心惨憺努力してし、なんとかかんとかシーンを作ってくれた。中にはなんとしても仕事の都合がつかず、かといって下りるわけにもいかず、究極の板挟み状態に追いつめられた者もいた。

だから、本番でやっと、通せた、なんて無様な舞台になってしまった。お客様には本当に申し訳ない。謝りますって、今頃言うな!

それじゃ、本番めちゃめちゃだったか?ってーと、そうでもないんだな。たしかにぎりぎりの所で踏みとどまっていっぱいいっぱいで舞台に立った役者のシーンは、はらはらどきどきそわそわやきもきの連続で、誰の目にも稽古不足は歴然だった。演出としても、本番の舞台を見ながら、ああその場面はこう動かしたかった、そのせりふの言い回しは違う!って何度叫んだことか。

でも、彼以外の役者たちは、通していないという不安を抱えつつも、平然と稽古以上の出来で舞台を締めくくってくれた。主役の賢治役も出ずっぱりの3時間半を熱演、好演した。

やっぱりおじんさんの力だなぁ。舞台経験は浅くても人生幾多の苦境を乗り越えてきた強みだ。それと、人間としての持ち味が圧倒的だった。これはやはり上手い下手を超えるもんだ。いや、若手なんかはるかに及ばない演技力も見せつけてくれたんだけどね。

被告人席に立つように舞台に上がった彼にしても、お客さんの反応は好意的だった。頑張れ!思い出せ!って心で声援を送りながら見てくれていた人が少なくなかった。そう、あのお歳で、あれだけの長せりふ!観客も一緒になってせりふに同伴してくれたってことだ。

だから、アマチュア演劇はダメなんだ!って見方は確かに正しい。甘え合いのなあなあ世界、そんなもんに金と時間が割けるか!ってお怒りの声には平身低頭するしかない。僕もぎりぎり、舞台が勝負で行きたいと思っている。次回はしっかりやってください!ってきつく釘を刺すつもりでいる。

でもね、そんなふうに仕事に追われまくり、家に振り回されして、せりふ覚えも納得出来ないままに、それでも舞台という針のむしろに座った彼の姿は、ある種、感動的でさえあった。逃げ出したい欲求に突き動かされながらも、敢えて舞台に身をさらし、しっかりと姿勢を保ちせりふを繰り出して行った気力、気迫。だから、多くの観客が非難に代えて声援のオーラを送り続けたのだと思う。

これもやっぱり地域に根ざしたアマチュア演劇のあり方の一つなんだと思う。一人一人が仕事を抱え、生活を背負って、もがきあえぎながら、見いだし工面したほんのちょっとの時間を演劇に捧げる、このことの貴重さを大切にしなければと思う。いろんな人が様々な形で演劇にかける思い、これをしっかりとくみ上げられる劇団でありたいとて思う。

って言いつつも、せりふはしっかり入れようよね!稽古にはもっと出て来てよね!お願いだから。誰からも演技で、仕上がりで評価される舞台作ろうよ!ってことで終わるしかないよな。

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井上さん、ご勘弁!ご勘弁!演出編

2010-12-17 22:41:31 | インポート

何日ぶりのブログ更新だろう。

もうもうとってもパソコンに向かえる状態になかった2週間!まったく休み無しの連続稽古だったから。連日帰宅は23時。

追いつめられてたねえ、とことん。

役者は来ない。来てもせりふは入ってない。小道具はできてない。衣装はそろわない。もちろん、照明プラン?何の話。

それどころか!辞退続出。出演者が決まらない!!本当かよ?!本番の2週間前にだぜ!!!

こっちも堪忍して!の忙しさだったから、後手後手後手で崖っぷち。

演出プランもエンディングの決め手が浮かばない!

台本じゃあの世行きの銀河鉄道を出せって、井上さん無茶言うよ。十数人の死者がそれに乗って下手にはけるって、生徒じゃないけど、無理無理むーーーーり!

まさかなぁ、歩いて袖にはけてくなんて、しょぼいことできないし。

はりぼてみたいな銀河鉄道作るのなんてお断り!だし。

もう!あっちもこっちも行き詰まりの行き止まり。

でも、投げ出せないよ、今回ばかりは。井上さんの追悼公演なんてぶちあげちまったからね。

こうなったら開き直りあるのみ。置農演劇部フルに使って乗り切るって決めた。ごめん!みんな。で、一つ決断すっとあれれって感じでアイディア出てくるもんなんだ。

森の紗幕を下ろしてその奥に、列車シーンの客車?を出して銀河鉄道にでっち上げることにした。紗幕が2間三枚に切れているのでここから奥へ抜けることにした。紗幕の向こうが彼岸ってこと。

列車そのままてのも芸がないのでベッドカバーに使った白布を椅子にかけてみた。裏地のテカテカした感じが葬送をイメージさせてとてもよい。

病院シーンも旅館シーンも下宿シーンもすべて横壁はなしにしてスムーズな転換を心がけることにする。場転で使える曲は、星巡りの歌と種山ヶ原と精神歌。これはどうしても時間がかかる場転とオープニング、エンディングで使うことにして、後は生歌と列車走行音で場をつなぐ。

丸太で作った列車シートとベニヤでつぎはぎした壁パネル。死に行く百姓たちの思い残し芝居に相応しいと考えてひらめいたアイディアだ。

さて、本番。どうやらこちらの演出意図は通じたようだった。列車は思いがけず重厚な作りになって奥の森紗幕とぴたりと絵に成っていた。列車音をオノマトベで出すという井上さんの狙いとも上手くマッチしたように思う。置農演劇部のがんばりもあった。

エンディングも美しく心に残るシーンに仕上がったと思う。アンケートにもそう書いてくれた人がいた。思い残し切符を生きる人につたえていく趣向、改めて井上さんの凄さを納得した。

井上さんが、注文の多い料理店ならぬ注文の多すぎる脚本を残してくれたお陰で、ぎりぎり苦労した。でも、どうにか演出としては井上さんの注文をさばきつつ新しいものを作れたのではないかと思っている。

ねえ、どうですか、井上さん。ここらで堪忍してくれますよね。

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衣装の数は50着?『イーハトーボの劇列車』

2010-12-01 23:46:02 | 演劇

 うわーっ、なんじゃこりゃ!古着のバザーか????

 練習会場の農村環境改善センターのホールは一面広げられた古着でぎっしり!そう、『イーハトーボの劇列車』の衣装を一気にきめちまおうって、舞台監督と衣装担当が持ち込んでくれたんだ。ブレザーあり、セーターあり、スラックスあり、着物多数あり、袢纏あり、コートあり、シャツあり、靴あり、下駄あり、帽子あり、もの凄い点数だ!

 でも、なんか似たようなものばっかり、昭和初期の列車に乗り合わせた乗客の服装なんかになんのか?ともかくこの芝居、列車内のシーンが4回もあって、常時座席は満席、と言っても12人だけど、これらの人間が取っ替え引っ替え衣装を替えるわけで、とんでもない数の衣装を準備しなくてはならない。

 ええーいっ!決断だ!ともかくここに並んだ古着の中で決めるしかない。

 まずは乗客を演じる置農生の分を決めた。あっちで取り上げ、こっちで選び、いろんな組み合わせを団員に着せては、脱がしして作っていった。ニッカーボッカーに袢纏なんて、得たいの知れない服装やら、担ぎ屋のおばちゃんやら、男装の麗人やら、昭和初期のロシアかぶれの芸術家とか、兵隊さんもどきとか、三国人、おっと、もうこんな言葉死語だった、ともかく、昭和初期東北本線、あるいは常磐線上野行きに乗り合わせそうな人物を無理矢理作った。この間、たっぷり1時間半!残るは一人というところまでこぎ着けた。

 どうやら衣装については目途がついた。次の難問は小道具関係、これまた難問奇問の続出だ。でも、ユウタローさんが封印されていた倉を開けて昔のものをたくさん持ち込んでくれたので、一挙にそれらしくなってきた。どうやらどうやら、芝居になりそうになってきた。後は演技だよ、役者の皆さん、って、これが何よりなんだった。

コメント (2)
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