泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

全ての民俗芸能は「表現主義」的演出だもの

2015-09-15 13:55:07 | 丹下一の泡盛日記

前夜は打ち上げでべろべろで帰宅したのだけど、早起きして劇場に戻る。
アメリカ演劇上演委員会の理事会。
3年間の振り返りと今後について。
前向きな話をしてみんなで蕎麦屋へ。
翻訳者の高山吉張先生を東京駅までお見送りして、渋谷に向かうもう一人の翻訳者、須賀昭代先生と山手線でしばしお話。
松川さんから最初に電話をいただいた時からは足掛け5年。
本格的に研究会が始まって今回の公演終了まで4年。
振り返れば色々あるのは当たり前か。

今回も「自然主義」と「表現主義」という言葉が対立項のように語られた。
いわゆる「表現主義」的な舞台にしか関わった事が無い。
この二つの項目のみに当てはめるなら、全ての民俗芸能は「表現主義」的な演出、演技で上演されている。
自分が民俗芸能にひかれ、演出の参考にする所以だ。
大内さんの演出では俳優は、台詞を大きな声で真っすぐ、はっきりと話す事が要求される。
ことばを明確に伝えるためだ。
そして、台詞を真っすぐに言う事と棒読みの違いは大きい。
能狂言、歌舞伎の稽古は「大きな声で真っすぐ」から始まる。
自分の最初の劇団の稽古も、そこから始まった。
感情が動いて台詞を言う、という感覚には未だになかなかなれない。
もちろん無感覚なのではない。
微妙な違いなんだけど「感覚」が動く、とでも言えばいいのか。
プレイバックシアターで初めて舞台上で「感情が動いて」演技するようになったかもしれない。

帰宅して「読んでね」と渡されていた台本1本とシナリオ1本読む。
「見て下さい」と渡されていたDVDもみる。
歌舞伎の台詞をそのまま使っているのだけど、もちろん自分には違和感はない。
この台本今渡されて「読んでみて」と言われても多分問題なくすらすらと読めるだろう。
表現主義的な訓練を受けて来た賜物だ♪
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