日曜日もホールのお仕事へ。
前日とは別世界の和の古典芸能。
古典、と言っても江戸時代のものなので、自分には「最近」の気分。
何度かご一緒させていただいている会で人間国宝の方が出演。
最初にご一緒させていただいたときに、この方の「耳」のすごさに驚いたことは忘れない。
プログラムの最後に息子さんとおやりになった演目での「こえ」、三味線の「おと」というか「響き」、
そして「間」が、非常に興味深いもので。
舞台袖にいるのだけど「技芸」というものの素晴らしさを堪能させていただいた。
同時に、このところ三味線や琴との関わりについて考え続けているので、
大変に勉強になるのだった。
尺八は「アート」に使いやすい。
出会いやすい、と言ってもいい。
そして三味線や琴は、自分には難しい。
違う側面から言うと、プレイバックシアターで使える楽器は(自分にとっての)現代演劇でも使いやすい側面を持っている。
同じ民俗楽器なのにピアノと三味線のどこが違うのだろうか。
タイのパヤオのセンターでプレイバックのパフォーマンスをした時、
そこにはいくつもの北タイの民俗楽器が置いてあり、
驚喜して次々に使ってみたのだけど、やはり「おと」として難しいのだった。
もちろん、これは自分に「技術」がないからで。
15年ほど前、NYのプレイバックシアターのスクールに、
ワシントンのオーケストラでチェロを担当している、それこそ西洋古典ばりばりのミュージシャンが参加していて。
(プレイバックシアターで)ミュージシャンをやったのだけど、これが素晴らしかった。
というのも、入間川正美さんかと思うような演奏方法も使いながら、
つまりチェロという楽器を徹底的に「音具」として扱い、様々な「おと」を響かせながら、
ここぞというときに、素晴らしいテクニックで深い伝統的な「演奏」を聴かせてくれたのである。
「技芸」のテクニックと「アート」の魂を同時に持つ人が自在に「遊ぶ」地平は、
日本のプレイバックシアターの世界では、あきちゃん(小森亜紀)のパフォーマンス以外で見たことはない。
時折テクニックを持つ音楽家が「ミュージシャン」を担当しているのをみるが、
「演奏」しかしない。
演劇の世界と「おと」で出会う発想がないのだ。
自分から見れば、これほどもったいないことはないのだけどなあ。