万葉雑記 色眼鏡 二五四 今週のみそひと歌を振り返る その七四
今回は巻十に載る問答歌に遊びます。
集歌1960 物念登 不宿旦開尓 霍公鳥 鳴而左度 為便無左右二
訓読 物思ふと寝(ゐ)ねぬ朝明(あさけ)に霍公鳥(ほととぎす)鳴きにさ渡るすべなきさふに
私訳 貴方への恋の物思いに寝られぬ朝明けに、ホトトギスが「それはカツコヒ(片恋)」と鳴きながら飛び渡って行く。やるせなさが一層に募るほどに。
集歌1961 吾衣 於君令服与登 霍公鳥 吾乎領 袖尓来居管
訓読 吾(あ)が衣(ころも)君し着せよと霍公鳥(ほととぎす)吾(われ)をうながす袖に来(き)居(ゐ)つつ
私訳 ねえ、貴方。昔のあの時の思い出のように私の衣を共寝の床の貴方の体に被せなさいと、ホトトギスが私をそそのかします。そのホトトギスが私の衣の袖に飛び来て(絵柄として)留っていますよ。
注意 恋歌のホトトギスは「カツコヒ」と啼きますが、ここでは「不如帰去」と啼きます。
集歌1962 本人 霍公鳥乎八 希将見 今哉汝来 戀乍居者
訓読 本(もと)つ人霍公鳥(ほととぎす)をや希(めづら)しく今か汝(な)し来(く)る恋ひつつ居(を)れば
私訳 ねえ、貴方。ホトトギスに託すのでしょうか。久ぶりに今やっとホトトギスが(「カツコヒ(片恋)、カツコヒ」と)啼きながらやって来る。このように貴方を恋い慕っていると。
紹介しましたように、万葉集では霍公鳥の表記で「ホトトギス」と訓じますが、実際には「カッコウ」と「ホトトギス」の二種類の鳥を指すようです。ここがややこしい話となります。
歌の鑑賞では「カッコウ」の鳴き声から「片恋」を比喩するものになりますし、「ホトトギス」は中国故事から「不如帰去」と啼き、過去への憧憬となります。
ただ、難しいのは集歌1961の歌を「昔のように妻問って下さい」だけと取るのか、同時に「片恋=今でも恋してる」と取るのかの解釈が成り立ちます。
他方、宮中や貴族の屋敷で歌会のような宴が持たれ、教養人はそれぞれが歌を披露したと思われます。そうしたとき、集歌1961の歌は使う漢字表現が非常に固く、男の手によるものではないかと考えられます。例として、「於君令服与登」の「令」、「吾乎領」の「領」です。やはり、一見、集歌1961の歌は女歌のようでが、実際は宴会で披露された男による歌でしょう。このように解釈しますと、教養落ち的な言葉遊びで集歌1961の歌には大和の「カッコウ」の鳴き声から「片恋」を比喩と、中国故事からの「不如帰去」と啼き声があるのでしょう。
おまけとして、言葉遊びの比喩を認めますと、次の歌は標準的な解釈の他に深みが付け加えられます。
集歌1957 宇能花乃 散巻惜 霍公鳥 野出山入 来鳴令動
訓読 卯の花の散らまく惜(を)しみ霍公鳥(ほととぎす)野し出で山入り来鳴き響(とよ)もす
私訳 卯の花(有の花=恋が実る)が散るのを惜しんでホトトギスが野原に出たり山に入ったりして飛び来て、その鳴き声(片恋)を響かせる。
男が女に恋を告白しても「有の花」、つまり「有り」とは成らなかったのでしょう。それで、霍公鳥が里中を飛び交って男の恋は「片恋」と鳴きたてるのでしょう。言葉遊びの考え落ちです。宇能花か、どうかは、お任せします。
ただ、万葉集では、可能な比喩や言葉遊びがありますので、原歌表記と訓じとを合わせて楽しんで見て下さい。
今回は巻十に載る問答歌に遊びます。
集歌1960 物念登 不宿旦開尓 霍公鳥 鳴而左度 為便無左右二
訓読 物思ふと寝(ゐ)ねぬ朝明(あさけ)に霍公鳥(ほととぎす)鳴きにさ渡るすべなきさふに
私訳 貴方への恋の物思いに寝られぬ朝明けに、ホトトギスが「それはカツコヒ(片恋)」と鳴きながら飛び渡って行く。やるせなさが一層に募るほどに。
集歌1961 吾衣 於君令服与登 霍公鳥 吾乎領 袖尓来居管
訓読 吾(あ)が衣(ころも)君し着せよと霍公鳥(ほととぎす)吾(われ)をうながす袖に来(き)居(ゐ)つつ
私訳 ねえ、貴方。昔のあの時の思い出のように私の衣を共寝の床の貴方の体に被せなさいと、ホトトギスが私をそそのかします。そのホトトギスが私の衣の袖に飛び来て(絵柄として)留っていますよ。
注意 恋歌のホトトギスは「カツコヒ」と啼きますが、ここでは「不如帰去」と啼きます。
集歌1962 本人 霍公鳥乎八 希将見 今哉汝来 戀乍居者
訓読 本(もと)つ人霍公鳥(ほととぎす)をや希(めづら)しく今か汝(な)し来(く)る恋ひつつ居(を)れば
私訳 ねえ、貴方。ホトトギスに託すのでしょうか。久ぶりに今やっとホトトギスが(「カツコヒ(片恋)、カツコヒ」と)啼きながらやって来る。このように貴方を恋い慕っていると。
紹介しましたように、万葉集では霍公鳥の表記で「ホトトギス」と訓じますが、実際には「カッコウ」と「ホトトギス」の二種類の鳥を指すようです。ここがややこしい話となります。
歌の鑑賞では「カッコウ」の鳴き声から「片恋」を比喩するものになりますし、「ホトトギス」は中国故事から「不如帰去」と啼き、過去への憧憬となります。
ただ、難しいのは集歌1961の歌を「昔のように妻問って下さい」だけと取るのか、同時に「片恋=今でも恋してる」と取るのかの解釈が成り立ちます。
他方、宮中や貴族の屋敷で歌会のような宴が持たれ、教養人はそれぞれが歌を披露したと思われます。そうしたとき、集歌1961の歌は使う漢字表現が非常に固く、男の手によるものではないかと考えられます。例として、「於君令服与登」の「令」、「吾乎領」の「領」です。やはり、一見、集歌1961の歌は女歌のようでが、実際は宴会で披露された男による歌でしょう。このように解釈しますと、教養落ち的な言葉遊びで集歌1961の歌には大和の「カッコウ」の鳴き声から「片恋」を比喩と、中国故事からの「不如帰去」と啼き声があるのでしょう。
おまけとして、言葉遊びの比喩を認めますと、次の歌は標準的な解釈の他に深みが付け加えられます。
集歌1957 宇能花乃 散巻惜 霍公鳥 野出山入 来鳴令動
訓読 卯の花の散らまく惜(を)しみ霍公鳥(ほととぎす)野し出で山入り来鳴き響(とよ)もす
私訳 卯の花(有の花=恋が実る)が散るのを惜しんでホトトギスが野原に出たり山に入ったりして飛び来て、その鳴き声(片恋)を響かせる。
男が女に恋を告白しても「有の花」、つまり「有り」とは成らなかったのでしょう。それで、霍公鳥が里中を飛び交って男の恋は「片恋」と鳴きたてるのでしょう。言葉遊びの考え落ちです。宇能花か、どうかは、お任せします。
ただ、万葉集では、可能な比喩や言葉遊びがありますので、原歌表記と訓じとを合わせて楽しんで見て下さい。
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