8月6日と9日は広島、長崎に原爆が投下されてから75年を迎え、それぞれ平和式典が行われました。
この中で広島・長崎両市長は、平和宣言で唯一の原爆の被爆国として、日本政府に対し「核兵器禁止条約」の署名・批准を直ちに行うよう強く求めました。
特に長崎市の田上市長は、「日本政府と国会議員に訴えます。核兵器の怖さを体験した国として、1日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
戦争をしないという決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。」と訴えました。
これに対し、安倍総理大臣は、あいさつで広島原爆の日に続き核兵器禁止条約には触れず、「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を1歩1歩、着実に前に進めていくことはわが国の変わらぬ使命だ」と述べました。
私は、両市長の熱い思いのこもった平和宣言と安倍首相の挨拶には立場の違いから例年違和感を感じていましたが、今回は仕方なく義務的に出席し
スケジュールを消化しているだけという印象で不快感を感じました。
すると翌日の新聞報道では、「両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍晋三首相のあいさつの文面が酷似しており、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が上がった。
官邸のホームページに掲載された双方の全文を比較すると、両市の原爆投下からの復興を称賛した一文や、「広島」「長崎」といった地名などは異なるが、他はほぼ同一の内容だった。」等とする報道が掲載され、安倍首相の態度の変化を感じとったのは私だけでありませんでした。
そして、長崎での式典後行われた被爆者団体の代表と面会で、核兵器の廃絶に向けて引き続き努力を重ねるとともに、被爆者への支援や、原爆の体験を伝える取り組みを進めていく考えを強調した後の記者会見で、安倍首相は安全保障環境は厳しさを増しており、防衛力に加え、日米同盟による抑止力も強化していく必要があると指摘し「『核兵器禁止条約』は、わが国の考え方とアプローチを異にしていると言わざるをえない。政府としては、立場の異なる国々の橋渡しに努め、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献していきたい」と述べたと報道されました。
被爆者団体との会談直後の、この無神経な発言は被爆地である広島・長崎の思いを否定するものであり、しかも長崎に原爆が投下された日に首相が発言するということは、人間の常識として理性を持っているのではあれば、考えられない発言であり、本音であると思います。
首相の義務的な出席が続き、挨拶内容が例年と変わりなく、信用出来ない挨拶が続き、しかも両市が求める『核兵器禁止条約』さへ地元に来て明確に否定する首相を平和式典に呼ばないで、その理由を全国に発信することも検討すべきと思います。
安倍首相は、これまで「戦後レジウム」からの脱却を図ると言って来ましたが、図るのであれば、アメリカの核の傘の立場を脱却し、明確に核兵器廃絶を訴えるべきです。
しかし、唯一の戦争被爆国・日本こそ、アメリカの「核の傘」や核抑止力への依存に固執するのではなく、75年にわたって核廃絶を訴えてきた被爆者や世界中の核廃絶を願う人々の思いを誠実に受け止め、日本が核兵器禁止条約の締約国となることはもとより、各国に働きかけ、条約の発効に全力を尽くすとともに、核使用禁止の国際的機運を高め、核のない世界を目指し、積極的にリーダーシップを発揮していくべきです。