銀杏BOYZに
NO FUTURE NO CRY
という曲がある。
未来はないけど泣いちゃ駄目さ。
と峯田君は歌う。
最近、ノーフューチャーな人たちを見ることが多く、
この人たちは文字通り、
未来のことなんか知るか。
というパンク魂で生きているのか。
単純に、
未来は、ない。
という人たちなのか。
僕もノーフューチャーで生きているつもりだが、
だんだん後者のほうになってきている感じがする。
刹那的に生きることと、
刹那的に生きざるを得ないことの違いを噛みしめる。
NO FUTURE NO CRY。
NO FUTURE NO CRY
という曲がある。
未来はないけど泣いちゃ駄目さ。
と峯田君は歌う。
最近、ノーフューチャーな人たちを見ることが多く、
この人たちは文字通り、
未来のことなんか知るか。
というパンク魂で生きているのか。
単純に、
未来は、ない。
という人たちなのか。
僕もノーフューチャーで生きているつもりだが、
だんだん後者のほうになってきている感じがする。
刹那的に生きることと、
刹那的に生きざるを得ないことの違いを噛みしめる。
NO FUTURE NO CRY。
全然違う。
刹那は、あらゆる瞬間が祭りっていう姿勢だ。
生きざるを得ないなんて、消極的な姿勢で刹那はやれない。
「消極的な」刹那となってしまう気がしたんです。
「刹那」という言葉が相応しいかどうか、はともかく。