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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

青春の無駄遣い

2024年02月21日 | 映画など
山下敦弘監督「カラオケ行こ!」を見る。
なんか、すごく満たされてしまった。
こういうゆるゆるのコメディが見られれば、無問題。
生きてて良かったとさえ思えるぐらいなのです。


和山やまの原作コミックは未読だけれど、
ストーリーは単純明快。ヤクザの男から
歌のレッスンを頼まれた合唱部の高校生が主人公。
齋藤潤演じる高校生は堅物で真面目。
ヤクザの綾野剛はいやに人なつっこくて、
それでいて凄味を垣間見せる好演。
ギャップのあるバディものという設定だけで
安心して見られるというか。コメディの定番だなあと。

本作で特筆すべきは、傍役の人たちだ。
合唱部の仲間たちとか、顧問の先生とか、
齋藤潤の両親とか、綾野剛のヤクザ仲間とか、
決して主役のふたりを喰わずに、それでいて、
ちゃんと傍役としての役目を全うしている感じ、
と言って伝わるだろうか。

よくよく見ると、
顧問の先生を演じているのは芳根京子だ。
映画が始まってから、
ずっと芳根京子という女優を意識せず、
ただの能天気な先生だと思って見ていたのだ。
これってなかなか珍しいことだと思う。
シネフィルなんか特に、あの俳優があそこで出てたとか、
そんなコトばかり気にしてしまうわけで。
芳野京子だけでなく、主役以外の人は、
映画の世界観にいい意味で埋没していて、
そうした演出をする山下監督の凄さを感じる。

合唱部のメンバーで、
なにかと正論を吐いて輪を乱す男の子が、とてもいい。
あと、部をそれなりにちゃんと仕切っている
副部長の女の子もいい味を出している。
この人たちも俳優なんだろうけど、
もう本物の合唱部のメンバーにしか見えない。

齋藤潤が入っている
VHSビデオで昔の古い映画ばかり
見ている映画研究会みたいな部活の描写が素晴らしい。
ぼーっとビデオを見ているだけの場面が
本作のオフビート感を倍加させる。
もし自分が高校時代、こういう部活があったら、
どんなに救われただろうと思う。
そんな苦渋に満ちた青春時代を送った人(お前だけだ)なら、
感動必至の青春映画なのです。

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リバーサイド感涙

2024年02月08日 | 映画など
千葉泰樹監督「下町 ダウンタウン」を見る。
58分の小品ながら、
人間の喜怒哀楽のすべてが詰まっている。
映画っていうメディアは、1時間もあれば、
たいていのことは描けるんだなあと感心しきり。


舞台は、戦後まもない
混乱した東京の(おそらく)隅田川沿い。
シベリアから夫の帰還を待つ山田五十鈴は、
小学生の息子とともに茶の行商をしている。
そんなときにふと出会った
工場番の三船敏郎の親切さにほだされ、
いつしか二人は惹かれ合うようになる。

山田五十鈴が息子と、惣菜屋でコロッケを買い、
三船が働く工場の番小屋で
一緒に弁当を食べるささやかな場面。
ほっこりと幸福感がにじみ出てくる。

いっぽう彼女は、
身を寄せている下宿屋のおかみから
裏の商売をするように持ちかけられている。
隣部屋の玉枝(淡路恵子)がいかがわしい商売に
身を落としながら、病気の夫を養っている姿に動揺する。

子持ちの自分はこのままでいいのかという
不安感が充満したなか、出会ったのが三船敏郎である。
たくましくて、優しくて、一途なこの男に
そりゃあ惚れるだろうと思いつつ、
シベリアから戻らない夫のことを思い、
自分の気持ちを抑えながらも、ついに激情をあらわにする
旅館の一室の場面の見事さといったら。

それはそれは悲しい結末に、
涙を禁じ得ない映画ではあるのだけれど、
子供の手を取り、寂しく土手を歩く山田五十鈴の後ろ姿。
そして彼女の横を流れる川。映画は川さえ写れば
それだけで傑作になると信じたい。映画はリバーサイド。
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三つ子の魂はコンプレックス

2024年01月30日 | 映画など
ウディ・アレン監督
「サン・セバスチャンへ、ようこそ」を見る。
うわあ。見るんじゃなかった。
深く激しく後悔している。なぜかというと傑作だからだ。


後悔のもとは、
やはり例の性加害のことがあるからだ。
作品とその作り手を分けて考えることができるか。
たとえそれができたとして、
分けて考えることが正しいことなのか。
正解はないとわかりつつ、悩ましい。
とりわけ、自己のパーソナリティが
作品に色濃く反映されているアレンの場合、なおさらだ。

映画の宣伝の仕事をしている妻と一緒に、
サンセバスチャンの映画祭を訪れた
ウォーレス・ショーン演じる作家が主人公。
まんまアレンの分身であることは明白というか。
妻の浮気を疑いながら、
現地で出会った女医に恋心を抱くラブコメで、
その語り口は相変わらず軽妙で絶妙。

主人公のこれまでの人生が、自分が愛した映画たち、
「市民ケーン」や「8 1/2」「第七の封印」
「勝手にしやがれ」「突然炎のごとく」
「男と女」「皆殺しの天使」などの
パロディ場面とシンクロし混沌としていく。

自分だって偉大な名監督なのに、
90歳に手が届くというのに、
老境にいたってなお、これらの名作たちへの
コンプレックスから脱却できないところ。
そして、浮気の虫がちいとも収まらない
人物を描く大人げのなさとある種の開き直り。
なんとも哀れで可笑しくて。
それがウディ・アレンという人なんだろう。

シネフィル的には、
撮影監督のヴィットリオ・ストラーロに
フェリーニやベルイマンのパロディを撮らせたわけで、
それってかなり失礼なんじゃないかと思う。
それとも喜んで撮影したんだろうか。
誰か、ストラーロにインタビューしてくださいな。
姫田真佐久に溝口の「山椒大夫」のように撮れと
言ってるようなもんだと思うのだけど。
って誰にも伝わらないネタですみません。

ともあれ、
加害のことがなければ、手放しで絶賛したい。
でもそれはちょっと無理。なんというアンビバレンツ。
だから深く激しく後悔しているのですよ。

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捨て去ったあとの幸福

2024年01月18日 | 映画など
ヴィム・ヴェンダース監督
「PERFECT DAYS」を見る。
思った以上に労働ムービーで、
ファンタジックな観光映画で、
ロックンロールと反復の映画だった。
この映画の役所広司みたいな生き方がしたい、
という人はきっと多いと思うけれど、
自分には絶対無理、としみじみと確信する。


この映画の平山という男の生き方。
確かに理想かもしれない。
いわゆる俗世から隔絶された境遇に身を置き、
課せられた労働を淡々とこなす。
その労働にいくばくかの、いや、かなりの誇りを持ち、
クルマで往年のロックのカセットテープを聞く。
仕事を終わらせ夕方には銭湯に行き、
レトロな居酒屋でチューハイとおつまみ少々。
古本屋で百円均一の文庫本を買い、
眠くなるまで自分のアパートで読みふける。
たまに意中のママがいるバーで少し談笑して飲む。

これ以上超えたらストイックじゃない、
という基準線があるとしたら、
この男の生き方は基準線を越えるか越えないか
ギリギリのところのストイックさというか。
ほんの少しだけ生臭さがあるから、色気がある。
役所広司が演じてるんだから、
それはそれはカッコいい初老の男に見えるんだろうけども。

劇中、役所広司が見る夢の描写が素晴らしい。
なんとかストイックに生きているのに、
どこか悪夢めいているし、これまでの生の後悔や、
それほど遠くない死の予感もある。

東京の街ってこんなに奇麗だったっけ、
と思うぐらいの美しさ。近未来なデザインのトイレを始め、
スカイツリーと隅田川沿岸の風景と昭和な銭湯。
地下鉄浅草駅の風情ある地下商店街などが
定点観測的に映し出される。
同じショットの繰り返しと積み重ねが独特なリズムを生む。

自分がもし外国人だったら、
「日本っていい国だなあ」と勘違いしてしまいそう。
そうか、ヴェンダースはドイツ人だ。
小津が大好きなシネフィルだ。

かつてヴェンダース監督は「パリ、テキサス」で、
あんなに美しい妻のナスターシャ・キンスキーと
可愛い息子を捨て、放浪を選ぶ男を主人公にしていた。
そんなん無理ですよ。あのですね、妻がナタキンですよ。
放浪なんか絶対しません。できません。

同じく、役所広司みたいな生き方はできない。
俗世から逃れることができるほど、メンタルは強くないし、
手短な安心と曖昧な繋がりを求めて、
薄ら笑いをしながら生きている自分を
あらためて見つめ直さざるを得ない映画だったのです。

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愛惜のゲッタウェイ

2024年01月07日 | 映画など
戸田彬弘監督「市子」を見る。
存在しない者が存在しているという不条理のなか、
生きること食べること愛することへの執着が
見る者に迫ってくる126分。杉咲花、圧巻。


食べることは生きることだなあ、とあらためて思う。
劇中で市子が、アイスキャンディーをほおばり、
ケーキを試し食いし、縁日で焼きそばを食べる。
そんな彼女のそばでたたずむ
高校の同級生は、同じ寮に住んでいた隣人は、
いずれ恋人になる青年は、みんな彼女の儚げに見えて
実は強靱な生命力に惹かれていく。そしてそれを見ている観客も、
この市子という人が悪人だと思えなくなってくる。
杉咲花という人が本来持っている愛らしさも
あるのだろうけれど、妖艶とも言えるオーラが
スクリーンいっぱいに充満してきて息苦しいほどだ。

この市子の悲しくも切ない出自をめぐる
一種のロードムービーのような、
人間の宿痾をめぐる謎解き映画のような。
「砂の器」みたいな映画という人がいたけれど、
松本清張的な世界観。確かに言い得て妙、かもしれない。

杉咲花さん。決して熱演しているわけでもなく、
むしろ静かな芝居をしているのだけれど、
常に映画の中心にいて、彼女がいない場面でも
強烈に存在を印象づけているところに驚くばかり。
相手役の若葉竜也や森永悠希は、
市子に振り回されるばかりだが、彼女を愛しているその心だけは
全く揺るがない。そんな受けの芝居が素晴らしい。

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高揚のチンボツ

2023年12月29日 | 映画など
ケリー・ライカート監督
「ファースト・カウ」を見る。
2019年の作品ながら、なんだか昔なつかしい
アメリカンニューシネマを見ているような感覚になる。
一発当てよう、いい暮らしをしよう、
ここではないどこかに行こう、
つまりはアメリカンドリームを夢見る二人組の、
ほんのちょっとの成功譚と
なんとも情けない転落劇にしみじみ。


舞台は1820年代の米国オレゴン州。
開拓時代だから西部劇といってもいいかも知れない。
腕のいい料理人だった流れ者のフィゴウィッツと、
一攫千金を夢見て米国に渡ってきた
中国人のキング・ルーの二人組が、
村長が極上のミルクを出す雌牛を買い付けたのを見て、
こっそりその牛の乳を搾り、それでドーナツを焼き、
店を開いたら、これが大繁盛。
金持ちになれると大喜びしたのも束の間、
村長にそのことがばれて、命を狙われることに。

なんとも切ない物語ではあるけれど、
開拓時代の米国の、いかにも辺境な感じ。
だからこその豊かな自然と、白人だけでなく、
ネイティブアメリカンの人たちも多く存在し、
混沌とした人間関係が渦巻く土地の風景に癒やされていく。

フィゴウィッツが、牛の乳を搾りながら、
やさしく語りかける場面は危うくも神々しい。
無器用で社会に不適応な彼を見つめる、
物言わぬ牛の穏やかな目が忘れがたい。
そして彼がつくるドーナツが
とても美味そうなのも本作の魅力のひとつである。

食い物が美味そうに見える映画は、
それだけで傑作と言ってもいいかも知れない。
「人斬り与太 狂犬三兄弟」でハグレモンの
三下やくざ菅原文太がぶち殺されたあと、
情婦の渚まゆみが喰らうラーメンも実に美味そうだったし。

と、なんか話が横道に行ってしまった。
アホなシネフィルですみません。

ともあれ、ケリー・ライカート監督は、
名も無いただの二人の男たちの、
地味で地道で、少し間抜けな生きざまを淡々と描き、
それを現代の視点にまで繫げて観客に考えさせる。

ネイティブアメリカンの人たちが
画面中にあふれていて、スピリチュアルで幻想的な
味わいになっているのも捨てがたい。そういえばこの監督の、
「ミークス・カットオフ」でも開拓時代の米国が舞台で、
ネイティブアメリカンと白人の
ディスコミュニケーションをテーマにしていたっけ。
誰か(アホではない)シネフィルの人、
ネイティブアメリカンと
アメリカ映画の関係についてレクチャーしてくださいな。

そういえば、リリー・グラッドストーンに似た
ネイティブアメリカンの女の人が出てるなあ、
と思ったら、本人だった。はっきりとは説明されないが、
白人である村長の妻役だと思われ、スコセッシは本作を見て、
「キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン」に彼女を起用したに違いない。
まんまのキャラでスコセッシ映画に出ていますな、
と、アホなシネフィルはひとりほくそ笑んでいるのです。
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問題は解決しなくてもいい

2023年12月18日 | 映画など
アキ・カウリスマキ監督「枯れ葉」を見る。
いや、もう。事故で死ななくて良かった。自分。
こうしてアキの新作でクスクス笑って、
ちょっとしみじみして。
クールでスタイリッシュなのに
実にあったかい気持ちになれるんだから。


相変わらずの労働ムービー。
アキ映画に出てくる人たちの多くは
エッセンシャルワーカーだ。仕事は過酷で
賃金はおそらく安い。もちろん文句はあるだろうが、
それを顔に出すことなく、淡々と働く。
ときおり、不条理な扱いでクビになったりするが、
めげずに次の仕事を探し、そして働く。
生きることは働くこと。働くことは生きることなのだろう。

そんな状況にある、やさぐれた男女が主人公の本作。
偶然が重なって出会い、愛を育み合うかと思いきや、
すれ違いの連続で、だからといって、
再会のために躍起になるのではなく、
自分たちのできる最低限のことを粛々と進めるだけ。
無表情でハードボイルドな二人は、感情に表すより行動に移す。

女は犬を飼い、男がやって来るのを待つ。
男はパブで女の子バンドの演奏に背中を押され、
酒を断ち、きれいな身体で女と再会しようとする。
そんな二人がついに結ばれるかと思いきや、
またまた困難がのし掛かる。
でもそうなったらそうなったで、できることをするだけなのだ。
それが生きる希望に昇華していく。

そうか、映画で人生を教わることもあるんだ、と。
アキ監督、引退撤回してくれてありがとう。生きてて良かった。

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薄ら寒い笑いの果て

2023年12月14日 | 映画など
北野武監督「首」を見る。
生も死も、愛も憎しみも、喜びも悲しみも、
つまり人間の喜怒哀楽をぜーんぶ笑い飛ばし、
最終的には観客すら置いてけぼりにして、
「お前ら、馬鹿か」と
あっかんべえをしているような。そんな映画。


なぜ「あっかんべえ」かというと、
実際にそういう場面があるからだ。
六平直政扮する毛利軍の僧侶が
備中城主の荒川良々に切腹を決心させるときに
大泣きしながら、
浅野忠信扮する黒田官兵衛にしてやったりと
あっかんべえをする。
なんともまあ幼稚極まるというか、
これが人間の業だといわんばかりの名(迷)場面。

たけし演じる秀吉と大森南朋の秀長、
そして浅野の黒田官兵衛は
まさに3バカトリオというか。
コントまがいに人の心の裏の裏をかきながら
天下統一に近づいていく。

タイトル通り、首が飛ぶ飛ぶ。
ばっさばっさとあらゆる人物の首が斬られていく様は、
苦笑するやら、呆れるやらで、
そのうち首がいくら飛んでも気にならなくなってくる。

加瀬亮扮する信長が素晴らしい。
「皆殺しにきまっとるがや!」と暴れる場面に惚れ惚れする。
自分は名古屋弁ネイティブなので、
信長の罵倒の数々が心の奥まで染み渡る。
まともな人物がいない映画だと思いきや、
実はこの信長、狂気に満ちていながら、
もっとも現実感覚に長けている人物にも見えてくる。

あと、まともな人物といえば、
西島秀俊の光秀と、恋仲の相手、遠藤憲一扮する村重ぐらい。
それにしてもエンケンさん、あのいかつい強面で
恋する乙女そのものなところが可笑しくて可笑しくて。

すべてが笑い飛ばされ、
あらゆる価値観を無にしようとするのは、
これまでの北野映画と共通するものがあると思う。
なんかとんでもないものを見せられたなあ、と、
薄ら寒い笑いを浮かべながら映画館をあとにするわけで。

北野映画の最高傑作だという人がいてもおかしくない。
その反面、愚作中の愚作にも見えてくるわけで。
いまだ結論は出ていないのです。

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共感は悪

2023年12月09日 | 映画など
岸善幸監督「正欲」を見る。
「観る前の自分には戻れない」という
本作のキャッチコピーは言い得て妙。
知ったかぶりをしながら「多様性ってさあ」
「ダイバシティーとは」なんて声高に言ってる人は必見。


新垣結衣という人を、実はあまり知らない。
いや、まあ、CMでの姿はよく目にしているけれど、
この人の映画やドラマをほとんど見たことがなく、
ほとんど初めて本作で彼女の演技や佇まいに触れる。
劇中、ジェンダーバイアスかかりまくりの
暴言を吐く女性に向かって
憎悪の目を向ける彼女に戦慄し、
これはただ者ではないと。彼女も映画も。

そんな彼女が本作のクライマックスで
対峙(対決)するのが稲垣吾郎。
実はこの人のこともあまり知らなかった。
いや、もちろん元SMAPの人で他のメンバー同様、
芸達者な人だという認識はあったけれど、
これほど尊大で優生思想丸出しの男が
似合うとは思わなかった。けだし名演だと思う。

観客は登場人物のうち誰に共感するか。
大きく分けると、新垣か稲垣かのどちらかになるだろう。
いわゆるマイノリティーな性志向を持つ新垣が、
やっと出会った仲間である磯村勇斗との間を裂こうとする稲垣に対し、
それのどこが悪い。私たちにも生きる権利があるんだ。それを奪うな。
という力を突き刺してくるのだ。
揺らぐ稲垣。おそらく観客の多くもそうだろう。

マジョリティーだろうとマイノリティーだろうと、
それぞれの人間が持つそれぞれの
「正しい欲」について思いを馳せることを目的にした
メッセージ映画だと思う。
新垣の。磯村勇斗の。
稲垣の息子を演じた子役の目の力はそのためにある。

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見えないものを見ようとして

2023年11月16日 | 映画など
今泉力哉監督「アンダーカレント」を見る。
心の奥底に流れるものを、いかに映画として見せるか。
銭湯、川、湖、池、そして海。
水のイメージが映画を支配していき、
いつのまにか、水中で息を潜め、
スクリーンを見つめているような感覚になっていたという。


銭湯を営むかなえ(真木よう子)は、
夫の悟(永山瑛太)が突然失踪したあとも、
淡々と仕事を続けていたある日、
組合の紹介で堀という男(井浦新)が従業員となる。
お互い黙して語らずというか、
必要最低限の会話にとどめながら、
浴槽のタイルにブラシをかけ、薪を焚く。

何事も起こらなそうな日常のなかに、
ときおり湯船に浮遊するかなえのショットが
インサートされる。そのたゆたう姿は何を意味するのか。

主人公たちと同じく、
映画自体も黙して語らずで、
かなえや悟の足元を流れる川のショットが
頻繁に写し出されるのを見て、
そうかこの川の中に全てが埋まっているのか、
と思ったら、水の奥底に引き込まれそうな気分に。

そんなかなえの前に、俗っぽくも
リアルな立ち位置の探偵が現れ、
失踪した夫の行方を追いつつ、
彼女の閉じた心をノックしていく。
探偵を演じるリリー・フランキーはまさに適役というか。
こういう人物を演じさせると、実にいい味を出す。

心を水の奥底に沈めていたら、
ときおり水面に上がらないと
息継ぎができないだろうに。
そんな人間たちの静かなもがきを
なんとか映画に捉えようとする作り手たちの
美意識のようなものにどっぷり浸かった143分。

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