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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

底を掘った先の先

2024年09月06日 | 映画など
森ガキ侑大監督「愛に乱暴」を見る。
これは、すごい。
まるでラース・フォン・トリアーの
映画のように絶望の淵に落とされる落とされる。
江口のりこがビョークか
エミリー・ワトソンに見えてきちゃいましたよ、ほんと。


結婚8年目の桃子(江口のりこ)は、
義母(風吹ジュン)の家の離れに夫(小泉孝太郎)と住んでいる。
倦怠期なのか、とことん自分に無関心な夫と、
どこかコミュニケーションがズレていて
打ち解けることが難しい義母に挟まれながらも、
石けん教室の講師をつとめつつ、主婦業にいそしむ毎日。

そんな桃子だが、あるとき夫の浮気が発覚。
しかも浮気相手は妊娠しているという。
さらに唯一の社会との接点だった教室も終了してしまう。

「もう愛していない」「他に好きなひとができた」ではなく、
「一緒にいてつまらない」と言う夫の言葉もひどい。
さらに女性として、子を産む機会も別の女に取って変えられてしまう。
劇中、桃子がその女の家に怒鳴り込む場面がすさまじい。
その女は自分より若く、奇麗で、
教員というしっかりした仕事を持っていることに愕然となる。
妻として、女として、さらに社会人として、絶望の淵に追いやられる。

その絶望の予兆として、
近所のゴミ捨て場での放火騒ぎが映し出され、
桃子は自分の不安をかき消そうとするように、
ゴミ捨て場の掃除を執拗に続ける。
そしてついには、ホームセンターで、
チェーンソウを買い、夫と住む家を破壊し始める。

見ていてほんとにつらい。
実際、途中で映画館を出ていってしまう人が
3人ほどいたのに驚くが、見ていられないんだろうな、と。

桃子は不幸のどん底に墜ちていき、
家の畳を開け、地面を掘っていく。
自分の底を確かめるために。
深みにはまった自分を見つけるために。

夫に愛されない、
仕事がもらえない。かつて結婚退職したことが
ほのめかされるが、元いた会社への再就職も叶わない。
子供も産ませてくれない。誰も自分のことを認めてくれない。

他人の評価軸だけで生きているこの主人公は
永遠に幸福をつかむことができないと思わせるも、
最後の最後にほんの少しの希望が与えられ、
ある意味達観したというか、諦念を超えた主人公の
ふてぶてしい表情を見ることができるのだ。
これは希望の映画だと思う。絶望の先の希望、という意味で。

話は逸れるが、チェーンソウが出てくる映画は、
それだけで傑作の予感が漂ってきて、
その予感はおおむね正しかったなあ、と。


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チンケな男の存在価値

2024年09月01日 | 映画など
ジョセ・ジョヴァンニ監督
「ベラクルスの男」を見る。
フィルムノワール映画祭で上映された1本とはいえ、
フレンチの香りもノワール独特の暗さもない。
メキシコが舞台だし、これはもう西部劇というか、
マカロニウエスタンの影響大と見る痛快作。


現大統領派と革命派が対立している南米の国。
リノ・ヴァンチェラは革命派に雇われた殺し屋である。
夫人が住む邸宅の向かいで
革命派が大統領に担ぎ上げようとする
ミゲルという青年(初代大統領の孫)と共に暗殺の計画を練る。
いかにも青二才なミゲルを小馬鹿にするヴァンチェラだが、
実は優しい心根の持ち主だということがわかってくる。

革命戦争にありがちだが、
結局、革命派のなかで権力争いがあり、
現大統領を暗殺したはいいが、ミゲルは邪魔者となり
命を狙われるところで、頼りになるのがヴァンチェラ。
二人で逃げるクライマックスでの銃撃戦が見もの。

ヴァンチェラを狙う
革命軍のチンピラ兵士がいい味を出していて、
このチンケな悪役が最後の最後に
場面をさらう痛快さといったらない。
アルドリッチの「ロンゲストヤード」のラスト、
主役のバート・レイノルズに
銃口を向けるエド・ローターみたいだと言っても、
誰にも伝わりませんな。シネフィルの戯れ言ですみません。

ともあれ、
南米諸国の独立や革命運動を背景にした西部劇であり、
実際の歴史を頭に入れながら見ると、
一層面白く見られるのではと思ったりする。
ジョセ・ジョヴァンニって
ドロン主演の暗い暗い犯罪映画ばかりの監督だと思っていたけど、
こんなに明るくて開放的な映画も撮っているんだなと。

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飲んだくれにも幸せはやってくる

2024年08月10日 | 映画など
アキ・カウリスマキ監督
「愛しのタチアナ」を見る。
久し振りの再見。20年ぶりぐらいかしら。
いや。もう。すべてがいとおしい。
オフビートここに極まれり。
そしてこんなに心優しい映画だったとは。


コーヒー中毒の仕立屋バルトと、
ロッカー気取りの飲んだくれ修理工エレイノ。
このふたりの中年男が旅の途中で出会う
ロシア人のクラウディアとエストニア人のタチアナ。
この4人がフィンランドを南下し、
エストニアに向かう船に乗るために港に向かう。

せっかく女性を道連れにしたのに、
気の利いた会話など皆無。彼女らと目すら合わせず、
ひたすらテキーラをあおり、コーヒーを飲みまくる。
呆れるほど無骨でシャイな男たちだが、
とにかく心優しい連中だということだけは伝わる。
悪人ではなくかなりの善人だということもわかる。

それでいいではないか。
いい男でもないし、きっと金もない。
でも、心優しいんだからいいではないか。

ゆるゆるとクルマで港に着き、
別れの挨拶もまともにしないと思ったら、
彼女たちが乗ったフェリーに
まんまと乗り込んでくる男たちの
未練たらしさというか可愛さというか。

とにかく、
飲んだくれのエレイノを演じた
マッティー・ペロンパーに尽きる。
しかもカティ・オウティネン演じるタチアナを
見事に射止めるわけで、カッコいいことこの上ない。
20年前に見たときは、こんなおっさんになれたら
いいなと思ったこともあった。

そんな自分は、20年後のいま、
特に心優しくもなく、善人でもなく。
飲んだくれで金がなくてオフビートなところだけは
似てしまったようだ、ってほっとかんかい、あん?
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喜怒哀楽のきわみ

2024年08月05日 | 映画など
ケルシー・マン監督
「インサイド・ヘッド2」を見る。
いや。あの。ディズニー&ピクサーの作品は
苦手というか喰わず嫌いだったけれど、
去年、仕事がらみでおもな作品を片っ端から見る機会があり、
夢も希望もないシネフィルのおっさんが見ても
いや、だからこそ見るべきだと思っている次第です。
なかでも「インサイド・ヘッド」はまごうことなき傑作。
続編があると聞き楽しみにしていたわけで。
そして、期待通りの面白さだったという。


ヨロコビ、カナシミ、イカリなど
主人公の少女ライリーの脳内にある
さまざまな感情がキャラクターになって、
彼女をコントロールしようとする。
その発想自体がユニークだし、
人間というものは感情に左右される生き物だと
いうことがあらためてわかるというか。

前作では感情キャラが4人だったけど、
今作ではライリーが思春期に突入。
あらたにシンパイ、ハズカシ、ダリー(だるい)
などの複雑な感情キャラが新登場し、
ライリーの脳内はてんやわんや(死語)。

脳内で起こる大騒動を
カラフルでファンタジックな美術と造形で
どこまでも観客を楽しませようとする作り。

メッセージも明らかだ。
どんな感情を発出させたとしても
それは全部ライリー自身であり、そんな彼女が
自分で自分を受け止める物語であることが示される。

すぐれた映画というのは
人間の喜怒哀楽が詰まっているものだけれど、
本作はまさに感情たちが所狭しと
スクリーンで暴れ回っている
面白さと楽しさでいっぱいだったのです。

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月と猫とロケットと

2024年07月30日 | 映画など
グレッグ・バーランティ監督
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を見る。
1960年代、米国が国家の威信をかけて
おこなったアポロ計画の裏側を描いたコメディ。
これはいいなあ。スカヨハいいなあ、
アメリカ映画だなあ、アポロ関係の映画は外れがないなあ、
といった幸福感にどっぷりと浸かるのでした。


世界中に中継された
アポロが月面着陸した映像。
実はフェイクだったという噂はよく聞く。
かつて「カプリコン1」という、
宇宙飛行士が政府の命令で
ニセの火星着陸を演じたあと命を狙われる
すこぶる面白い映画があってねえ、げしし、
と自慢げに話すシネフィルのおっさんはスルーしましょう。

そんなコトはともかく、
本作はもし月面着陸が失敗した場合のことを考え、
月面のセットをつくり、
そこで着陸の様子を中継しようという展開がクライマックス。
批判や揶揄で笑わそうというのではなく、
基本的にアポロ計画を支える研究者、技術者たちを
リスペクトした作りがベースとなったコメディで、
見ていて気持ちがいい。
上記のフェイク映像は、映画を盛り上げるための
スパイスのひとついうことがわかってくる。

NASAの発射責任者の
チャニング・テイタムの堅物な感じと、
広告マンを演じるスカヨハの
手八丁口八丁なところ。
ふたりがケンカしながらも、惹かれ合っていく展開は
お約束とはいえ、アメリカ映画はこうでなくちゃ、と。

スカヨハの秘書のお姉さんや、NASAの若手研究員の青年たち、
フェイク映像を演出する大監督気取りの男、
そして、大統領の側近でスカヨハに
フェイク画像をけしかけるウディ・ハレルソンなど
脇を固める俳優がみんないい味。
物語の節目節目で登場する猫も、いい。

まあ、猫とスカヨハだけで満足してましたけど
という、ダメダメなシネフィルの戯れ言でした。
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おっさんが生きる価値

2024年07月21日 | 映画など
フランク・キャプラ監督
「素晴らしき哉、人生!」を見る。
言わずとしれた名作中の名作だけど、
実はこれまで未見。シネフィルって何でも見ているようで
大して見ちゃあいないんです。すいません。
といつもの自虐モードはともかく、
コレを見ないうちに死ななくて良かった。
つまりは生きてて良かった。大袈裟でなくそう思う。
ありがとうキャプラ。ジミー。そしてシネマヴェーラ。


80年近く前の映画とは思えないというか。
善良な不動産会社の若社長ジミー・スチュアートが、
まっとうな商売をすればするほど、
悪徳な金融業者どもが資本主義の論理で
じわじわと追いこまれていく様子はリアルだなあと。
現在でもよく見られる光景なんじゃないかと思ったりする。

大金を失い、絶望して
川に身を投げようとするジミーの前に現れたのが天使。
それも二級の冴えないおっさんで、演じる
ヘンリー・トラヴァースのとぼけた味が楽しい。

オレなんか生きてても価値のない男だ。
そう嘆くジミーが見る、自分がいない世界のおぞましさ。
たたみかけるような悲惨な描写で、
オレがいないとこんなに世の中はひどいことになっているのか、と。
つまり、オレはいなきゃいけないんだ。死なずに生きるんだ。
というジミーの心境が観客とシンクロする。
生きる価値なんぞ知るもんか、ふん。
とやさぐれている観客(自分、だ)は特に癒やされるのである。

リアルな描写を積み重ねて、
最後の最後にものすごいファンタジックで
楽観的なクライマックスを仕掛けるキャプラの面目躍如というか。
本作は公開時大コケで、以降のキャプラは不遇だったと聞くが、
「スミス都へ行く」「オペラハット」「或る夜の出来事」など、
傑作の多いキャプラ映画の集大成なのは間違いない。

勢いあまって、井上篤夫
「素晴らしき哉、フランク・キャプラ」
(集英社新書)も読んでいるが、これがものすごい名著。
ワクワクが止まらない面白さというか。
キャプラ映画を見ているように
読み進められるところが素晴らしい。
ヴェーラのキャプラ特集に行く人は必携でしょう。

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さんざん後悔して泣くがいい

2024年07月12日 | 映画など
押山清高監督「ルックバック」を見る。
漫画の才能に絶対的な自信を持つ藤野。
引きこもりだが圧倒的な画力を誇る京本。
この二人の女の子がひたすら描くことに情熱を傾ける
掛け値なしの青春物語。演出と作画の力も相まって、
まさに傑作。勢い余って原作も即買いして
一気読みしちまいました。


私より絵ウマい奴がいるなんてっ
絶っっ対に許せない!

動機やモチベーションはどうあれ、
主人公の藤野は京本への
ライバル心を燃やし、ひたすら描く。
机に向かって、スケッチブックにひたすら描く。
その懸命さ、描いて描いて描きまくる後ろ姿。

京本は藤野の漫画の背景を担う。
藤野は机に向かい、
京本は床にすわりテーブルに向かって描く。
またしてもひたすら描くだけの描写が続く。
画面は驚くほど動かない。静止画の連続なのに、
こうしちゃいられない、といますぐ映画館を出て、
自分のやることをやらないとダメだろうと思わせるほどだ。
映画館に埋没させる映画はたくさんあるが、
映画館から出て行けと思わせる映画は、そうそうあるものじゃない。

とはいっても映画は1時間足らずだったし、
見ている途中で出ることはなかったのは、
クライマックスの、もしかしてあったかもしれない
もうひとつの青春物語が怒濤の展開だったからだ。
驚き、感極まり、そして前を向くための
勇気を大いにもたらしてくれて号泣。


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饂飩の味

2024年06月29日 | 映画など
濱口竜介監督「悪は存在しない」を見る。
タイトル通りの映画だと思う。
悪は存在しない。じゃあ何が存在するのか。
いくら眼を懲らしても、山と雪と水とそこに住む人と、
都会からやって来た人と車と鳥と鹿しか見えず、
耳を澄ましても、不安をあおる音楽が鳴り響くだけなのだけど。


グランピング場の設営計画が持ち上がった
長野の自然豊かな町で起こる不協和音。
政府の補助金目当てで
グランピング場を作ろうとする東京の芸能事務所と
設営による環境汚染を防ごうとする
町の人々との対立のドラマに緊張が走る。
明らかに設営しようとする芸能事務所の男女が
悪者だと思いきや、彼らの心情が細かく語られ、
悪って存在しないんじゃないの? 
と見る者の心をゆり動かす映画になっている。

ぐらぐらと揺れながら見ていくうちに、
予想もしなかった方向に映画は進んでいく。
町を、山を、自然を怒らせた罪で
人間たちが試練を受けてしまうような結末に呆然とする。

似た映画を思い出した。
「もののけ姫」だなあ、と。鹿も出るし。
ともあれ、自分は何を見て、聞いて、
何を感じたのかを自問自答する106分。

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躍動さらさら

2024年06月22日 | 映画など
ジョン・カサヴェテス監督「グロリア」を見る。
初公開時に見たきりで、何十年ぶりかの再見。
名作であることは決まり切っているけれど、
いやあ。惚れ直しました。
ジーナ・ローランズすげえ。演出すげえ。
ロケーションすげえ。ガンファイトすげえ。


ジーナ・ローランズすげえ。
アヌーク・エーメも理想の大人の女性だが、
本作のジーナ・ローランズにもその称号を捧げたい。
度胸があって、ここぞというときの胆力もあって。
理性より本能が先に働くそそっかしさもありながら、
ギャングどもに銃をぶっ放すときの迫力といったら。
男社会のギャングの中で渡り合った
メンタルの強さは筋金入りだが、女だから割を食った経験も
さぞかし多かっただろう。
その恨みつらみを炸裂させるところのカッコ良さ。

演出すげえ。
親友の息子フィルを連れて逃げるグロリアだが、
ニューヨークの街という街にギャングたちが
蠢いていて、街の雑踏のなかで生きるか死ぬかの
やりとりが展開される。サスペンスを
たたみかけるような演出というよりは、
特にハッタリの少ない日常描写のなかで、
ところどころにグロリアの
喜怒哀楽を浮かび上がらせようとする感じ。
と言ったら、見た人には伝わるだろうか。

ロケーションすげえ。
ニューヨークのサウスブロンクスで撮影したらしく、
人物が風景に溶け込んでいて、
それでいて、キャラが立っているというか人間くさいというか。
グロリアがタクシーを巧みに使って、
逃げたり追いかけたりするのだけど、
その運転手がみんな一癖も二癖もあり、
なんとも豊かな映画になっているという。
音楽もいい。「ロッキー」のビル・コンティらしく
勇ましいがどこか哀感のある劇伴が
エンタテインメントとしての魅力を増幅させている。

ガンファイトすげえ。
ガキを渡せと言われて、
グロリアが拳銃を初めてぶっ放す場面。
ついに一線を越えてしまった場面のショック度がたまらない。
カサヴェテスは活劇を撮らせても上手だったんだなと。

おそらくカサヴェテス映画の中で
もっともヒットした作品で、そもそも彼は
子供が出る映画は売れると聞き、
脚本は書いたが、監督するつもりはなかったという。
映画が完成しても映画会社は満足せず、お蔵入りになりかけたが、
スピルバーグが絶賛して公開にこぎつけたらしい。
カサヴェテスはこの映画の続編の脚本を書いており、
10年後にグロリアとフィルが再会し、
またギャングに追われる話らしい。
いつか息子のニックか娘のゾエが監督してくださいな。


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ただひたすらの眼力

2024年06月02日 | 映画など
ジョージ・ミラー監督
「マッドマックス:フェリオサ」を見る。
実はこのシリーズに
それほど思い入れがあるわけではなく、
新作が公開されれば、まあ見るかなあという感じではあるのだけど、
今回はけっこう前のめりだったという。
それはひとえにアニャ・テイラー=ジョイが
主演しているからなのです。逃げも隠れもいたしません。


そのアニャ嬢が演じるのは、
前作「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」で
事実上の主役だった女隊長フェリオサ。
彼女の若き日を描く前日譚だ。

「譚」とは物語の意味だが、
本作はほぼ物語というかドラマがない。
あるのは、暴走と殺し合いばかりの殺戮世界だ。
アクションに次ぐアクション、という言い方が
生ぬるいというか、だだっ広い荒野のなか、
延々と大暴れする連中をただただ追いかける映画。

アニャ嬢はほとんど台詞がない。
その印象的な目のなかに怒りを膨らませて
母親の仇であるバイカー軍団への復讐に燃える。
荒涼きわまる映画だけれど、意外と明るいイメージなのは、
バイカー軍団の首領ディメンタスを演じる
クリス・ヘムズワースの陽気な個性のおかげだろう。
のらりくらりというか、C調(死語)な悪役。
どこか憎めなくて、フェリオサにぶち殺されなくても
いいんじゃね? と思わせるほどだ。

ともあれ、俳優陣の体を張った怪演を楽しみ、
アクションに酔いしれるのがいいだろう。
過去のシリーズとの整合性や伏線、世界観を細かく
味わうことができれば楽しみも倍増だと思う。
自分はそこまでのファンではないので
誰か詳しい人、本作の楽しみ方を教えてくださいな。

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