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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

浮遊と文学

2020年10月25日 | 映画など
青山真治監督「空に住む」を見る。
文学だな、と思う。映画で文学。


不慮の事故で両親を亡くした直実は、
猫のハルと一緒に、
叔父夫婦が所有するタワーマンションに住むことに。
彼女は同じタワマンの住人で
人気俳優の時戸と知り合いになり人目を忍ぶ間柄になる。

「空に住む」のタイトル通り、
どこか宙に浮いている感のある直実は、
俳優と逢瀬を重ねても、生きている実感のようなものが掴めない。
彼女が勤める出版社は、古風な民家。
社員はみんな畳の部屋で仕事していて、
タワマンの空気感とはまったく好対照だ。
地に足を付けようとしている人たちが多いというか、
典型的なのは直実の同僚の愛子で、
フィアンセがいるにもかかわらず、
作家の吉田の子を宿していて、
「難しいことを考えていると幸せがどこかにいっちゃうよ」
とうそぶく女性で、宙ぶらりんの直実を挑発する。

直実のカチカチな生き方や言葉使いがもどかしい。
自分と同化していた猫が病気になって初めて、
感情を吐露し始め、アイデンティティを掴んでいくのだけれど、
そのあたりは明確に示されない。観客はあくまで彼女の行動や仕草、
言葉使いを丁寧に追いかけていく必要があり、
彼女に共感できるかどうかが試されるのだ。

文学とは小説に限らず、
人間の言葉にできない感情や、ふだん心の奥に隠し持っている
モヤモヤとしたものをあらわにするものだと思うけれど、
そういう意味で本作はかなり文学的だなあ、と。
青山監督は小説家でもあるわけなので、
そういえば「東京公園」などの近作も文学的な映画だったと記憶している。


とかなんとか、
「文学」という言葉を多用して、
カッコつけて書いてますけど、
神様(多部未華子)が出てるから見たんです!
逃げも隠れもいたしません。

自分が自分でないようなアラサーの女性を、
ナチュラルに演じているのはさすが神様(多部未華子)。
こんな調子でどんどん映画に出てくださいな。
神様(多部未華子)と好対照な女性を演じた岸井ゆきのは、
「愛がなんだ」以降、すっかりやさぐれた女の人が
似合うようになったというか。
もしかするとこれからの日本映画は
この岸井さんや伊藤沙莉といった個性的な女優さんが
支えていくのかもしれない。

鶴見辰吾、大森南朋、永瀬正敏、そして柄本明といった
ベテランや大御所を脇に配置したキャスティングは贅沢の極み。
一瞬だけ片岡礼子さんが出ていたけど、
ああ青山監督「チンピラ」のヒロインだ、もっと登場して欲しかった、
と思うのは、シネフィルの戯れ言です。


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引っ越し・イン・ザ・ダーク

2020年10月19日 | 映画など
藤田敏八監督「赤ちょうちん」を見る。
いわずと知れた70年代青春映画の名作だけど、これまで未見。
シネフィルってどんな映画でも見ているようで、
実は大して見ていないのです。
とシネフィルの薄っぺらさを告白する自分。
それはともかく、本作は名作どころではない。
とんでもない大傑作ではないかと感じ入ってしまった次第。


若くして子どものできたカップルが、
都内のあちこちを引っ越しながら、生活していく。
90分ちょっとの映画のなかで、ふたりは5箇所ぐらいの引っ越しをして、
住むアパートや家屋での生活や仕事、
隣人たちの交流や確執が描かれる。
ふたりは結局住んでいるところに嫌気が差し、
ここではないどこかに移動していく。
これは一種のロードムービーと言っていい。

生きてることはただそれだけで、
哀しいことだと知りました。

という、かぐや姫のタイトル曲の歌詞。
これがまさにこの映画のテーマであり、
若いふたりがどこに行っても幸せになれない切なさ。
それぞれの町で出会う人々が一癖も二癖もある連中というか、
100パーセントの悪人も善人もいない。
そんな曖昧模糊な世界で、がさつだけど
気のいいあんちゃんの高岡健二と、
トラウマを抱えながら、無垢な面を見せる秋吉久美子。
純粋で無軌道なふたりに、映画は残酷な試練を与えるのだ。

公開時に見ていたら、
秋吉さんのヌードにドキドキするだけで、
たぶんこの映画の重さを受け入れられなかったと思う。
大人になって(おっさんになって、とも言う)、

生きてることはただそれだけで、
哀しいことだと知りました。

というフレーズが滲みる年齢になったということだろうか。
ともあれ、大傑作。


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用があったら口笛を吹いて

2020年10月07日 | 映画など
ソフィア・コッポラ監督「オン・ザ・ロック」を見る。
なんともゆるい娘と父のコメディ。
ニューヨークが舞台だからだろうか、
ウディ・アレン的なテイストで進んでいたかと思えば、
ときおりキレた演出が挟み込まれたりする映画。


精神的に親離れ・子離れできない親子の物語なんだなと思う。
娘は結婚して子供もいるというのに、
いつまでも「自分の娘」であることに固執する父。
親離れしたいけれど、あまりにも魅力的な父に
夫とのすれ違いを不満げに話す娘。そして一緒に夫を尾行する。
父がスポーツカーをぶっ飛ばす場面は実に痛快だ。

父を演じているのがビル・マーレイなのだから、
それはそれは魅力的に見えるだろう。
でも、実はクズ男であり、ないがしろにされた
家族のことで軽くなじる娘の言葉は、
このジジイにどれくらい刺さったのだろうなと思う。

父と娘をつなぐものが口笛で、
「吹けなくなっちゃった」と嘆く娘に、
「こうやって吹くんだ」と教える父。
そんな親子の行方は、果てしなくやさしく
ソフトランディングしていくのでした。


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世界の終わりと些末なあれこれ

2020年09月25日 | 映画など
クリストファー・ノーラン監督
「TENET/テネット」を見る。
物語の整合性とか、SF的考証とか言ってると、
この映画についていけなくなるのは明らかだろう。
映画の冒頭に出てくる「考えるな、感じろ」という
ブルース・リー的な台詞に従い、
スクリーンに映し出され、
流れていくものを見るしかない。
そもそも映画というものは、そういうものではなかったのか、と。


時空を行ったり来たりする力を
身につけた工作員が、
同じ力を持つ武器商人の陰謀を阻止する、
ということさえわかればいい。

あとは、時間が進んだり逆行したり、
同じ人物が同じ空間に入り交じったりするなか、
生きるか死ぬかの銃撃戦やカーチェイスが繰り広げられる。
それを大きなスクリーンでじゅうぶん堪能する。
考えるのは見終わってから、だ。

ジョン・デビッド・ワシントン演じる、
主人公の工作員には名前がない。
この青年は何者なのか。特殊な能力があるがゆえの孤独。
戦いを強いられる理由は何なのか。

黒幕である武器商人は絵に描いたような悪人だ。
というか、こんな大作の敵役にふさわしくない小物ぶりを
ケネス・ブラナーが上手に演じていたと思う。
その武器商人に虐待を受けている妻。
演じるエリザベス・デビッキの美しさ。
この夫婦がやけに人間くさくて、
アイデンティティーの無い主人公とは好対照。
主人公とその妻は、決して結ばれることはないんだろうな
という諦念が漂ったりする。

めまぐるしい展開のなか、浮かび上がってくるのは、
なんともいえないやるせなさというか。
絶望感と言っていいかもしれない。

見た映画館ではデジタル上映だったけど、
質感はあきらかにフィルムで、ノーラン監督のこだわりが見てとれる。
再見するとしたら、IMAXじゃなくていいから、
フィルム上映で見たいな、と。

コメント (4)
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誓いの休暇二日目

2020年09月20日 | 映画など
藤井道人監督
「宇宙でいちばんあかるい屋根」を見る。
ブレイク寸前、
というかすでにブレイクしているのかな。
次の次の朝ドラのヒロインが決まっている
清原果耶さんの主演作。



14歳のつばめを演じるのが清原さん。
両親と温かな生活を送っているように見えて、
血の繫がっていない母と、
実の父とのあいだに子供が産まれることを知り、
どこか疎外感を感じている。
そして隣の家の大学生の亨(伊藤健太郎)に
ほのかな恋心を抱いている。

そんなわだかまりと焦りを抱えた中学生の前に、
怪しい老婆があらわれる。
つばめが星ばあと呼ぶその老婆を演じるのは桃井かおり。

傍若無人な星ばあは、
なかなか前に進み出すことができない
つばめの背中を押す役割を果たす。

清原果耶の主演映画なのに、桃井かおりが出てきた途端、
この老婆に感情移入してしまう。
それはたぶん、これまでさんざん
桃井かおりの映画にお世話になったからだろう。

森田芳光監督「メインテーマ」で、
「セクシーになるにはどうしたらいいんですか」
と聞く元祖神様(薬師丸ひろ子)に、
「頭をからっぽにすることよ」と
元祖神様の頭をコツンとする桃井かおりの再来、と
言ったらシネフィルの戯れ言になるのかな。

ともあれ、役の中だけでなく、
清原果耶という女優の成長を見守る映画というか。
そんなスタッフと観客の期待に応え、
泣いて笑って怒って、雨に打たれて、シャワーを浴び、
自転車で坂を駆け下りるアイドル映画の主演をまっとうするのでした。

と、大いに満足したところで、
この4連休のどこかで「丸ごとカニバーガー」を食すと
固く誓った自分がいたことを思い出すのでした。
あと2日か。たぶん大丈夫大丈夫。


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哀しみと強さ

2020年09月12日 | 映画など
キム・ボラ監督「はちどり」を見る。
震えるほどの傑作。
韓国映画はどこまでレベルが高くなるんだろう。
時代と因習と家族に翻弄される少女を通して、
浮き上がってくる経済成長真っ盛りの90年代の韓国。


主人公は、14歳の中学生ウニ。
餅屋を経営している両親、姉と兄と
ソウルの団地に暮らしている。
日韓ワールドカップを前にした時代の韓国。
中流、あるいはそれよりちょっと下の
家庭ってこんな感じなのか、と。日本と変わらない気がする。

それにしても、
韓国の男性は威張ってるなあと思う。
教師はやたらに高圧的だし、父親は思い切り権威を振りかざし、
勉強ができそうな兄ばかりひいきする。
その兄は、ウニが口ごたえしただけで暴力を振るう。
徹底的な父権社会というか、パターナリズムがまかり通っている社会。
そんな社会で、ウニだけでなく、姉や母親など、
女性たちの精神が精神が蝕まれている描写が続く。

そんな社会に抗おうとしているのか、
ウニは男の子と付き合ったり、万引きしたり
不良のまねごとをするのだけど、
どうにもならない閉塞感にぶち当たるところの悲痛さ。

劇中、ウニは首にしこりができる。
それが深刻な腫瘍だと判明するのだけど、
そのしこりが暗喩するものは、一体何なのだろうか。
そのあたりは観客の想像に委ねられている、というか、
テーマらしきことはまともに語られず、
ひたすらウニのヒリヒリする感情を追いかけていく。

唯一の救いは、ウニが漢文の塾で知り合った女性教師に心を許す場面。
その女性教師がウニに「殴られたら黙っていては駄目」と諭す。
そこにかすかな希望と、宿る力のようなものを
ウニだけでなく、見ている観客も受け取るのだ。
北朝鮮の金日成死去のニュースや、実際にあった、
ソウルにある大きな橋の陥落事故。
誰かが死んだり、壊れたりすることで
韓国の社会や時代が少しずつ変化していく様子が
背景的に描かれるのも見逃せない。

厳しくて強靱。そして確かな希望に溢れた映画。







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飛び立つ前に

2020年09月09日 | 映画など

オリヴィア・ワイルド監督

「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー」を見る。

よくある米国の高校生の

卒業前の馬鹿騒ぎコメディだと思ったら、

いや、まあそういう映画なんだけど、

イケてないふたりの高校生の女の子が一夜のあいだに、

葛藤し、自分の中のなにかを突破しようとする成長譚。

 


成績は優秀で、名門大学に入学が決まっているモリーは、
自分が勉強しかしてこなかったことを後悔。
青春を取り戻そうと、
親友のエイミーと卒業式前夜のパーティに繰り出す。

お勉強ができるキャラは
たいてい悪役っぽく描かれるわけで、本作のモリーもそう。
実際、こんな女子が近くにいたら
めんどくさいだろうなと思ったりしながら見る。
親友のエイミーは同性愛者だとカミングアウト済みで、
パーティで意中の女子と仲良くなることを夢見ていて、
女子が女子をナンパする場面の描写に目を見張る。

基本的に馬鹿騒ぎコメディだけれど、
主人公のふたりが、自分の生き方に悩むシリアスさも
しっかり描こうとしているので、ああ、青春映画だなと思う。

テイストはまったく違うけれど、
先日見た「アルプススタンドのはしの方」と
共通するテーマがあるような。
アメリカでも日本でも、ティーンエイジャーを
ちゃんと描こうとすると、似通ってくるのかもしれない。

本作の監督はオリヴィア・ワイルドという人。
どこかで聞いた名だと思ったら、
イーストウッド監督「リチャード・ジュエル」で
ビッチな新聞記者を演っていた女優さんだった。
本作がデビュー作とのこと。いい映画を撮ったと思います。
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見えないものが見えたとき

2020年09月02日 | 映画など

ジェームズ・マンゴールド監督

「フォードvsフェラーリ」を見る。

おお。これは傑作ではないか。

今年のオスカー作品賞が「パラサイト」でなく、

この映画であっても全然問題ないという気がする。

 


天才レーシングドライバー、ケン・マイルズって
こういう人だったんだ、と感心するやら呆れるやら。
あまり一緒に仕事はしたくないタイプなのだけれど、
反骨精神を内面に抱えている感じを、
クリスチャン・ベイルがものすごく上手に演じていると思う。
この俳優の表情や行動、レーサーぶりが
実にハードボイルドでカッコいい。

キャロル・シェルビーを演じたマット・デイモンも好演で、
フォードの上層部と、レースの現場の挟間で苦悩しながらも、
ル・マンでフェラーリに勝利するという野望に突き進む。
ほぼ表情を変えないクリスチャン・ベイルを相手に、
受けの芝居に徹していたところが素晴らしい。

レースでの戦いぶりが、ピュアに描かれれば描かれるほど、
ふだん汚れた世界にどっぷり浸かっている観客(自分も、だ)は、
己の体たらくを棚にあげて、主人公たちを
応援し続けるのでした。

そして俗人では見ることのできない境地を
少しだけ観客に見せてくれつつ、渋味のあるエンディングに到達する。

映画を見ているのか、
それともレースを見ているのか。
そんな気分にもなってくる。たぶんその両方なんだろうな、と。



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ゆらぎとさまよい

2020年08月25日 | 映画など

ロベルト・ロッセリーニ監督「ドイツ零年」を見る。

第二次大戦直後のベルリンで、貧困にあえぐ一家。

食うために、家族を救うために、

戦禍のあとが痛ましい街を彷徨する少年の物語。厳しくも愛おしい。

 

 

第二次大戦直後のベルリンの崩壊ぶりが凄まじい。

文字通りリアルなロケーションで描かれる少年とその家族。

12歳の少年エドモンドは、年齢を偽って働こうとするが叶わず。

病弱な父親と、ナチ党員であったことを隠してひきこもる兄。

キャバレーで連合国の軍人たちを相手に日銭を稼ぐ姉。

誰もが戦争に傷つき、お金も希望もない毎日が描かれる。

 

少年は家族のためにお金を稼ごうと、

小さな悪事を積み重ねるが、

不良少年たちの仲間に入ることもできず、

ちょっと好意を持っていた不良少女にも邪険にされる。

絶望に駆られながら、ベルリンの荒廃した街を歩き、走り、彷徨う。

その姿に目が離せなくなってしまうのは何故だろう。

 

こんな映画、見たことがあったなと思ったら、

思い出されてきたのが

トリュフォーの「大人は判ってくれない」とか、

成瀬巳喜男の「秋立ちぬ」。

相米慎二の「お引っ越し」や「ションベンライダ−」。

 

少年少女がわけもわからず、

彷徨い続ける映画は、ただひたすら美しい。

本作は、こうした映画のパイオニアなのかもしれないな、と。

 

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おっさんの涙は見たくない

2020年08月14日 | 映画など

城定秀夫監督「アルプススタンドのはしの方」を見る。

おお。これはいい。

前向きに生きることを

とうの昔にあきらめたおっさん(自分、だ)には、

涙なくしては見られない出色のスクールムービー。


 

夏の甲子園に出ている野球部の応援で、

熱心に応援しているクラスメートたちを尻目に

スタンドの端っこの方でやさぐれる高校生たち。

演劇部の安田と田宮。元野球部の藤野。

そして成績は優秀だけど友だちのいない宮下。

基本的にこの4人の会話劇であり、

カメラはほぼスタンドだけをとらえ、

決して野球の試合が映されることはない。

舞台的だと思ったら、ほんとに戯曲が元になってるんだな。

全国の高校で上演されている人気作らしい。

 

それはともかく本作は、

スクールカーストの序列から外れた高校生たちの

冴えない会話の中から浮かび上がってくる、

それぞれの鬱屈した思いにひたる前半。

そして野球なんて興味ねえよ、的な態度だった彼女たちが、

まさにその野球の試合を見ているうちに

次第に前向きな気持ちを取り戻していく

後半のクライマックスに感涙。

彼女たちのセリフからしか、試合の状況はわからないのだけど、

観客は脳内でその試合を鮮やかに映し出すのだ。

 

もし自分が高校生だったら、

アルプススタンドのどのあたりにすわっていたんだろう、

と想像するのも楽しい。どこにすわっていたかは言いません。

 

 

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