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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

から騒ぎから回り

2020年08月07日 | 映画など

大島新監督「なぜ君は総理大臣になれないのか」を見る。

「なぜ」と問われているのは誰か。

それはもちろん主人公である

小川淳也議員に向けられた問いなのだろうけど、

見ている観客にも問いかけられているような気がしてならない。

 

 

主役の小川議員は元総務省の官僚で、

「社会を良くしたい」という大きな志を持って2005年に初当選。

民主党から民進党、希望の党を経て現在は無所属。

当選5期を誇るが、比例当選が多く、発言権は決して強くない。

所属する政党がめまぐるしく変わるなか、

まっすぐで気高い政治思想があっても

党利党益に与しないと、ちいとも出世できず、

総理大臣になるというでかい夢からだんだん遠ざっていく。

まさにドブ板と言える、泥臭さ満点の選挙戦で頑張れば頑張るほど

小川議員の知らないところで物事が動き、

いつの間にか翻弄されてしまっていく姿がなんとも悲痛。

 

その一生懸命な姿は、映画の主役として非常に栄えるし、

先の衆院選で、苦渋の決断で希望の党公認を受け、

ドロドロの選挙戦を戦う様子はかなりスリリングで、

ああ映画を見てるなあ、という醍醐味と共に、

観客の多くは小川議員を応援したくなるだろう。

 

誠実だとダメなのか。清濁併せ呑まないとダメなのか。

そんな声が映画の中でも聞こえてきて、

するってえとなにかい?

政治家は悪人じゃなきゃ務まらないっていうのかい?

という突っ込みをスクリーンに向かってしたくなり、

感情を大いに揺さぶられるのでした。

 

監督の大島新は、あの大島渚監督の息子なんだな。

だからといって、父親の作品と比べるのは無粋でしょう。

本作は出色の面白さだし、それでいいのではないか、と。

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風景に溶け込むコワモテ

2020年07月30日 | 映画など

イ・ウォンテ監督「悪人伝」を見る。

いま旬の俳優というと、ティモシー・シャラメ君と、

この人、マ・ドンソクなのだろう。

なんともまあ強面というか凶悪というか、

このおっさんの顔だけで映画が2時間持ちそうだけど、

本作は旬の俳優におんぶにだっこではなく、

ハッタリの効いた演出と、

熱のこもった登場人物たちが跋扈し、暴発する。

気の利いたラストも楽しい、クライムアクションの快作。

 

 

極悪なヤクザの組長が、何者かに刺され、

奇跡的に命を取り留めたことから、

その謎の殺人鬼を追う刑事と結束するストーリー。

 

ヤクザはとことんヤクザだし、

刑事はとことん暴力上等だし、

殺人鬼はとことんサイコパスという。

わかりやすいトライアングルでありながら、

映画はこの3人の誰にも感情移入しない。

三者三様の血みどろの闘いをただ見せられることの快感。

 

こんな映画、前に見たことがある。

セルジオ・レオーネ監督「続・夕陽のガンマン」(66)は、

善玉、悪玉、そして卑劣漢の3人が金貨をめぐって争う西部劇だったし、

ウォルター・ヒル監督「ザ・ドライバー」(78)も、

ドライバーと刑事、それからギャンブラーの女の3人が入り乱れる

カーアクション映画だった。2作とも傑作だったのは、

登場人物の誰にも思い入れが込められていないこと

そして、登場人物は、ガンマンとか走り屋といった、

与えられた役割をひたすら果たしていたからだろう。

ひたすらハードボイルドな職業映画と言ってもいいかもしれない。

 

本作「悪人伝」もその継承にある映画かな、と。

ともあれ、意表を突いた展開と、

オチの付け方のセンスに感嘆。

 

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まろやかで深く

2020年07月24日 | 映画など

阪本順治監督「一度も撃ってません」を見る。

時はすでに2020年。

日本映画界には、

松田優作もいないし、原田芳雄もいない。

だが、しかし。石橋蓮司がいるではないか。

こうして19年振りの主演作がつくられたのは、

かつて松田優作の遊戯シリーズや角川映画、

原田芳雄のアウトロー映画に

胸をときめかせたシネフィルたちへのプレゼントだと思いたい。

じっくり熟成させたワインのような、

日本のハードボイルド映画の到達点で、円熟の極み。

 

 

石橋さん。

佇まいが絵になる、というか。

この人がサングラスにハット、

トレンチコート姿というだけで映画になる。

そんな石橋さんが演じるのは、売れないハードボイルド作家。

夜な夜な街を徘徊しては、小説のネタを仕入れ、

全共闘世代の仲間で、

いまはヤクザな弁護士(岸部一徳)から、殺しを請け負い、

自分の手は汚さず、武器マニアの青年(妻夫木聡)に丸投げするという。

怪しいけれど、思い切りヘタレなジジイという役どころ。

そんな石橋さんが、ヤクザに目をつけられ、

これまで銃なんかいちども撃ったことがないのに、

ついに戦うことになってしまいそうになる物語に、

思わず笑いつつも、サスペンスフルな展開が飽きさせない。

 

昔ちょっと売れた歌手を演じる桃井かおりが素晴らしい。

岸部一徳もふくめ、みんな革命を目指して挫折した人たちであり、

老齢になっても、何かに抗おうとする姿がカッコいい。

 

かつて若松孝二監督が90年に、

原田芳雄と桃井かおり主演で撮った

「われに撃つ用意あり」という映画があった。

全共闘くずれのアウトローが、

自分に落とし前をつけるために戦う原田芳雄は

時代に遅れてはいたけれど、まぎれもないヒーローだった。

あの映画では石橋さんは、原田芳雄の古い友人役で、

アル中で野球狂のおっさんを演じていた。

ヤクザにあっけなく殺される役どころだったけど、

あのおっさんが実は死んでおらず、

なんとかごまかしながら生きながらえてきたのだけど、

いよいよ落とし前をつける番がやってきたのが今回の主演作なのだろう。

「われに撃つ用意」なんか全然ないのに。

 

相変わらず名台詞が連発する丸山昇一の脚本と、

阪本順治監督のムーディかつコミカルな演出も効いている。

石橋さんが78歳にして、

ついに日本のハードボイルド映画の頂点に立ったわけで、

まずはお祝いしたいところ。

 

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忸怩と逡巡

2020年07月10日 | 映画など

あらためてウディ・アレンの最新作

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」は傑作だと思う。

後味は決して良いとは言えないのに、

場面をいくつか思い出すだけで、とても幸福な気分になる。

 

で、困ったのが、

昨年、ハリウッドを中心とした映画業界で、

セクハラを告発する#Me Too運動が盛り上がり、

アレンの養女に対する虐待容疑が再燃したこと。

そのあおりを受け、上記の作品は米国での上映が見送られ、

ティモシー君やエルファニなどの出演者が、

ギャラの受け取りを拒否するなどの事件が報道された。

 

ハラスメントというのは、明らかに上の立場の者が

抵抗できない下の者に肉体的、精神的な虐待をするわけで、

裁判では証拠不十分で棄却だったらしいけど、

アレンの映画人としてのキャリアはこれで終わりという報道さえあった。

 

当のアレンは自伝を出し、

あらためて無実であることを主張しているようだ。

実の息子からの暴露本も出て、ドロドロの様相。

事件は藪の中という状況だけど、

そんな疑惑の渦中にある人物が撮った映画が

いくらいい出来だからって、素直に喜べるものだろうか。

実は「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を見るとき、

つまんないといいな、と思ったぐらいで、

出来が良くなければ、ああやっぱりね。疑惑の人だしね、

という言い訳ができたのだけど、

まごうことなき傑作で、困った次第。

 

人と、その人が作り出した作品はまったく別個のもの、

という意見には、自分も同意はする。

アップリンクの社長がパワハラで訴えられても、

見たい映画があれば、きっと渋谷か吉祥寺まで見に行くし、

広河隆一氏のパワハラ・セクハラ報道に怒り心頭のかたわら、

氏の優れたノンフィクションに感動する自分がいる。

 

アレン最低! もう二度と奴の映画は見ない!

と言い放つことは、これまで何十年も彼の映画を好んで見てきた

自分を否定することにもなるわけで。

 

かといって、

あの人はとんでもないことをしでかしたけれど、

つくっている作品はとても素晴らしいんだよ。

と声高に言うのも、作品が良ければ何をしてもいいということになるし、

それはやっぱり良くない。

 

それにしても、

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」は良かった。

エルファニ可愛かったなあ。アンニュイなゴメス嬢も捨てがたいなあ。

とニヤける自分は、思考停止状態なのかな。

 

 

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天気雨のあとに

2020年07月08日 | 映画など

ウディ・アレン監督

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を見る。

さて困った。傑作だぞ、これ。

なぜ困ったかは後述するとして、

アレンの映画にエル・ファニングが出ると聞けば、

何を置いても見たくなるわけで。

80歳超えの監督が撮ったとは思えない快調なテンポと

ロマンチックでありながら、ファンタジックにはならない苦味の妙。

 

 

アリゾナの大学生アシュレー(エルファニ)が、

有名な映画監督にマンハッタンでインタビューすることになり、

彼女の恋人でニューヨーク育ちのギャツビー(ティモシー・シャラメ)が、

アシュレーを案内がてら、ニューヨークを満喫しようと計画する。

でも、アシュレーがインタビューした映画監督はノイローゼ気味で、

これは特ダネが取れると踏んだアシュレーは、

ギャツビーと落ち合う約束をすっぽかしてしまう。

いっぽうギャツビーは、映画撮影をしている旧友に会い、

そこでかつて付き合っていた娘の妹のチャン(セレーナ・ゴメス)と再会し、

役の上とはいえ、クルマの中でキスをすることに。

 

ニューヨークの映画人をどんどん虜にしていくアシュレーと、

物憂げに自分探しをしながら、

ニューヨークの街を徘徊するギャツビー。

たった1日のあいだに起こるハプニングのなか、

ふたりの性格や生き方、生活信条などが浮き彫りにされ、

このふたりはどう見ても合いそうもないし、

何よりお互いを必要としていない感が際立ってきて、

見終わったあとは、いくばくかの苦味が残る。けれどその後味は悪くない。

 

それもこれも、すれ違いがどんどん広がっていく状況を、

あくまで軽やかに描いているからだろう。すんなりと見られて、

ちょっと笑って、最後は少しだけ人生の苦味とか渋味を

観客に思い知らせてやろうという演出と脚本。

 

これまでの出演作で、

不機嫌な表情と仕草を観客に振りまいてきたエルファニ。

今作では、意外なコメディエンヌぶりを存分に発揮していて、

これが大人の俳優になっていくことなんだろうなと。

エマ・ストーンとか、ジェニファー・ワトソンみたいな

大スターになっていくのかな。と少しだけ残念に思うのは何故だろう。

 

今が旬のティモシー君は、

先日見た「ストーリー・オブ・マイライフ」でも好演していたし、

なんと今度はディランの伝記映画に主演するらしい。

あとセレーナ・ゴメスって女優さん、つい最近見た気がしたけれど、

「デッド・ドント・ダイ」のちょっとアンニュイ(死語)なお姉ちゃんでした。

エルファニの正統派ぶりとは好対照に、いい感じにやさぐれていて好感。

 

とまあ、大満足の一作で、まさに傑作だと思うのだけど、

結局のところ、何が困ったかというと、実は…

というところで、時間がなくなっちまいました。

また追って書きます。

 

 

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洗濯ばさみは登場しない

2020年06月29日 | 映画など

グレタ・ガーウィグ監督

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を見る。

流れるような語り口のなか、

なぜいま「若草物語」なのか、ではなく、

今だからこそ「若草物語」なのだ。

そんな強い意志を感じ取ることのできる四姉妹の物語。

 

 

女性の生き方の選択肢は、

結婚以外になかった19世紀の米国。

南北戦争が背景にあるから、

まさに「風と共に去りぬ」の時代なんだな。

 

主人公である次女のジョーが作家となり、

結婚にとらわれず自由に生きようとする姿は、

当時、ものすごく特異で異質だったはずだ。

でも映画は、そんな主人公の生き方を肯定し、

人生を突き進む姿を実に生き生きと見せてくれる。

 

他の姉妹たちは因習にとらわれてしまうけれど、

映画は、決して非難することなく、彼女たちの人生を応援する

姉妹を見守る両親も、隣人たちも、

みんないい人たちで、しかもかなりのリベラル。

だから見ていて、心が温まるのだろう。

 

なので限りない優しさに包まれた

感動作になるかと思ったのだけど、

そんな映画にしてたまるか、

という監督の思いが突出したクライマックスに驚く。

 

流れるような語り口、と書いたけれど、

時制があちこち飛び、下手をすると今見ているのは、

彼女たちのいつの時代? と混乱してしまう寸前で

物語に引き込む力を持つ。脚本の力か。編集の妙か。

はたまた演出がなせる技か。

 

グレタ・ガーウィグ監督は、

前作「レディー・バード」もいい映画だったけれど、

シネフィル的には、本作はグレードアップどころの話ではない。

スピルバーグかロン・ハワードかというぐらいの域。

職人的な演出力と、しっかりしたテーマと作家性。

つまりはアメリカ映画のトップ監督だということです。きっと。

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復讐の歌がきこえる

2020年06月25日 | 映画など

エイドリアン・グランバーグ監督

「ランボー ラスト・ブラッド」を見る。

コロナ明け(明けてないけど)の映画館で

いちばん見たかったのは、実はこの映画だったという。

前作「ランボー最後の戦場」がまれに見る大傑作で、

11年ぶりになるシリーズ最新作にも

たいへん期待が高まっていたわけで。

 

 

故郷のアリゾナで牧場を経営し、

平穏な暮らしを送っていたジョン・ランボーだったが、

友人の孫娘で、実の娘のように可愛がっていたガブリエラが、

メキシコの人身売買組織に拉致されたことから、事態は一変する。

復讐に燃えるランボーは、

人間殺戮兵器だったアイデンティティーを蘇らせ、

人身売買組織に復讐の限りを尽くす。

そのあまりな殺戮ぶりに、ただ圧倒されるしかない。

いくらなんでもやり過ぎだろう、と突っ込む間もなく、

ランボーは怒りをスクリーン一杯にぶちまけるのだ。

物語の伏線とか、緻密な人間描写とか、

あまりにもメキシコ人を悪者にしすぎとか、そんなことはお構いなし。

愛する者を亡くした男の怒りに観客が同化できるかどうか、だ。

 

スタローンはもう73歳なんだな。

顔を見るとさすがに老けた感じはするけれど、

体格は相変わらずマッチョだし、衰えはさほどなさそう。

「ランボー」シリーズはこれで最後らしいけど、

前作でも最後っぽかったからなあ。疑わしいというか。

10年後、80歳過ぎのスタローンが悪人どもを殺戮しまくる

「ランボー」の新作が公開されたら、やっぱり見に行くんだろうな、と。

 

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語る風景、黙りこむふたり

2020年06月20日 | 映画など

コゴナダ監督「コロンバス」を見る。

ひとりの女の子と韓国人男性の、

恋愛とも友情ともつかない交流が、静かに端正に描かれていて、

おお、これはいい映画だなあ、と。

見ているうちに、いつのまにか

やさぐれた心が癒やされていったという。

 

 

舞台はインディアナ州コロンバス。

モダニズム建築が多く見られるこの街の風景が静かに切り取られる。

その切り取られたショットが、淡々とした物語のなか、断続的に挿入される。

いたって静かな映画なのだけど、ショットのひとつひとつが意図的というか、

そこから何を読み取ったらいいのだろうと考える。

 

薬物依存症の母親を放っておけず、

自分の未来を夢見ることができない女の子と、

高名な大学教授の父親との確執を引きずっている青年が

お互いの傷にそっと寄り添う。でもふたりは必要以上に接近しない。

そのあたりの厳しさというか、残酷さも垣間見られたりする。

 

監督はヒッチコックや小津のドキュメンタリーを

つくっているらしい。映画の文法というものに意識的な人なのだろう。

 

主人公のケイシーを演じたのは、

ヘイリー・ルー・リチャードソン。

「スイート17モンスター」で

ヘイリー・スタインフェルドの友人を演じた女の子だ。

やさぐれたティーンエージャーぶりが素晴らしい。

アメリカの10代から20代の女優さんは充実しているなあと。

 

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オフビートな正統派

2020年06月14日 | 映画など

ジム・ジャームッシュ監督

「デッド・ドント・ダイ」を見る。

ほぼほぼ予想通りというか、ジャームッシュ監督らしい

オフビートでサブカルなゾンビ映画。

でも最後まで見終わったとき、

笑いと恐怖、そして、絶望感というか諦念のようなものが

しっかりスクリーンから伝わってきて、

これはロメロ先生の流れを継ぐ、

正統派のゾンビ映画だなあ、と感心しきりだったという。

 

 

ただひたすら、ひとりまたひとりと

ゾンビに喰われていく映画。

出てくる人物に思い入れのある描写などなく、

あーあ、喰われちゃったというとぼけた感じが残る。

そんな阿鼻叫喚をただ、呆気にとられながら眺めるしかない

ビル・マーレイとアダム・ドライバー。

このふたりの受けの芝居というか、アホ面(褒め言葉)が

なんとも素晴らしい。たぶんこの映画を見ている観客も

彼らと同じくアホ面でスクリーンを見つめるしかないというか。

 

イギー・ポップとか、スティーブ・ブシュミとか、

ただでさえ怪しい面構えの連中に

ゾンビをやらせたら、それはそれは栄えるだろうな、

とジャームッシュは思ったんだろう。

さらにティルダ・ウィンストンに

「キル・ビル」のユマ・サーマンみたいな

サムライガールを演じさせたりとやりたい放題の映画。

前作「パターソン」がものすごい名作だったジャームッシュの

次作を見る自分がアホ面になるとは思わなかった。

 

シネフィル的には、

アキ・カウリスマキがゾンビ映画を撮ったら、

似たような映画になりそうだな、と。

マッティ・ペロンパーのゾンビとか見てみたい

ってすでに死んでるか。

あるいは小津安二郎が生きていて、

ゾンビ映画を撮ることになっても、同じ映画になるはず。

笠智衆や杉村春子がゾンビを演る。おお。なんだかすごく見たくなってきた。

 

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旅の終わりと始まり

2020年06月07日 | 映画など

HIKARI監督「37 Seconds」を見る。

タイトルの「37秒」とは、生まれたときに37秒間

呼吸ができなかったせいで、脳性麻痺となり、

障害者として生きることになった主人公のことを指している。

ただ、障害というテーマは重要ではあるけれど、

誰にでも降りかかる自分探しの旅が、

文字通りロードムービーになっていくところに、

大きく心が揺り動かされ、

ああ映画を見たなあという感慨に耽るのでした。

 

 

障害者で女性。しかも性にまつわる問題が出てくる。

だからといって赤裸々にタブーに挑戦、という作りではない。

過保護で共依存な母親による呪縛。漫画家としての力はあるのに

不当に搾取されてどん詰まりになってしまう。

でも、声高に差別を告発するわけでもない。

主人公は悲しそうな表情はするけれど、涙を流して泣くことはなく、

涙を流すのは、主人公ではない周りの人たちだ。

 

主人公が自分を縛っていたものから抜け出すまでは、

見ていてそれはそれは辛いのだけど、

別れた父親を探すために、介護士の青年と一緒に

クルマで海沿いの街に向かうところから、

俄然、映画が動き出す。

閉塞感からの解放だろうか。それとも移動の快感か。

そして生き別れになった双子の姉に会いに

タイに飛ぶ主人公たちの姿を見ていたら、思わず号泣していたという。

 

主人公を演じた佳山明はもちろん好演だけど、

クライマックスで彼女に同行する介護士の青年を演じた

大東駿介が実にいい役だし、主人公を受け入れる風俗嬢の渡辺真紀子、

姉を演じた芋生悠、過保護な母親役の神野三鈴、

ワンポイント出演の渋川清彦や石橋静河、

尾美としのりなど、俳優陣が揃って素晴らしい。

ぜひ多くの人に見てもらいたい。きっと愛される映画になる。

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