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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

異国でウフフ

2021年02月09日 | 映画など
ウィリアム・ディターレ監督「旅愁」を見る。
異国の地で美男美女が繰り広げるラブロマンス。
と言ってしまえばそれまでだけれど、
だからこそ、いい。こういう観光映画は
たとえ悲恋モノでも心が温まり、
爽やかな涙を流すことができるのは、
エキゾチックで開放的なロケーションの良さがあるからかもしれない。


ニューヨークの設計技師にジョセフ・コットン。
そしてイタリアの若いピアニストにジョーン・フォンティン。
ふたりは旅客機で偶然隣り合わせになるが、
エンジントラブルでナポリに不時着。
そのままナポリを観光して、空港に戻ったら、
旅客機はふたりを残して飛び立ってしまっていた。
しかもその旅客機がその後墜落し、ふたりは死んだことになってしまう。
こうなったらもう、恋に落ちるしかないでしょう。

イタリアの陽気な空気が充満するなか、
劇中で歌われる「セプテンバーソング」が情感を掻き立てる。
それでいいのかな、いいんだろうな。
でもやっぱり報いが来るんだろうな。
いろんな思いがぐるぐるしながらも、
最後まで見てしまうのは、映画の力なのだろう。

ふたりが行きつけのバーで、
ひとりの米兵と知り合い、
酔っ払いながら身の上話を聞く場面が、いい。
最近は、緻密で伏線張りまくりのドラマが
持て囃される風潮があるけれど、
映画の本筋とはさほど関係のない、
のんびりした場面を楽しむのも悪くない。

この手の観光映画は、50、60年代の
ハリウッド映画にけっこうあったような。
「ローマの休日」はもとより「慕情」とか「旅情」とか。
あとどんな映画があったっけ。
誰かシネフィルの皆さん、教えてくださいな。
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あたいに残されたもの

2021年01月23日 | 映画など
キム・チョヒ監督
「チャンシルさんには福が多いね」を見る。
40歳の女性プロデューサーが、
盟友だった監督の急死で、はたと自分の人生に気がつき、
それまで犠牲にしてきたものを取り戻そうする物語。
ほんわかしたコメディ演出が、
結果的に、主人公の心の奥底にまで迫っている印象。


失われた青春を取り戻そうと、
意中の仏語教師に果敢にアプローチする主人公。
一緒に酒を飲みながら語り合うシーンで、
小津安二郎が退屈だと言った彼に向かって、
ムキになって反論する。
「ちょっと、チャンシルさん、
 そんなコトいったら振られるよ〜」
と思わず映画館で声を出すところだった。

映画の好みなんて、人それぞれなのだから、
たとえ大好きな小津をけなされても、
苦笑する程度にしておけばいいのだけど、
我慢できないのがこの主人公なのだろう。
そのあたりの不器用さは、大いに共感できるというか。

レスリー・チャン似(といっても全然似てないのが楽しい)の
幽霊みたいな男が主人公の守護霊として、
ゆっくり優しく彼女の背中を押すところ。
映画のせいで人生を台無しにしたと
思い込んでいる主人公に、
いちばん大事なものは何かということを諭してくれる。
ほろ苦くも、じんわりとした結末に安堵するのでした。

キム・チョヒ監督は、ホ・サンス監督の
プロデューサーをずっとつとめている人で、
実体験をもとにしているんだろうと
下品な想像をしながら見るのもひとつの見方だと思う。
「はちどり」「82年生まれ、キム・ジヨン」などと同じく、
韓国でも女性監督がいい映画をどんどんつくっていて、
なんとも頼もしい限り。

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おっさんが汚れないでいるには

2021年01月15日 | 映画など
デヴィッド・フィンチャー監督「Mank/マンク」を見る。
「市民ケーン」の脚本を書いた、
ハーマン・J・マンキーウィッツの伝記映画。
映画史上の名作中の名作「市民ケーン」が
オーソン・ウェルズだけのものではなかったということ。
映画は多くのスタッフキャストでつくられるものだから、
それは当然のことなんだけど、
一人の天才監督が作り上げた映画だという
間違った認識を新たにするのが本作だ。


主役の脚本家はマンクことマンキーウィッツ。
ってどこかで聞いた名だなと思ったら、
「イヴの総て」や「三人の妻への手紙」の
名監督ジョセフ・L・マンキーウィッツの実の兄なんだな。
本作を見るまでこの人のことを
よく知らなかった自分はシネフィル失格です。

オーソン・ウェルズは大好きだし、
てっきり「市民ケーン」のメイキング映画だと
大いに期待して見たら、いつまで経っても
偏屈な脚本家がグチグチ文句を垂れている映画だったという。

ウェルズはただの脇役で、
とても感情移入できない独善的な男だ。
彼の盟友と言われたジョン・ハウスマンも
小心な人物として描かれるし、弟のジョセフ・L・マンキーウィッツも
ハリウッドの因習に呑み込まれていくところが描かれ、
つまりは、みんな汚れちまっているのです。

唯一、この偏屈なおっさんだけが誠実かつ正直であり、
そんな彼がささやかな勝利を掴むまでの物語だ。
マンクを演じるゲイリー・オールドマンは
実にいやらしく、というか、体臭漂う演技で主役を張る。

本作はフィンチャー監督念願の企画だったらしい。
普通のメジャー映画会社だったら、
全篇モノクロで時制があちこち飛び、
40年代のハリウッド事情に精通していないと
理解が難しい映画にお金を出さないような気がする。
配信がメインとはいえ、こうした映画が
劇場で見られるのはネトフリのおかげなのだろう。

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存在証明を鳴らせ

2021年01月04日 | 映画など
武正晴監督「アンダードッグ」を見る。
前編が131分で、後編が145分。
4時間半以上の上映時間をかけて
この映画が目指すものはシンプルだ。
主人公たちはどうして戦うのか、
なぜ戦わなければならないのか。
彼らの自問自答を観客も反芻しながら、
クライマックスに向かって高揚していき、
あとはひたすら殴り合い、どつきあいの馬鹿騒ぎ。
いまどきこんな真っ当なボクシング映画が見られるとは。
「百円の恋」以来だなあ、と思っていたら同じ監督だったという。


とにかく、出てくる人みんながみんな、
ことごとくやさぐれているのが、いい。

森山未來演じる晃は、
ボクシングが好きなくせに、そこそこ実力はあるのに、
そこに甘えて、ちゃんと人生に向き合わない。
デリヘルの送迎バイトをしながら、
咬ませ専門のボクサーとしてダルな日常を送る日々。
一緒に住む父親(柄本明)を空気のように扱い、
散らかった家でただ寝るだけ。
いかにも不味そうな弁当を頬張り、
やることがないから仕方なくタバコを吸う。
そんな男が、唯一自分をカッコいいと思ってくれている
一人息子の言葉に背中を押されて、リングに立つ。

そうだ。こういう主人公こそ、
日本映画の伝統的なヒーローではなかったか。
松田優作やショーケン、原田芳雄と比べると大袈裟かもしれないが、
森山未來のやさぐれたヒーロー像というか、
アウトロー然とした佇まい。
自分がいま高校生ぐらいだったら、
きっと憧れたんじゃないかな、と。

お笑い芸人を演じる勝地涼も素晴らしい。
ひょんな乗りから、ボクシングの試合をすることになり、
最初はおふざけだったのに、だんだん本気になっていく。
コンプレックスだらけの自分が初めて
本気になれるものがボクシングだったという偶然。
勝てるわけないのに、それでも森山未來に立ち向かっていく。
この人は、「あまちゃん」で前髪クネ男を演じて以来、
ずっと面白く見ていたけれど、本当にいい味が出ている。

そして最後に対戦相手となる
北村匠海演じる新進ボクサー。
最初は単なるお坊ちゃんキャラかなと思ってたら、
施設育ちで手のつけられなかった不良だったことが語られていく。
この男も、自分の存在証明のために、
自分をボクサーの道に導いた森山未來をぶっ倒そうとする。

戦う理由は、みんな身勝手きわまりないけれど、
それぞれ自分のために、生きる証のために戦うというか。
負け犬たちの決死の叫びに圧倒される。
前編と後編のクライマックスで描かれるファイトシーンは、
主人公の森山未來を応援しなくても全然構わない。
というか、戦う二人のどちらを応援したらいいかわからなくなってくる。
つまりはこの映画の作り手の術中にはまったということで、
心地良く映画の世界に埋没していくのでした。

脇を固める俳優陣はみな濃いけれど、
娘を虐待するデリヘル嬢を演じた瀧内公美と、
吃音のデリヘル店長役の二ノ宮隆太郎の存在感は出色。
そして、主人公の父親を演じた柄本明。
あれほど怠惰でみっともない「我が子を見守る」演技ができるのは、
さすが柄本さん、というか。
自分もあんなジジイになれたらいいなと思った次第。

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語らない思い

2020年12月26日 | 映画など
ジョージ・クルーニー監督
「ミッドナイト・スカイ」を見る。
ネトフリ凄いなあ。こんな映画もつくるんだな。
きわめて私小説的なSF大作で、静かな感動を呼ぶ。
かねてからジョージ・クルーニーは
いい映画をつくる人なのだけれど、
期待以上の出来だと思うので、配信で見るのは勿体ない。
みなさん、ぜひ大きなスクリーンで見ましょう。


ジョージ・クルーニー演じる科学者が、
ほぼ滅亡しかけた地球の北極基地にひとり残り、
木星から帰還する宇宙船と交信する物語。

セリフが少ない、というか。
ひとりなんだから、それはそうだろうと思いつつ、
科学者は基地で謎の少女を発見する。
しかしその少女はほとんど口をきくことはない。
いっぽう、帰還中の宇宙船には、
乗組員が4名。彼らも言葉を交わすことが少なく、
地球に残してきた家族のフォログラムを懐かしそうに
映し出す場面が続く。北極と宇宙。静寂の映画だなあ、と。

そこに迫りくる自然の驚異と、
なんとか打ち克とうとする
科学者と宇宙飛行士たちの懸命な姿と
明かされる登場人物たちの秘密。
けっこうな予算と技術(たぶん)が使われているSF大作でありながら、
しみじみ哀しい物語だなあと感じ入った次第。


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その汚れた身体で

2020年12月07日 | 映画など
山田佳奈監督「タイトル、拒絶」を見る。
人間の喜怒哀楽が描かれているのが、映画だとしたら、
本作は、なんともひりひりとした痛みが
映画全体を覆い、いたたまれなくなってくるわけで、
「怒」と「哀」の比重が高い映画だな、と。


雑居ビルにある一室で繰り広げられる
デリヘル嬢たちの人間模様。
他愛のないお喋りが続くかと思いきや、
彼女たちの虚栄や嫉妬、そして確執が
どんどんヒートアップしていく。

主人公のカノウは、いちどはデリヘル嬢になるが、
まったく務まらず、そのまま彼女たちの世話係として
あくせく働いている。人生に躓き、
セックスワーカーとしても挫折してしまった彼女は、
デリヘル嬢たちの阿鼻叫喚を目の当たりにしながら、
傍観者であり続けようとする。

売れっ子のデリヘル嬢、
マヒルのヘラヘラ笑いが痛い、というか怖い。
「私、最低でしょ」と言いながら、
クズっぷりをひけらかす彼女の心の奥底にある絶望感は、
カノウの絶望感と繫がるようで繫がらない。

ネガティブな空気が狭い空間にどんどん充満していく。
そんな閉塞感を解放すべく、映画は
さらに阿鼻叫喚な痴話ゲンカをクライマックスに用意する。
元は山田監督による舞台劇とのことなので、
もし生の芝居で見たら、さらに打ちひしがれそうだ。

面白いか、と問われると、面白い。
見てて辛いか、と問われると、辛い。
こうしたものも映画なんだなと思いつつ、
スクリーンを見つめるしかなかったのでした。

主人公を演じた伊藤沙莉さん。
旬な女優さんだけに、ますます快調。
ネトフリの「全裸監督」でも
助監督役が似合っていたけれど、
世話係的な役を演らせたら、日本一かもしれない。
特に本作では、成瀬巳喜男監督の「流れる」で、
芸者置屋で働くお手伝いさん役の田中絹代みたいでした。

あとベテランのデリヘル嬢を演じていたのが
片岡礼子さんで、さすがの貫禄というか、
相変わらず男前で惚れ惚れしながら、拝見したという。


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盗んだものはあなたの心です

2020年11月26日 | 映画など
森崎東監督「女咲かせます」を見る。
松坂慶子のコメディアンヌぶりが炸裂する
泥棒集団コメディで、スラップスティックな展開のなか、
泣かせたり考えさせられたりと、
一筋縄ではいかない森崎演出の妙に酔う。


長崎の寂れた炭鉱から始まるこの映画。
仕事にあぶれ、社会から取り残されそうな連中が、
炭鉱での腕を活かして泥棒稼業にいそしむ。
それを喜劇として描くところが、森崎監督らしいし、
けっこうな体制批判のような気がするけれど、
そのあたりは映画の背景にとどまっている。
松坂慶子のドタバタぶりと、彼女をもり立てる豪華な脇役陣の
暴れっぷりに身を任せるのがいいのだろう。

川谷拓三とか名古屋章とか、いい味を出す俳優が
80年代の半ばにはまだまだたくさんいたんだな、と。
田中邦衛は機敏だし、今やベテラン俳優の
役所広司や柄本明、平田満が若い。
公開当時、寅さんの併映作だったのもあるのかな、
ほっこり心が温まる喜劇で大いに楽しんだのでした。


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ココロもカラダも寒くなる

2020年11月16日 | 映画など
セルゲイ・ロズニツァ監督「国葬」を見る。
1953年にその生涯を終えたヨシフ・スターリン。
稀代の独裁者の死去にともない、
とてつもない規模の国葬が催され、映画はその模様を
ただひたすら映し出す。沈鬱な人々の表情と、
荒涼としたソビエト各地の風景。寒い寒いドキュメンタリー。


こんな映像、よくも残っていたなと思うぐらい、
葬儀の様子の映像が、モスクワでの本葬はもとより、
ソ連の各地で同時におこなわれている追悼式も
実にたくさん映し出されている。
資料によると、モスクワ郊外のフィルムアーカイヴ所に
当時撮られたフィルムが膨大に保管されていたという。

棺に入れられたスターリンの遺体と、
それを悼む政府の高官たちや軍人。
そして気の遠くなるほど多くの民衆。
すすり泣く声も聞かれるけれど、
多くの人はみな無表情で、悲しみのためにそうなっているのかどうか。
そのあたりは全くわからない。
観客は、ものすごくたくさんの顔を見せられながら
彼ら彼女らの心のなかを推測していくしかない。

ソ連政府がつくったものなら、
プロパガンダ色丸出しの、葬儀でありながら
国民を高揚させる映像になったのだろう。
でも本作の監督は、ひたすら冷徹にフィルムを繋ぎ、
それを観客に提示するだけだ。

フルシチョフやマレンコフ、
弔問にやってきた周恩来などの姿もあるのだけれど、
テロップさえ入れない不親切さに
監督の意図というか演出を感じる。

スターリン死去から70年近く経ったいま、
ソ連と共産主義の行方を知っている観客は、
いまあらためて彼の死をまざまざと見せられて、
1953年は、この国の崩壊の始まりの年だったんだな
と思わずにはいられない。


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今宵はきみと

2020年11月09日 | 映画など
ロバート・バドロー監督
「ストックホルム・ケース」を見る。
冒頭のタイトルバックで
ディランの「新しい夜明け」が流れてきて、
これはきっと面白い映画だろうと予感する。
犯罪映画というよりはラブストーリーだと
気づいた途端、俄然面白くなってきたという。


「ストックホルム症候群」という、
誘拐や監禁事件において、加害者と被害者のあいだで
連帯感や親愛関係が築かれる心理状態がある。
本作はその名称がついたきっかけとなった
ストックホルムの銀行立てこもり事件の映画化だ。

イーサン・ホーク演じるラースは
ストックホルムの銀行に押し入り、行員3名を人質に
刑務所にいる仲間のグンナーを釈放させ、金とクルマを用意させ
海外に逃亡しようとする。
しかし、小悪党丸出しで根がお人好しなラースは、
警察に強硬な態度を取ったと思ったら、
臆病風を吹かせて、警察にまんまと誘導されてしまう。
人質の命を軽視する警察の態度を見て、右往左往するラースに
人質のビアンカはシンパシーを抱く。
そして、そんな彼女にまんざらでもないラース。

ちょっとあんたら、抱き合ってキスするヒマなんかないだろう、
という観客(自分、だ)の突っ込みをよそに、
事件は妙な方向に走り出していく。

本作は実話をもとにしているけれど、
密室のなかで登場人物たちの関係性が変わっていくテーマは、
映画の作り手にとっては魅力的にうつるのだろう。
古くはアル・パチーノが出た間抜けな銀行強盗と
行員たちの交流を描いた「狼たちの午後」(75)という名作があったし、
もっと古いとブニュエルの大傑作「皆殺しの天使」(62)では、
邸宅に閉じ込められたブルジョア階級の人たちの阿鼻叫喚。
そういえば、今年公開された「パブリック図書館の奇跡」も
立てこもり映画の佳作だったなあ、と。

それにしても、イーサン・ホークって
こんなにいい俳優だったっけ? 
若いときは、イケメンオーラが出ていた感じがあったけれど、
「6才のボクが、大人になるまで」(2014)あたりから、
いい感じのやさぐれたおっさんになって、
なかなか味わい深い佇まいの人になってきたなあ、と。


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多神教で何が悪い

2020年10月26日 | 映画など
黒沢清監督「スパイの妻」を見る。
戦時下の日本が舞台で、スパイ活動をする夫と妻の暗躍を描いた
サスペンス映画だと思いきや、
これはまぎれもない純愛映画であり、
いまの日本が置かれた状況を告発する
社会派映画としての要素もあり、スケールの大きさに驚く。


夫を演じる高橋一生。
この俳優さんのいちばんの魅力はその低音の声だと思う。
朗々とした語り口で、悪く言うと立て板に水、というか。
その悪い面が、本作でものすごく生きている。
関東軍の悪行を掴んだ夫は、その証拠のフィルムとノートを
満州から持ち帰り、アメリカに持ち込もうとする。
ことの真相を聞き、驚愕する妻は動揺するが、
国賊であることを受け入れ、夫に協力する。
言うことは正論だが、この夫は妻に心を打ち明けることはない。

そんな夫婦を外側から見つめるのが、
軍人で部隊長を演じる東出昌大。
この俳優さん、背丈があるので実に軍服が似合うし、
高橋一生と同じく声がいいのだけど、
心のこもっていない台詞まわしが絶妙に不気味で、
まさに本作の敵役にぴったり、というか。
妻の幼馴染みであり、今でも横恋慕な感情が渦巻いているのだけど、
それを隠せば隠すほど、その異常さが出てくるわけで、
権力の得体の知れない大きさや不気味さを
ものすごく上手に体現していると思う。
黒沢監督がこの俳優さんを重用する理由がよくわかる。

妻は、夫が本当のところ何を考えているかわからないなか、
必死に彼に協力する。それはもう、命を賭けて。
その献身さの理由はひとつ。夫への愛があるからだろう。
夫の気持ちがわからないまま、暴走して精神が崩壊する妻の
心の動きが悲痛きわまりないけれど、
いくら戦争があっても、国家権力が邪悪でも、
この妻の心の中だけは邪魔できない。


とかなんとか、
シネフィルっぽいコトを書こうとしているけど、
神様(蒼井優)が出てるから見たんです!
逃げも隠れもいたしません。

特に後半は神様(蒼井優)の独壇場であり、
映画内映画としてフィルムから映し出される
サイレント映画の神様(蒼井優)は、
ディートリッヒやジョーン・クロフォードのような
ファムファタール(悪女)であり、
リリアン・ギッシュのような薄幸な少女にも見えたりして。
あ、いや。そういえば本作には
山中貞雄の「河内山宗俊」が引用されていて、
美しい原節子を守るために命を捨てる男たちの映画だった。
そうか神様(蒼井優)は、原節子でもあるんだ。
と、シネフィルの脳味噌は暴発し、もはや収集がつかなくなるのでした。

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