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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

前のめりに倒れたい

2021年12月14日 | 映画など
ジョン・ヒューストン監督
「アスファルト・ジャングル」を見る。
欲にかられた者たちが、宝石強盗をたくらみ、
欺瞞と裏切りが錯綜するピカレスクロマン。
負け犬を描くときのヒューストン監督の活き活きとした演出。


出所したばかりのドクが計画し、
暗黒街のボスのエメリックが後ろ盾をしつつ、
金庫破りのディックス、運転手のガス、
そして用心棒のディックスが宝石店に忍び込み、
見事に大量の宝石を強奪するのだが、
そこから徐々に彼らの結束が緩んでいき、
破滅に向かってまっしぐらの112分。

頭が良くクールなドグと、腹黒で小心者のエメリック。
好戦的なディックスと、体に障害を持つガス。
単細胞だが人情家でもあるディックス。この5人のみならず、
ディックスのガールフレンド、ドールの健気で純な感じ。
エメリックの妻がやたらに堅物なところ。
とりわけ、エメリックの愛人アンジェラが
たった2場面の登場ながら、
その色っぽさと可愛らしさで圧倒的な存在感。
それもそのはず、演じているのが
マリリン・モンローなのである。まさに
映画泥棒ならぬ場面泥棒。

ひとり一人がみんな悪人で、
でも、どこか欠落していて、
そのあたりが人間くさいというか。
脚本の良さと、演じる俳優たちの的確な芝居、
それをスピード感あふれる演出で見せていくのだから、
こういうのを傑作と言うのかなと思いつつ、見入るのでした。

主役は、ディックスを演じた
スターリング・ヘイドンで、
大金をせしめて、故郷に錦を飾ろうとする
なんとも哀しい思いを抱きながら
破滅に突き進むラストに涙を禁じ得ない。

ヘイドンはこの5年後、
似たような設定の
キューブリックの傑作「現金に体を張れ」に主演。
そのあとも「ゴッドファーザー」や「1900年」など、
存在感のあるタフガイというか。
いつまでも記憶しておきたい俳優さんというか。

本作はヒューストン監督が
「キー・ラーゴ」と
「アフリカの女王」の間に撮ったものらしい。
まさに脂が乗った時期の映画だと思う。
本作はキューブリックのみならず、海を渡って
フランスではジャン=ピエール・メルヴィルの「仁義」、
さらにタランティーノの「レザボア・ドッグス」にも
影響を与えていて、日本でも
福田純監督の「血とダイヤモンド」など多くの犯罪映画の
お手本になった映画のようで、うんぬんかんぬん、
とシネフィルの戯れ言が止まらなくなっちまいました。



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ゼロとイチの想い

2021年12月08日 | 映画など
吉浦康裕監督「アイの歌声を聴かせて」を見る。
主役の声を当てているのが土屋太鳳。
しかもミュージカルだという情報を得て、
おお。これは見ないとあかんやつだ、と。
そしてその予感は正しかったという。


ぼっちな女子高生サトミのクラスに現れた転校生のシオン。
「サトミは幸せ?」と聞きながら、歌い、踊る。
呆気にとられるサトミとクラスメートたちが、
次第にシオンのペースに巻き込まれていく。

シオンの正体はAIロボット。
つまりゼロとイチでできた生命体であり、
根本的に感情を持たないはずの存在なのに、
感情を掻き立てられるのは人間であるサトミたちというのが
なんともファンタスティック。

シオンはAIだから無表情で、
言葉もぎこちなく、歌も棒読みっぽい。
そのあたりを土屋太鳳は素晴らしく上手に演じていると思う。
その分、サトミたち人間の表情はとても豊かで、
作画の細やかさというか、しっかりした演出を堪能する。

シオンはその地の大企業が
秘密裏に学校に送り込んだAIであり、
想定外の行動をとる彼女に危惧し、破棄しようとする。
シオンとの繋がりを断ちたくないサトミたちの戦いが始まり
現実と電脳世界が交叉していくクライマックスまで一気に見せる。

つまりは、アレでしょ。
「アナ雪」と「サマーウォーズ」じゃないの。
と、したり顔で見る人も多いかもしれないが、
純粋に楽しんだ方が勝ちでしょう。

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青春時代が夢なんて

2021年11月30日 | 映画など
森田芳光監督
「ピンクカット 太く愛して深く愛して」を見る。
83年製作だから、もう38年前の映画なんだな。
すっとぼけた演出が満載のライトコメディの傑作で、
80年代の邦画を代表する青春映画だと確信した次第。


ものすごく久し振りに見返して、あらゆるところに感動している。
ポルノ界の聖子ちゃんとして人気を博した
寺島まゆみのポップな個性。
相手役で森田映画の常連だった
伊藤克信の棒読み演技のおかしさ。
アンニュイ(当時でも死語)な魅力で、
ポルノ界の百恵ちゃんと言われた井上麻衣。
レジャーランドと揶揄された
当時の能天気なキャンパスライフ。
それでもバブル前だから、みんなどことなく
野暮ったくて貧乏くさい。
私鉄沿線にある狭いアパートで、
本や雑誌、映画スターのポスターなどに囲まれ
若さを持て余しているという。

両親が死に、実家の理容店を
やりくりしている寺島まゆみも、
就活がいまひとつうまくいかない伊藤克信も、
どこか能天気で、浮かれてフワフワした感じ。
神代辰巳や田中登といった監督たちのような、
情念たっぷりの性愛を歌い上げる、
70年代的なロマンポルノとは遠く離れた世界。

そんな価値観がわかるのは
同時代に生きた人だけ、と思ったりもする。
初めて本作を見る若い人(いるのか?)はどう思うのだろう。
やっぱり軽いのかな。能天気なのかな。
でもそこがいいんじゃない、
とみうらじゅん的なフォローを入れつつ、
幸福感にあふれたラストのミュージカルシーンで
すべてを許したくなる映画なのです。

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燃えさかる過去

2021年11月27日 | 映画など
アンドリュー・レビタス監督
「MINAMATA ミナマタ」を見る。
水俣病の存在を世界に知らしめた写真家、
ユージン・スミスの水俣での苦闘を描く。
日本に生きる者として、
やはり見ておかなければいけないというか。
「水俣 患者さんとその世界」など土本典昭の
ドキュメンタリー映画と共に、記憶に残しておきたい作品。


本作のユージンは、とにかく汚いおっさんである。
高名な写真家ではあったけれど、頑固者でアル中。
生活者としては、おそらく破綻していたであろう彼を
ことさらに英雄扱いしないところが好ましい。
ましてやジョニデが演じているのだから、
もっとカッコ良く描くこともできただろうに。
映画は、アル中でおぼつかない体を奮い立たせながら、
カメラのシャッターを切る姿を淡々と追うことに専心する。

胎児性水俣病の少女の写真を撮る場面。
少女とふたりっきりにさせられたユージンが、
ゆっくりと彼女を抱き、
ディランの「フォーエヴァー・ヤング」を口ずさむ。
なんという静謐さだろう。

ジョニデを始めとする
この映画の作り手たちは、
水俣病を始めとする、理不尽な「人災」への
怒りがあることは明らかだが、
それと共に、美しい映画を撮ろうという意識があったと推測する。

土本典昭の水俣映画もそうだ。
水俣病を引き起こした側への怒りがあるのは当然のこと、
あの地で生きる人たちへのリスペクトがあったからこそ、
水銀で汚された水俣の海があれだけ美しく見えたわけで。

真田広之、加瀬亮、浅野忠信といった
豪華な日本人キャストもみんな好演で、
とりわけチッソの社長を演じた國村隼の存在感が出色。
すべての感情をシャットアウトして、
抗議団体と対峙する不気味なメンタリティ。
権力者というものはこういうものかもしれないと戦慄したのでした。

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走れよ、自分の速さで

2021年11月21日 | 映画など
斉藤久志監督「草の響き」を見る。
原作が佐藤泰志で、舞台が函館。
つまり「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」
「オーバー・フェンス」「きみの鳥はうたえる」
と同じ原作者とロケ地で、なおかつこの4作は秀作ばかりなので、
斉藤監督やメインキャストの人たちには、
さぞかしプレッシャーだったと想像する。
でも、そんな下衆の勘繰りなどどこ吹く風、
まったくもって素晴らしい映画を届けてくれたのです。


走る映画、だと思う。
東出昌大演じる和雄は、精神疾患に悩まされ、
医師の勧めでランニングを始め、没頭する。
「狂ったように走ってるんだから」と
溜息をつく妻の純子の言葉に、
「狂わないように走っているんだ」と返す和雄。

走ることは爽快感に繫がるはずが、
いったいどこを走っているのか、
何のために走っているのか。ゴールはどこなのか。
答えを見つけられないまま、ただ走る主人公。
その姿を見た高校生の彰と弘斗も、走る。
走って何かを見つけようとして、でも見つけられない痛々しさ。
この高校生たちと主人公との接点は、ただ一緒に走るだけ。
ときおり彼らのサイドストーリーが語られ、それが
この映画に深い陰影を与えていく。

人生はかくもしんどいけれど、
それでも走り続けるしかないのだろう。
和雄が走れば走るほど、
肉体が研ぎ澄まされていけばいくほど、
その思いが強くなる映画だったという。

東出昌大も奈緒も
これまでの2人のベストかもしれないと思った次第。
肉体派でありながら繊細な芝居をする東出と、
受けの芝居に徹しつつ、最後に映画のクライマックスを
かっさらっていく奈緒の存在感は素晴らしい。

でも最高の演技をしたのは、2人が飼っている犬のニコだろう。
重苦しい空気のなか、この犬の無軌道な動きに癒やされる。
どんな名優も、子役と動物には勝てないと言うけれど、
本作はまさにその好例ではないだろうか。

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ダメダメで深刻な

2021年11月18日 | 映画など
イングマール・ベルイマン監督「冬の光」を見る。
苦手な苦手なベルイマン映画も、
少しずつ見ていくに従って、だんだん慣れてくるというか。


この映画で驚くのは冒頭だ。主人公の神父が礼拝をする場面。
神父の教えを聞く信者たちの顔。顔。顔。
男もいれば女や子供、老女もいる。
彼ら彼女らの顔を見るだけで、
この人たちはものすごい苦悩を抱えているんだろうな、
と思わせてしまうわけで、それはきっと
監督の術中にはまったということなのかな。
シャープだが儚い光が教会に差し込んでいて、
なんとも冷え冷えとした空間の凄み。
撮影監督スヴェン・ニクヴィストの功績も大きいのだろう。

神父とねんごろになる女を演じたイングリット・チューリンや、
自殺願望に苛まれた男のマックス・フォン・シドーなど、
ベルイマン映画にお馴染みな俳優たちの苦悩する姿を見届けながら、
一人の神父が自分のダメダメな人生を悔やむあまり
神への信仰がゆらいでいく物語なんだなあ、と。

ふつう、過去の映画の再評価というのは、
その作品をより高みに持って行くためのものだけれど、
今回のベルイマン作品のデジタルリマスター版の送り手たちは、
なるべく敷居を低くして、
観客にとって身近な題材を扱った映画であろうとしている。
ある意味それは、作品をおとしめるような
再評価になるかもしれないけれど、
それはそれで興味深い。時代によって映画の評価は変わるわけで。
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半径2メートルの人生

2021年11月11日 | 映画など
アレクサンダー・ロックウェル監督
「スウィート・シング」を見る。
80年代後半から90年代にかけて
ジョン・セイルズやジム・ジャームッシュなどの台頭もあり、
ハリウッドなどのメジャーで撮られたものではない、
低予算のインディーズ映画が持てはやされていた。
「イン・ザ・スープ」「サムバディ・トゥ・ラブ」を撮った
ロックウェル監督もその一翼を担った人で、
新作が久し振りに日本公開となった。
監督自身の子どもたちを主役に、
半径2メートルぐらいところで起こる日常が、厳しくも哀しく、
でも温かみのある
小さな映画を届けてくれたのです。


15歳のビリーと11歳の弟ニコは
まともに学校に行かず(たぶん行けず)、
街の廃品などを集めて小金をせしめる日々。
父親はいい人なのだけれど、困った飲んだくれで、
家出してパワハラな男と一緒になった母親とは
離れて暮らしている。

ほぼネグレクト状態でありながら、ビリーの心のなかに住み、
彼女を慰めるのは、あのビリー・ホリディだ。
ホリディが歌う「I'VE GOT MY LOVE TO KEEP ME WARM」、
そして本作のタイトルにもなっている
ヴァン・モリソンの「Sweet Thing」が流れ、
どうにもならないふたりの姉弟を優しく包み込む。
白黒16ミリで撮られた映像の合間に、
ときおり挿入されるカラーフィルムで
映し出されるビリーの笑顔がいとおしい。

姉弟はひとりの黒人少年と出会い、
しばしの逃避行を企て、スケールの小さいロードムービーと
なっていくところも切なくて、でも、見ていて心地良いのは、
フィルムの質感(デジタル上映だけれど)の温かみがあるからだろう。

ロックウェル監督は、自己資金と
クラウドファンディングで本作を撮ったらしい。
インディーズ映画が必ずしも面白いわけではないが、
映画の規模の小ささと
監督が描きたいものがマッチしているのは確か。

しみったれで貧乏性の自分には
余計に響いたのかもしれないけれど、
それはまた別の話じゃ、ほっとかんかい、あん?

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腹八分目は無理

2021年11月03日 | 映画など
ヴィクター・フレミング監督
「ジャンヌ・ダーク」を見る。
ロッセリーニの「イタリア旅行」「ストロンボリ」で、
バーグマンの剥き出しの美しさに
首ったけ(死語)だった自分としては、
彼女が出ている映画はとにかく見たい、という願望に
応えてくれる超大作。145分出ずっぱりで、
熱演に次ぐ熱演を目の当たりにして、
それはもう、おなかいっぱいになったのでした。


失敗作とか、当時大コケしたとか
あまりいい評判は聞かないけれど、なかなかどうして
テクニカラーの鮮やかさとともに映し出される
歴史絵巻に耽溺する。

撮影当時30歳を超えていたバーグマンは、
19歳のジャンヌをピュアに力強く演じ、
少女のようにも見え、勇ましい戦士にも、
神々しい女神にも見える。

後半での宗教裁判において、
死刑への恐怖と神の教えとの挟間で苦悩する
バーグマンの演技は鬼気迫るものがある。
もともと舞台で同じ役を演じていて、
彼女自身が映画化を熱望したらしいので、
さぞかし演じ甲斐があったと想像する。

小心者で計算高いシャルル7世を演じた
ホセ・フェラーも実にせこい演技(褒め言葉)で、
権力者ってこういう感じかもと思ってしまう。

ジャンヌ・ダルクの生涯は
歴史絵巻としても、戦争物としても
裁判劇としてもドラマチックかつ悲劇的で、
映画をつくる人たちの
クリエイティビティを刺激するのは確かだと思う。

カール・ドライヤーの「裁かるゝジャンヌ」や
ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判」と
見比べるとどうなのだろう。リュック・ベッソンが
ミラ・ジョヴォヴィッチで撮ったのもあったっけ。
シネフィルのくせにどれも未見なので,
誰か見た人教えてくださいな。


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甘く辛く厳しく

2021年10月22日 | 映画など
ダグラス・サーク監督
「天はすべて許し給う」を見る。
たった89分の映画なのだけれど、見た後の疲労感は半端ない。
魂を持って行かれそうになるほどの凄みが、ある。
なんとも甘美で、厳しいメロドラマ。


裕福な未亡人が、庭師の青年と恋に落ち、
保守的な街の人々の好奇と偏見の目に苛まれていく物語。
愛し合うふたりの前に立ちはだかるのは「世間体」というやつだ。
この目に見えない厄介な代物に、ヒロインの
ジェーン・ワイマンは苦悩する。

アメリカにも世間体はあったんだな、と。
それはそうだろう、と思うのだけれど、
日本人の専売特許のようなものだと錯覚していたので、
ジェーン・ワイマンがだんだん高峰秀子に見えてきたというか。
ぶっきらぼうな好青年を演じるロック・ハドソンも
いつの間にか加山雄三に見えてしまう。
ダグラス・サークはアメリカの成瀬巳喜男か、と。

愛するふたりを、色眼鏡で見る
街の人々の醜悪な描写がそれはそれは秀逸で、
理解者のはずのヒロインの子どもたちも
母親をなじり、挙げ句の果ては裏切るという薄情ぶりに、
痺れるほどの残酷さが浮き彫りになっていく。

ふたりが愛を交わし合う、水車小屋の
質素だが清潔な雰囲気と、
窓から見える雪景色の美しさに目を見張りながら、
物語にも俳優の演技や台詞にも依存しない幕切れに驚く。
あのラスト、ちょっと他に見たことがないぐらい、というか。
見た人、リアルな場で会ったら酒でも飲んで語りましょう。

ジェーン・ワイマンという女優さん。
そうか「子鹿物語」とか「失われた週末」に出ていた人か。
しっかり者で包容力のある役どころが得意な女優さんだ。
今で言うとアネット・ベニングのような。

ロック・ハドソンは、
ほんと長身でワイルドな魅力に溢れているなあと。
ダグラス・サーク監督とは何本も撮っていて、
「ジャイアンツ」だけの人ではないと思う。
サーク監督の他の主演作
「風と共に散る」とか「心のともしび」は未見だけど、
きっといい映画なんですよね。誰かシネフィルの人、教えてくださいな。

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魂は入れ替え可能

2021年10月17日 | 映画など
アミール・クエストラブ・トンプソン監督
「サマー・オブ・ソウル」を見る。 
「あるいは、革命がテレビ放映されなかった時」
というサブタイトルが示すように、
ウッドストックフェスティバルがあった1969年の同じ年に、
ニューヨークで黒人ミュージシャンたちによる
大規模な音楽フェス「ハーレム・カルチャル・フェスティバル」が
開かれていて、30万人もの観客を集めていたという。
そんなすごいフェスがあったなんて知らなかった。
映像として記録されたはいいが、権力のある人たちが
歴史に残すものではない、と判断したらしい。
なぜなら、これは歴史に残るものだったから、
という証言が印象に残る。


冒頭からスティービー・ワンダーの
とてつもないドラムスが響いたと思ったら、
次から次へとものすごいミュージシャンが現れて、
観客を歓喜の渦に巻き込み、音楽への快楽に誘い、
自由と理想、そして闘争を歌い上げる。
フィフス・ディメンションのカラフルなダンスとコーラス、
マヘリア・ジャクソンの圧倒的な歌声は神を讃え、
スライ&ザ・ファミリーストーンは
観客をこれでもかと挑発し、まるでこのまま戦いに行け
と扇動しているかと思えるほど。

「黒人であることの誇り」を歌い上げる
ニーナ・シモンの歌を聞いていると、
このフェスは公民権運動を背景にした
黒人のためのものではあるけれど、
「黒人」という言葉を別のものに置き換えると、
誰の心にもすんなり突き刺さるのではないか、と。
たとえば「黒人」を「LGBTQ」と変えてもいいし、
「障がい者」「貧困に苦しむ人々」「ハラスメント被害者」といった
言葉に換えていくといいと思う。

同年におこなわれた
ウッドストックフェスティバルは、
映画を見る限り、もっとまったりした
平和の祭典という雰囲気があったような。
でも本作は、見る者に「座ってないで、立ち上がれ」
という決起集会のようなひりひりとしたパワーに満ちている。

そういえば、スライ&ザ・ファミリーストーンは
ウッドストックにも出ていたけれど、どんな雰囲気だったっけ。
ちょっと見直してみようかな、と。


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