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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

脳味噌は二度死ぬ

2021年10月09日 | 映画など
キャリー・ジョージ・フクナガ監督
「007ノー・タイム・トゥ・ダイ」を見る。
コロナ禍のため、公開が延期に次ぐ延期で、
ようやく見ることができたというか。
ダニエル・クレイグのボンドシリーズは、
物語が緊密に繋がっているので、
前作までの内容を把握していたほうが楽しめるんだろうな。
でも、律儀に見直してこの新作を見るような
真面目さに欠けている自分は、
「この人、見覚えあるけど、どんな役だっけ?」と、
脳味噌がまともに働かないにもかかわらず、
それなりに楽しく見たという。


いかにも007だなあと思うのは、
ボンドがクルマを走らせていると、
いつの間にか、追っ手のクルマやバイク、
ヘリなどが現れてチェイスが繰り広げられるところ。
なんとも安定の展開というか。
危機一髪の場面で安全安心な気分になる。

ダニエル・クレイグのボンドは
とてもハードでシリアスなキャラ造型なので、
荒唐無稽なアクションを楽しみつつ、
ここ笑っていいところなのかな、と戸惑うのはいつものこと。

ボンドガールのマドレーヌは、
子供の頃に親を殺されたという過去を持ち、
その殺害犯である細菌テロリストのサフィンとの因縁が語られる。
サフィンの秘密基地はなんと日本とロシアの国境にある島。
明確に千島列島と名指しされることはないけれど、
日本人にとっては、なんともデリケートな地点がクライマックス。
サフィンが妙ちくりんな日本趣味なのも笑うところなのだけど、
彼がまとう狂気性とのギャップに身悶えする。
ラミ・マレックはボンド映画の悪役では
史上最凶のヤンデレぶりだと思う。

ボンドガールといえば、
キューバでともに戦う新米のエージェントが
ちょっとペネロペ姐さん似のラティーノ美女で
アクションにもキレがあり、なかなかの存在感。
いったん引退したボンドの代わりに007の番号が
割り当てられた黒人女性のノーミもいい味が出ている。

レア・セドゥはボンドガールと言うよりは、
ヒロインと言った方がいいのかもしれない。
感情豊かで強くもあり弱くもある等身大の女性という感じ。

そしてダニエル・クレイグ。彼のボンドは本作が最後か。
ちょっと強面すぎると思っていたけれど、
今までになかったボンドを見せてくれました。
そして本作もこれまでの007では
ありえないラストを見せつけられて、驚愕してしまったのです。


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目を皿のようにして

2021年10月02日 | 映画など
春本雄二郎監督「由宇子の天秤」を見る。
確かに見た。見たんだけど、
なんだか「見えないもの」が見えた気がする。
それはもう、恐ろしいほどの強度を持って。


テレビドキュメンタリーの
ディレクターとして活躍する由宇子。
世に問いかけるドキュメントを撮ることを信条にしている彼女が、
学習塾を経営する父親が思わぬ事件を起こしたことから、
正義と正論をふりかざしてきた自身が破綻していく物語。

女子高生いじめ自殺事件の真相を追う彼女は、
被害者家族の心の奥底に入り込んでいけばいくほど、
その複雑怪奇な心理状態を目の当たりにしてなすすべも、ない。
そして、自身の父親が事件の加害者になったことで、
今度は自分の内面で複雑怪奇な葛藤が起こる。

彼女がもっとも恐れているのは、
ネット社会における社会的制裁の恐ろしさだ。
だがドキュメントのディレクターとして、
社会から誹謗中傷を受けた人たちを救おうとしている当人が、
身内である父親の事件を隠蔽しようとする。まったくの矛盾。

彼女は正義の人であり、欺瞞の人でもある。
他の登場人物も同様で、まったくの善人も悪人も出てこない。
だから見ていて不安になる。ネットの怖さも
社会的制裁の恐ろしさも、スクリーンから明確には見えてこないし、
彼ら彼女らの葛藤や不安も、はっきりと台詞に出るというよりは、
苦悩の表情や突飛な言動に表れてくる。
観客はそれを見て、感じ、何を信じていいのか。
登場人物の誰にも感情移入できず、ぶるぶると震えて見つめるしかない。

劇中、もっとも戦慄したのは、
被害者家族の小さな女の子が「血筋ってなあに?」と
主人公に聞く場面だ。この子が学校で
いじめられたりするような凡庸な描写を避け、
さりげない台詞で観客を震え上がらせる脚本の巧みさ。

由宇子を演じた瀧内公美は、
これからの日本映画を背負って立つ人だと思う。
最近の女優さんにはない
スケールの大きさというか強靱さがある。
彼女が気に掛ける女子高生を演じた河合優実は、
「サマーフィルムにのって」で
「時かけ」を読んでいたあの女の子か、と。
父親役の光石研もさすがの助演で、他の俳優も
みんな演じているという感じがしなかったというか。
それほど映画の中に溶け込んでいたということだろう。

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死屍累々な者たちへ

2021年09月28日 | 映画など
土井裕泰監督「花束みたいな恋をした」を見る。
あのですね。おっさんは、もう号泣ですよ。
どうしてくれるんですか。なんという傑作なんですか。
もうチビリまくりで、体のあちこちから液体がダダ漏れに
なっちゃいましたよ。って下品ですみません。


大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)。
この文化系サブカルなふたりの出会いが丁寧に描かれる。
のっけからふたりが好きな作家や映画、
漫画やゲームなどの固有名詞を連発し、
お互いの距離を縮めていく。作家といっても
長嶋有とかいしいしんじなどの名が出て、
「お前、わかってるなあ」「俺、ちょっと他の人とは違うから」的なスタンス。
早稲田松竹や下高井戸シネマのマニアックな番組編成に喜び、
漫画を一緒に読みながら涙ぐむふたりは、
ついには就活を諦め、自由気ままな共同生活に突入する。

そんなふたりにも生活がのしかかってくる。
バイトをしたり、イラストを描いたりしているけれど、
なかなか思うようにはいかず、
まともな、というかブラックすれすれの会社に就職して、
いつのまにかサブカル人間であることを忘れていく麦。
そんな彼を残念そうに見つめながら、どうにもできない絹。
アキ・カウリスマキの「希望のかなた」をつまらなそうに見て、
帰りの書店では自己啓発本を立ち読みする麦は、
文芸誌「たべるのがおそい」の最新号を喜んで買う絹との
距離がだんだん開いていく。

サブカルなんか知らないよ。
そんなモノでおなかいっぱいにはならないだろう、
という人ばかりがふたりの前に現れる。
サブカルな領域にしがみついている人たちも
わずかにいるけれど、命を落としたり、
犯罪をおかしたりするという展開。

これはモラトリアムでサブカルな人たちに
引導を渡している映画なのか。ラブストーリーだと思って
見ている観客の心を冷やしていく、それはもう凍り付くぐらい。

映画や文学や漫画がいくら好きでも人は幸せになれない。
ダメだよ。大人になりなさい。
そんなクソつまらない無言の圧力に押しつぶされ、
精神的な意味で死んでいく人たちの何と多いことか。

それでもハッピーエンドになるのがすごい。
これだけ高揚させて、焦らせて、切ない思いをいっぱいに浴びて、
さんざん泣かせるにもかかわらず、観客を幸せな気分に持っていく。
そうか。サブカルに挫折した人々を
救済してくれる映画だったのか、と。

そして本作は「靴」の映画でもある。
明らかに意図的に撮られたふたりの白いシューズ。
その移り変わりを見ているだけで、
泣けて泣けて仕方ないのです。それから「猫」。
ふたりが飼っている猫がだんだん大きくなるところ。
なんともまあ。思い出すだけで
体のあちこちから液体がダダ漏れに
なっちゃいましたよ。って下品ですみません。


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僕らが旅をする理由

2021年09月25日 | 映画など
濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」を見る。
179分の長尺。だが1秒たりとも無駄がない。
言ってみればただクルマに乗って、
無表情な俳優たちが芝居の台詞を喋っているだけの映画。
なのに、訴えかけるものの強さに圧倒され、
最後には心が癒やされるほどだったという。
緻密で思索的でありながら、
映画ならではの開放感に浸ることもできたというか。


クルマの映画だと思う。
ターボ2ドアのサーブ900という真っ赤なクルマが、
生き物のようにするすると道路を疾走し、停車し、徐行する。
静かに響くエンジン音、雨の日のワイパーの動き。
カーステレオから流れる「ワーニャ伯父さん」の台詞。
登場人物たちの感情をあちこちに運んでいるかのよう。

タバコの映画だと思う。
西島秀俊演じる演出家の家福(かふく)も、
三浦透子演じる雇われドライバーのみさきも、
大事な言葉を発する代わりに、タバコに火をつける。
ときおり、タバコを譲ったりライターを渡したり、
火をつけあうことで、お互いの信頼性や友愛を確かめ合っているよう。

台詞の映画だと思う。
死んだ妻が生前、何故浮気をくり返していたのか。
家福は自問自答して悩む。その心境と
舞台「ワーニャ伯父さん」の台詞がシンクロししていく。
演じている自分が本当なのか。それとも
クルマに揺られている自分が本当なのか。
その様子を運転席から感じ取るみさきはあくまでも寡黙で、
助手席という舞台を見る観客のよう。

そしてクライマックス。
映画は、広島からみさきの故郷である北海道まで
長い長いロードムービーとなる。重い重い旅なのに、
空はずっと曇天で、北海道では雪道になるというのに、
だんだん心が晴れやかになっていくのは何故だろう。
それは家福とみさきに限らない。観客もそうだ。
映画にどんな力が働いているのか。移動の快感なのか。
時間が経過するように感じるからだろうか。
ここではない、現実とは離れたところに飛ぶからなのか。

みさきを演じた三浦透子。
その表情、ドライバー然とした立ち振る舞い、
家福を待ちながら文庫本を読む姿、ぶっきらぼうな台詞まわし、
とにもかくにも、すべてが素晴らしい。

家福に演出される俳優で、妻の浮気相手を演じる岡田将生。
クルマの中に異物として入り込み、
物語を動かす役割を担う。実に好演。

主役の西島秀俊。もちろんいいのだけど、
本来こういう硬質なキャラクターに魅力がある人だと思う。
朝ドラ「おかえりモネ」での役柄とのギャップがなんとも。
余談だけど、家福(かふく)という響きが
どうしても「カフカ」と聞こえてしまう。
原作者のハルキ先生はどう感じたんだろう。誰か聞いてみてくださいな。

濱口竜介監督は東日本大震災で被災した人たちの語りを記録した
「なみのおと」「なみのこえ」が
台詞と対話の力で見せ切る傑作ドキュメンタリーだった。
商業デビュー作の「寝ても覚めても」は
どうにも苦手な映画ではあったけれど、もう一度見てみようかな。

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惰眠のススメ

2021年09月20日 | 映画など
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
「光りの墓」を見る。
人が眠るとき、まどろむとき、夢を見るときに
どうなっていくのかをゆるゆると
探検していくような映画。
浮遊しっぱなしなのに、足が地に着いた感じもあって、
なんとも風変わりな映画だったという。


原因不明の眠り病に陥った兵士たちを
看病する看護師やボランティア、霊媒師の女性たち。
兵士たちはこんこんと眠り、ときおり目覚めては
女性たちとしばしの会話を交わしたあと、また眠る。
どうやら兵士たちは、この病棟の地中深くにある
古代王朝の墓にいる亡霊の影響で眠り病にかかっているらしい。
ボランティアの女性ジュンは、
兵士イットの世話をしながら、
亡霊たちとつながることで自らの過去と向き合っていく。

ゆったりした時間の流れのなか、
ジュンの心の奥底にあるものが、
じわじわと湧き出てくる。
それをじっと見る、というか、味わう。

とにかくみんな寝ているだけなので、
下手をすると、見ている観客も眠ってしまいそう。
でも、それはそれで悪いことではなかったりする。
寝ながら、自分の過去を振り返ってみるのも、いい。

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督は
「ブンミおじさんの森」でカンヌでパルムドールを獲ったりしていて、
シネフィルが喜んで見るタイプの監督だったりするけれど、
でもね、アピチャッポン・ウィーラセタクンって
舌噛んじゃって、なかなか発音できないんですよ。
「ああ〜あびちゃっぽんうぃーらせたくん、ね。
ふふ〜ん。あの監督はねえ〜」と
自慢げに言ってみたいものだけど、
そんな頭の悪い機会は皆無なのです。

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疾走の果てに

2021年09月14日 | 映画など
青柳拓監督「東京自転車節」を見る。
コロナ禍で仕事を失い、
稼ぐために東京でウーバーイーツの
配達員を始める若者のセルフドキュメンタリー。
凄まじさと同時に切なく、なんとも愛おしい。


コロナ禍以降、
ウーバーイーツの若者を見ることがやたらに多くなった。
同時に、その過酷な労働状況がメディアで伝えられているけれど、
本作を見ると、予想以上に厳しい境遇にあることがわかる。

彼ら彼女らは個人事業主であり、
自由に働ける分、何の保証もない。
商売道具である自転車が故障しても、
スマホが壊れても、事故を起こしてもすべて自己責任。
劇中、労働者が搾取されている問題について語る
ケン・ローチ監督の姿が映し出されるけれど、
「そんなこと言われても稼がないといけないし」
と呟く主人公の姿が真に迫ってくる。

とはいえ、映画はコミカルに演出されていて、
主人公の弱さや情けなさに笑ってしまう。
過酷とは言うけれど、労働の楽しさ、面白さもあるし、
人との繋がりもわずかながらあったりするところ。
配達の途中で出会ったお婆ちゃんとの会話の深さに感じ入る。

iPhoneとGoProで撮られた本作は、
ちゃんとしたカメラがなくても
じゅうぶん映画ができることを証明しているし、
なによりも、本作はしっかりした撮影と録音、
画面づくりの的確さは、絵コンテを切っているからだろう。
まさにプロの仕事だと思う。情けない自分を演出し、
世間に知らしめようとする確信犯的なところもある。

青柳拓監督は日本映画大学の出身で、
すでに監督作が何本もある人。
彼の人生はそれはそれは過酷だと思うけれど、
映画という表現手段を武器に、面白い映画をこれからも作ってほしい。
撮る動機があることの大切さを痛感するし、
彼を動かしているものでいちばん大きいのは、怒りであることも、
本作を見応えのあるものにしている。




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生きるまで生きる

2021年09月01日 | 映画など
青山真也監督
「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」を見る。
霞ヶ丘アパートとは、1964年の東京五輪の際、
国立競技場に隣接して建てられた団地のこと。
今回の東京オリパラで取り壊しの対象となった
アパートの住人たちの姿を追ったドキュメンタリー。
静かな悲しみと、どうにもならない怒りが
じわじわと押し寄せてくる。


10棟あまりのこの都営団地に住む人々は、
ほとんどが年金受給の高齢者世代。
ここが終の住処になるだろうと考えている人たちが
大半だったと思われる。

劇中、映し出される住居の様子。
ものすごい数の細かな備品や家具、新聞や衣服のたぐいが
所狭しと詰まれている。それらのひとつひとつが、
ここに住む人たちが暮らしているということの証なのだろう。
カメラがその状態をじっと撮るだけで、
実に多くのことが伝わってくる。言葉はいらないというか。

一人の老人がクローズアップされる。
その人は片腕を失っており、
明らかに困難を抱えている様子なのだけれど、
部屋に立派なドラムセットやギターなどの楽器が
置かれているのに驚く。が、映画はまったく説明しない。
障害のある人ときらびやかな楽器の数々のギャップこそが
人間が生きていることの不思議さというか面白さというか。

この老人を始め、この団地で生きてきた人たちの生活が、
ラグビーW杯とかオリパラとかコロコロと理由は変わりながらも、
結局は再開発のため、金儲けをしたい国と巨大企業の犠牲となってしまう。
老人たちはささやかな抗議活動をするけれど、
体力と気力をどんどん吸い取られていく過程はなんとも悲しい。

定点観測的に映し出される
団地内にあるスーパーで、老人たちがぽつりぽつりと
やってきては、世間話をしてお惣菜や果物を買っていく場面。
団地内の集会所で、かつて賑やかだった時代の
8ミリフィルムを上映したときの老人たちの笑顔。

こうした場面を焼き付けておく必要があったと思うし、
本作がつくられた意義は大きい。
いくら団地を壊して、新しい施設を建てたって、
また50年もすれば壊されるんだし。
でも映画は残る。50年経ってもきっと。
住処を奪われた人たちの無念と悲しみ。
そして老人たちの生きた澱(おり)のようなものを
見る人の心の中に溜めていくに違いない。

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狼になりたい

2021年08月27日 | 映画など
白石和彌監督「孤狼の血 LEVEL2」を見る。
鈴木亮平に尽きる。以上。
これぞ東映マークのヤクザ映画。以上。
白石監督の最高傑作。以上。
以上が多いな。でも短くて頭の悪いフレーズを連発して
感嘆したくなるのです。期待を遙かに超えた面白さ。以上。
 

前作では善良な刑事だった日岡(松坂桃李)が、
すっかりやさぐれていて、
こういうヒーローを見るのは久し振りというか、

日岡に敵対するヤクザ上林(鈴木亮平)が、
凶悪で鬼畜であればあるほど、見る側の心がヒートアップしていく。
体格が良く、運動神経もいいのだろう。
これだけ魅力的な悪役は珍しいというか、

そんな二人がぶつかるのだから、
それはもうアドレナリンが分泌しまくりというか。
どっちが殺(と)るか、殺(と)られるかを
ただ眺めていればいい。

白石監督はこの上林を「ゴジラのようなもの」
と言っているらしい。怪獣。そうなのか。
その怪獣がどうにもならない過去を背負っているところも
単なる活劇に終わらないわけで。

脇を固める吉田鋼太郎の狡猾なヤクザ
威勢はいいけど度胸のない親分を演じた寺島進もさすが。
中村獅童のいかにも昭和を引きずった感じのブン屋とか、
若頭を演じた斎藤工や毎熊克哉のたたずまい。
みんなどこかユーモラスな感じがあるのも楽しい。

こういう映画には
必ず悲しい末路を遂げる若者が出てくるけれど、
村上虹郎もいいテンションで演じていたと思う。
彼の姉を演じた西野七瀬は乃木坂46の人なんだな。
この姉弟が韓国ルーツの設定であることも
ドラマに深みを与えてくれるというか。
群衆劇としての面白さはもとより、
キャスティングと脚本の勝利だと思う。

と、まさに絶賛だけど、前作の「孤狼の血」は
あまりにも深作監督の「県警対組織暴力」に似ていて、
逆にそことの差異ばかりにこだわってしまった。
だからシネフィルは駄目なのです。
映画は映し出されるものをただ受け止めればいい。
その精神で見た本作はなんとも傑作だったなあ、と。




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ノスタルジーと不安感

2021年08月17日 | 映画など
山田洋次監督「キネマの神様」を見る。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のような
大感動作として喧伝されている本作。
確かに、心を動かされる場面は多い。
でも、それだけではなく、
コロナ禍で撮られた映画であることを
強く意識させられる作りで、
ちょっとあんたたち、感動している場合か? という、
山田監督の強いメッセージも伝わってきたのです。


約50年前の、おそらく大船か蒲田の
松竹撮影所での描写が素晴らしい。
山田監督が実際に助監督のときに吸ったであろう空気が
感じられるというか、撮影所の猥雑で活気のある雰囲気の楽しさ。
主人公の青年時代を演じる助監督ゴウを演じる菅田将暉、
映写技師テラシン役の野田洋次郎、
食堂の娘・淑子役の永野芽郁が揃って好演。

この3人の三角関係も微笑ましく、
淑子がゴウに思いを打ち明ける場面は、
すごく良質な松竹映画(変な表現だな)だという気がする。
淸水宏を彷彿とさせる監督役のリリー・フランキーや、
人情味はあるけれど、居丈高な撮影監督を演じた松尾貴史など、
助演の人たちも実に適材適所。

転じて50年後。
すっかり老いたゴウと、彼を支える妻の淑子。
そして、寺島しのぶ演じる娘とその息子の描写がある。
ノスタルジーにあふれ、牧歌的だった50年前とは大きく変わり、
ゴウはアル中でギャンブル狂い。おそらく治療が必要なレベル。
淑子もかなりの高齢なのに働かなければならない状況。
娘はバツイチの派遣社員で契約期間切れに遭い、
失業してしまっている。さらに息子は
詳しくは描写されないけれど、ずっと家にこもっているので、
何らかの問題を抱えているのかもしれない。
映画館の館主になっているテラシンは、
コロナ禍のため、休館の危機に陥っている。

そんな状況を山田監督は、
多少コミカルではあるけれど、厳しく描く。
過去と現在が繫がっている物語でありながら、
あまりにも両者が乖離していて、
まったく違う2本の映画を見せられているような
不思議な感覚に陥るのでした。

主役を演じるジュリー。
いろんな意味で、なんともきったねえジジイだなあ、
というのは褒め言葉になるんだろう。
宮本信子と小林稔侍、寺島しのぶは安定の助演だけど、
息子を演じた前田旺志郎が、いい。
あと、映画館のバイト役の志尊淳が
チャラくて気のいいあんちゃんを演じていて、
あらためて、山田監督の脇役の使い方は抜きん出ているなあと。
本作は若手俳優がみんな素晴らしい。

故・志村けんが主人公を演じるはずだった本作。
ジュリーと比べてああだこうだと言うのは野暮でしょう。
志村けんの遺志を継いだジュリーが魂の名演、とか、
ジュリーの東村山音頭に涙が出てきました、
という感想を否定するつもりはまったくないけれど、
本作の見どころはもっと別のところにあると思う。

さらに、ウディ・アレン「カイロの紫のバラ」とか
ジャン=リュック・ゴダール「カラビニエ」、
バスター・キートン「探偵学入門」の
オマージュなのか借用なのかと偉そうに語るのも
シネフィルの悪癖だから自粛しましょうね。

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過去も未来も抱き留めて

2021年08月08日 | 映画など
松本壮史監督「サマーフィルムにのって」を見る。
おお。素晴らしい。なんという傑作。
そもそも女子高校生たちが映画作りに情熱を燃やす
という題材に惹かれるし、
見てびっくりするほどの映画愛の炸裂ぶりと、
血湧き肉躍る活劇の面白さ。
そして、登場人物たちの切ない思いがほとばしり、
青春映画としてのきらめきにも事欠かない。


主人公の高校生ハダシは大の時代劇マニア。
勝新の大ファンで、座頭市をこよなく愛している。
名画座でたまたま出会った男子の凛太郎こそ、
自分が撮ろうとしている侍の役にぴったりだと
無理矢理彼を説得し、仲間と共に撮影に突入する。

ハダシを演じているのは元乃木坂46の伊藤万理華で、
ショートカットのオタク高校生という役どころは
「映像研には手を出すな!」の浅草みどりを彷彿とさせるというか、
猪突猛進のキャラでありながら、もろい面も垣間見せてくれて好演。

時代劇への夢、そして映画への夢。
憧れのものに近づくために悪戦苦闘するハダシたちと
ポンコツな仲間たちのアンサンブルが楽しい。
そして、ハダシの凛太郎への思い。
彼への思いが溜まりに溜まり、
ついに爆発するクライマックスの活劇に鳥肌が立つ。

好きな人への思いと、映画への思いが融合する瞬間。
現在と未来をつなぐSF的展開もふくめて、
大林映画へのオマージュも大いに感じさせてくれた。

どんな映画か、と問われると答えに窮するかもしれない。
見た人によっては、これは学園物だろうし、
胸がときめく青春映画かもしれない。
あるいはノスタルジックな時代劇か、
はたまた時をかけるSF映画に見えたりするからだ。

つまりは、どんな映画か、という問いに
見た人それぞれの琴線に触れるような映画なのだと
結論づけることにしたい。傑作。

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