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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

断片を拾い集めて

2022年03月01日 | 映画など
松居大悟監督「ちょっと思い出しただけ」を見る。
これはいい映画だなあ。
伊藤沙莉。本作は彼女の代表作になるんじゃないか。
池松くんも珍しく等身大の役どころが見られたというか。
ふたりの絶妙なアンサンブルが織りなす、
切なくていとおしいラブストーリー。


高円寺のガード下で、
誰もいない夜の水族館で、
伊藤沙莉が両手を広げ、
くるくると回ると映画が動き出す。

個性的なこの女優さんの
どこか固めの演技が、ふとやわらかになる瞬間を
見届ける幸福感を噛みしめたい。

劇中のさまざまな場面でケーキが出てくる。
池松くんの誕生日を祝い、伊藤沙莉が渡そうとして、
結局渡せないケーキ。あるいは部屋で仲睦まじく
分け合って食べるケーキ。一人残された池松くんが、
路上で淋しそうに食べるケーキ。
あるいは、ふたりの常連にしているバーで
無理矢理池松くんが食べさせられるケーキ。

何かを渡すこと。受け取ること。
分け合うこと。渡せないこと。
そして受け損なうことを積み重ねていき、
ふたりの物語をつくっていく映画なんだな、と。

タイトル通り、
「ちょっと思い出しただけ」なのだから、
さまざまな記憶の断片が細切れに現れるわけで、
だから、時系列が交錯するんだろう。

ジム・ジャームッシュ映画の記憶。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」へのオマージュ。
がらっぱちのウィノナ・ライダーと伊藤沙莉の相似性。
そして「パターソン」と
「ミステリー・トレイン」の記憶のもと、
ベンチに佇む永瀬正敏を登場させ、
主人公のふたりを見守る。

定点観測的なショット。
猫。ベランダ。ストレッチ。アパート。
地蔵。坂道。公園などに
静的な美しさを感じ取る。

尾崎世界観が出ていたのは、
そうか「私たちのハァハァ」を撮った監督だからか。
クリープハイプの曲をちゃんと聞きたくなった。
あの映画も、もういちど見直してみたい。


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ざらざらと逆光線

2022年02月19日 | 映画など
スティーブン・スピルバーグ監督
「ウエスト・サイド・ストーリー」を見る。
スピルバーグの最高傑作、との宣伝文句が。
ウソつけ、あれだけ傑作がある監督なのによく言うよ。
と思ったら、スピルバーグ75歳にして
ホントに本作が最高傑作かもしれない。
というか、アメリカ映画史上の最高作ではないか。
こんなに完璧なものを見せられて、
もう映画を見るのをやめてもいいかな、と思うぐらい。


すいません。
いきなりシネフィルモード炸裂です。

本作が傑作だというのは
最初からわかっていた。
だって「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」の
オープニングの流麗なミュージカルシーン、覚えてませんか?
あれを見たら、それはそれは躍動感のある
ミュージカルを撮ることぐらいお茶の子さいさい(死語)でしょう。

本作のオープニング。
プエルトリコ移民とプアホワイトが住むNYウエストサイド。
この地域が再開発されようとする場面が映し出され、
崩壊間近の地で繰り広げられる諍いの物語であることが示される。

ジェッツ団とシャーク団が鉢合わせ、
怒り、走り、踊り、戦う。
たたみかけるような追っかけシーンに
これはやっぱり「インディ・ジョーンズ」か。
あるいは「ジェラシック・パーク」か。はたまた「宇宙戦争」か。
と思いつつ、観客を興奮させることは間違いない。

高揚感だけではない。
全編を覆うのは、ぎらぎらしていながら、
どこか寒々しくてざらっとした映像。
撮影監督ヤヌス・カミンスキーの力に負うところが多いのだろう、
シビアで悲しい物語だということが体感できる。

マリアとトニーが出会うパーティ会場。
スピルバーグお得意の逆光の演出で
ぱあっと照らし出されるふたり。その美しさと切なさ。
撮影の映画としての最高峰を目の当たりする幸福を噛みしめる。

虐げられた者同志である
移民とプアホワイトの分断は、
2022年の今でも、たいへんリアルに迫ってくるわけで、
そもそもこの作品は時代を超えた普遍性があるということだろう。
つまりは元ネタの「ロミオとジュリエット」、
シェイクスピアが偉大なのだ。

映像に驚き、感極まり、
世の中の不条理に怒り、悲しむ。
そして恋人たちのほんの一瞬の愛の交歓に喜び、泣く。
映画にこれ以上、何を望めというのか。

なんか絶賛してしまいましたが、
オリジナル「ウエスト・サイド物語」と見比べて、
ああだこうだと講釈を垂れようと思っていた自分は愚の骨頂。
両方とも名作です。以上。
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新世界を脱出せよ

2022年02月11日 | 映画など
片山慎三監督「さがす」を見る。
ポスターの佐藤二朗の表情から、
それはそれはやさぐれた映画だろうと予想しつつ、
まったく前知識のないまま見ていたら、
その予想を遙かに超える展開に呆気にとられてしまう123分。


佐藤二朗演じる父親が突然失踪する。
その行方を追う中学生の娘を演じる伊東蒼が素晴らしい。
ベタベタな関西弁で悪態を尽きながら、
自分を慕う男子と共に捜索を続ける。
失踪の原因となった男をネットの動画で発見し、
静止画像にマジックで男の顔に眼鏡を書き添える場面や、
自分を保護しようとしてきた教会のシスターに
ツバを吐きかける場面は、
日本映画にあまり見られないメンタリティーだ。

肝の据わった娘の話で終始するかと思いきや、
場面も時制もいきなり転換していく。
事件の鍵となる男を演じる清水尋也もまた素晴らしい。
この男が持つ狂気が映画を支配し、
そこに森田望智演じる自殺願望の女がからみ、
おいおい、娘の話はどうなったんだ、と思っているうちに、
失踪していた佐藤二朗が場面をさらっていくという。

観客を戸惑わせ、ときおりどぎつい描写で
戦慄させていく脚本と演出を担った
片山慎三監督はかなりの曲者かも。

と思ったら、この監督、
ポン・ジュノの助監督をしていた人らしく、
日本映画離れしていると思ったのは、
「殺人の追憶」など、韓国映画の濃厚な犯罪映画のDNAを
受け継いでいるからなのだろう。出世作の「峠の兄妹」は未見だけど、
シネフィルの皆さん、きっと面白いんですよね?

そして、朝ドラファンにはさらなる衝撃が。
ポスターの伊東蒼を見て、
どこかで見た子だな、と思ってたら
そうか、「おかえりモネ」に出ていた女の子だ、と。
さらに清水尋也も森田望智も、
清原果耶の同僚で頼れる先輩として
爽やかな演技を見せていたっけ。
でも本作では、それはそれはやさぐれた役柄で、
この人、こんな芝居するんだ、
いやあ〜やめてぇ〜と叫びたくなるくらい、
俳優としてのポテンシャルの高さを見せつけられたのです。

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すべては今夜始まる

2022年02月08日 | 映画など
ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンス監督
「ウエスト・サイド物語」を見る。
スピルバーグじゃないですよ。オリジナルです。
リメーク公開の前におっきなスクリーンで見る機会に恵まれた。
ありがとう立川シネマシティ。


何十年ぶりかの再見。
初めて見たのはいつだったかな。
十代の頃なのは間違いない。遠い遠い昔のこと。
でも、なんか苦手だったのです。
圧倒的な映画体験とはいえ、
かなりシリアスだし、楽しくないし。
犯罪映画を見ているような気分になった記憶が。

それもそのはず。ミュージカルと言えば、
わかりやすくて親しみやすい
「サウンド・オブ・ミュージック」ぐらいしか
知らなかったし、何の知識も経験もない
ガキンチョに何がわかるというのか。

人種差別や格差問題が色濃く練り込まれた設定。
計算されつくした厳しいダンスと、
見る者に社会問題を訴えかける楽曲。

再見して驚いたのは、
禁じられた恋に落ちるマリア(ナタリー・ウッド)と
トニー(リチャード・ベイマー)が実に活き活きとしていること。
自分の記憶のなかでは、マリアは内向的な女の子で、
トニーはおっとりしたお坊ちゃんというイメージがあった。
感情を爆発させる主役の二人の魅力があってこその本作、というか。

ジョージ・チャキリスを始めとする
俳優たちのきびきびとした身のこなし。みんな走るし
叫んで泣いてわめく。堪えきれずに踊り、歌う。
自らの存在意義に悩み、世の中への怒りを燃え上がらせ、
一途な思いを発露させるのに
ミュージカルという手段を取っているんだな、と。

いや。もう。感服しました。
本作が名作だったことにずっと気づかず、
やっぱりミュージカルは
アステア&ロジャースじゃけんのお、
とか言いながらシネフィル風を
吹かせていた自分が恥ずかしい。穴があったら入りますよ、すぐ。

戦後、能天気でハッピーな
ハリウッドのミュージカルを見ていた人たちが、
本作にものすごい衝撃を受けた、という箇所が
小林信彦の小説などを読むと出てくるのだけど、
その心情が少しわかるというか。知識でなく、体感として。

スピルバーグ版を見る前に、
行ける人は立川に走るべきでしょう。
今夜にでも。トゥナイト♪トゥナイト♫

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ワッショイ三昧の海

2022年02月03日 | 映画など
鈴木則文監督「お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」を見る。
松方弘樹にこんな主演作があったんだな。
シネフィルって何でも見ているようで、
実は大して見ていないのです。知識も曖昧で乏しいんです。
と自虐モードは置いといて、
松方弘樹は喜劇役者だなあ、思うことしきりの娯楽作で、
笑いとお色気と涙にまみれた94分。


松方が演じるのは、
三度の飯より祭りが好きな
築地の魚市場で働く威勢のいいあんちゃんだ。
曲がったことが大嫌いで、
なにかと言えば喧嘩っ早いしモテモテだが、
本人自体は意外なほど奥手で純情という、
寅さんが魚河岸で働いていたら、こんな感じなんだろう。

ヒロインは東てる美。
薄幸のストリッパー役で、彼女も素晴らしい。
余命いくばくもないこの女と松方が、
チャリで人気のない魚河岸を走る場面の美しさに驚く。
とことんわかりやすくて下品。
見ている方が失笑してしまうほどの
ベタな演出を得意とする則文監督が
ここぞとばかりに見せる絶品のシーンにさすがだなあ、と。

東映が菅原文太で
喜劇路線の「トラック野郎」が大当たりしたので、
松方主演で2匹目のドジョウを狙ったようだけど、
不入りでシリーズとはならなかったらしい。
脇を固める夏純子や岩城滉一、
志穂美悦子、小倉一郎などの俳優陣も充実しているのに、残念。

松方はほんとに身のこなしがしなやかで、
だからこそコミカルな役どころも得意としたのだと思う。
にかっと笑うところの憎めない感じも、いい。
本作の前に「テキヤの石松」という
これまた楽しそうな主演作があり、これも面白いんですよね?
誰かシネフィルの人、教えてください。

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長いこと生きていれば

2022年01月22日 | 映画など
クリント・イーストウッド監督「クライ・マッチョ」を見る。
またまた何度も同じことを書く。
イーストウッドはいったい何本傑作を撮れば気が済むのか。
しかもしみじみと泣けてしまったではないか。
なんというご老人なんですか。あなたは。


かつてのロデオスターが落ちぶれ、
やさぐれた後半生を送ったあと、恩人の息子を引き取りに、
メキシコに旅をするロードムービー。

演技なのか、地なのか。覚束ない足取りを
ハラハラしながら見つつ、
でもイーストウッドだからなあ。
結局のところ、どんなに歳を取ってもヒーローなんだろう。
そしてタフガイなんだろう。おまけにモテモテなんだろう。
とうがって見ていたら、その通りだったという。
それが見ていて気持ちいいことこの上ない。

老体のイーストウッドがカウボーイハットをかぶり、
馬に乗るだけで、泣けてしまうのだけど、
少年とメキシコのひなびた街で、のんびりと過ごす場面が
これほど泣けるなんて。

街のレストランの女将とねんごろになるのは
お約束とはいえ、彼女の孫と手話で話す場面で、
「長く生きてるとこれくらいできるんだ」という台詞に
何の根拠も伏線もないくせに、ひどく納得してしまう。
動物を診てくれと街の人々が、飼い犬やヤギ、ブタなどを
連れてきて、「俺はドリトル先生か」と
嬉しそうに嘆く場面も泣けて泣けて。

それは、この91歳の爺さんが、
人々に愛され、信頼されているからだろう。
現実にはありっこないというか、少なくとも
自分はこんな老境を迎えることはないと断言できるほどの
ユートピア感に涙腺が緩んでしまったのだ。
そんな幸薄い観客(自分だけ?)の代わりに、
イーストウッドが理想の老い先を見せてくれている。

レストランで居眠りをする場面。
寝て、いったん起きて、また寝る。
なんというものを見せられているのだろう。
こんな演出、あんまり見たことない。と驚愕しつつ、
観客の側もまったりしてしまう不思議。

思春期にさしかかった少年との掛け合いも楽しい。
ものすごくひねくれていると思ったら、
驚くほど素直になるのもこの年代の男の子、というか。

そして動物たちの名演。
イーストウッドにぼん、と叩かれ、
ぶるると反応する馬たちが愛おしい。
そして「マッチョ」と呼ばれる闘鶏が最後に場面をさらい、
そうかあ、そうなるよなという
至福のラストに流れ込んでいくのでした。
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痛みと反芻

2022年01月12日 | 映画など
エリザ・ヒットマン監督「17歳の瞳に映る世界」を見る。
妊娠した17歳の高校生とその従姉妹が、
中絶手術を受けるために、
ペンシルバニアからNYの病院を訪れる2日間を描く。
実に痛い映画だと言ったら、
男のあんたに何がわかる、と非難されそう。
それはそうかもしれないが、
とにかく語られているものを見て、聞いて、反芻する。


とても説明的な邦題だと思う。
でもこう付けるしかなかったのだろう。
原題は「Never Rarely Sometimes Always」。
これはカウンセラーがクライエントに聞く質問項目だ。

たとえば「性的被害を受けていましたか?」という質問に対して、

Never  一度もない
Rarely  ほとんどない
Sometimes  時々ある
Always 常にある

の4択で答えさせるための用語なのだ。
実際、主人公のオータムが、
病院でカウンセラーにこのように聞かれ、
その瞳からだんだん涙がにじみ出てくる場面に息を呑む。

彼女を妊娠させた男のことは描かれない。それだけに
身勝手な男社会への怒りがこみ上げてくるが、
映画は声高にそれを語らず、
賑わうNYの町並みに埋没する主人公たちの
行動を淡々と描写していく。

バスで知り合ったNYの青年に
帰りの運賃をめぐんでもらうために、
彼とカラオケやボウリングに行くオータムと従姉妹のスカイラー。
従姉妹が金のために青年の欲望を受け入れる場面は、
この世の生き地獄を見ているよう。

それでも生きる彼女たちに
明るい未来はあるのだろうか。
男のあんたに何がわかる、と非難されても
考えるしかないのです。したり顔で
シスターフッド映画のあらたな傑作と言いがちな口元を抑えつつ、
少しずつ、少しずつ考えていく。

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幻惑されて

2022年01月02日 | 映画など
エドガー・ライト監督
「ラストナイト・イン・ソーホー」を見る。
おお。確かにこれは傑作だなあ。
青春モノとホラー、60年代趣味と
ミュージカルがまぜこぜになって
見る者を幻惑する118分。


もし自分が10代で高校生とかだったら、
きっと「エドガー・ライトやべえ」とか言いながら
興奮していたに違いない。かつて、デ・パルマや
ジョン・カーペンターの映画に夢中になっていたときの
気持ちがよみがえってきたというか。

特に鏡を使った演出。
主人公の美学生エロイーズがいつのまにか
1960年代のロンドンにタイムスリップし、
鏡のこちら側と向こう側を行き交い、
ダンサー志望の女の子サンディとシンクロしていくところの
流れるような語り口に魅せられる。

後半は次第にホラー風味になっていき、
ヒッチコック「サイコ」やロメロのゾンビシリーズへの
オマージュがふんだんに盛り込まれつつ、
60年代ロンドンのヒット曲に加え、
当時のアイコン的な存在としての
テレンス・スタンプのキャスティングなど、
監督の趣味が全開のようだけど、マニアックなネタを
知らなくても充分楽しめる。

主人公のエロイーズがあれだけ憧れた
60年代のロンドンが実は、女性たちにとって
搾取と抑圧の時代でもあったことが示唆され、
そこをホラーとして描いたところに新しさがあると思う。

エロイーズを演じたトーマシン・マッケンジー。
どこかで見たと思ったら
そうか「ジョジョ・ラビット」のユダヤ人の女の子か、と。
最近見た「パワー・オブ・ザ・ドッグ」にも出ていて、
若手のスターとしてどんどん伸びていくのだろう。
そして、サンディ役のアニャ・テイラー=ジョイ。
彼女の歌とダンスにも幻惑されました。
このふたりの存在感があるからこそ、
本作は傑作としての輝きが増している。

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タフガイの行く末

2021年12月29日 | 映画など
ジェーン・カンピオン監督
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を見る。
いわゆる父権主義というか、
パターナリズムに異を唱える映画なんだな、と思う。
それを伝えるために、1920年代の米国を舞台に、
西部劇のような世界観のもと、
暗喩と伏線を散りばめていく語り口に目を見張る。


冒頭。
牛の群れを率いるカウボーイたちの姿を見て、
ハワード・ホークスの「赤い河」を思い起こす
西部劇ファンはいるのではないだろうか。
主役は、ベネディクト・カンバーバッチ演じる
牧場主のフィル。ジョン・ウェインのような
タフガイかと思いきや、権力を振りかざし、
弱い者を無理矢理ねじ伏せるような
パワハラの権化そのものという存在だ。

しかし、このフィルという男は、
豪快な振る舞いをするどころか、
弟のジョージが結婚した未亡人のローズに
陰険な嫌がらせを続けるのだ。
趣味のバンジョーを弾きながら、わざと怖がらせたり、
アルコール依存に苦しむ彼女の姿を覗き見したりと、
パワハラの仕方が、なんとも嫌らしくて、
見ているこちら側にも妙な不快感と緊張を強いてくる。

フィルの態度が変わるのが
ローズの連れ子のピーターの存在だ。
華奢でどこか病的な彼にフィルは接近し、
ピーターの方も、近づいてくるフィルの気持ちを
推し量るような素振りを見せてきて、
そうか、これはラブストーリーなのか。と。

「赤い河」はジョン・ウェインと
手下のモンゴメリー・クリフトが
反目し合いながらも、深いところで繫がっていた物語だったが
70年経って、あの映画を新たにリメイクしたのが
本作なのでは、と思ったりする。

タフガイでヒーロー扱いされるような男を
これでもかと解体していく。男が男らしくもなんともない。
それがパターナリズムだといわんばかりの描写のなか、
ジェラシーとセクシャリティに苛まれた
なんとも哀しい男の行く末に
重い溜息をつくばかりだったのです。

なぜローズはアルコールに走るのか。
ピーターが、捕まえたウサギを殺して解剖する理由とは。
かつてフィルを一人前の男にした
伝説のカウボーイ、ブロンコとは何者か。

謎はいっぱいあるのだけど、
そこがこの映画の魅力であり、
傑作だという人の気持ちもわかる。
個人的には、実にヘンテコな映画だなあという結論。
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正直者の疾走

2021年12月25日 | 映画など
大島新監督「香川1区」を見る。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編であり、
先の衆院選で話題になった
自民党の平井卓也氏と、立民の小川淳也氏が激突した
香川1区の模様をとらえたドキュメンタリー。
笑わせたり泣かせたり、
スリルもあればサスペンスもある。
たいへんよくできた娯楽映画で、ぜひ多くの人に勧めたい。


庶民の出で、パーマ屋のせがれの小川氏は、
実直というか愚直なまでに有権者に向かい合う。
「本人」というタスキをかけながら自転車で疾走し、
地元のうどん屋に頭を下げ、妻のつくったおにぎりを頬張り
額に汗して、頑張る姿をずっと捉えるカメラ。

かたや、四国のメディアを牛耳る一族の出で、
三世議員の平井氏。地元の政界や財界から盤石の支持のもと、
デジタル庁を立ち上げた
自分こそが地元の発展に寄与すると豪語する。

映画はこの選挙戦を
なるべくフラットにとらえようとしたことがうかがわれる。
だが、最初は余裕をかましていた平井陣営は、
氏自身の数々のスキャンダルのせいで旗色が悪くなる。
大島監督ら撮影スタッフは、次第に敵視され、
まともな取材ができなくなる過程はとてもスリリングだ。

いっぽうの小川氏も、維新から町川順子氏が出たことで動揺し、
出馬を断念するように直談判し、大きな批判を浴びる。
ジャーナリストの田崎史郎さんにたしなめられた小川氏が、
手を尽くさないと政権交代などできない、と激高する場面は
本作のハイライトだ。小川氏だってただの清廉な人では、ない。

香川のために。そして日本のために。
さらに人類の幸せのために
力を尽くしたいという小川氏の言葉にウソはないのだろう。
氏のまっすぐな心根に家族はもちろん、多くの支持者が集まり、
当選が決まった瞬間。高揚感の渦に観客も巻き込まれる。
支持者への挨拶で、氏の娘さんの言葉がもう泣けて泣けて。

ああ面白かった。
正義が勝ち、悪が滅んだ。めでたしめでたし。
でも待てよ。これは香川だけの話だぞ。
そもそも本当に小川氏は正義か。平井氏は悪なのか。
よしんば小川氏が正義の味方だとして、
彼が日本を良くしてくれるのか。世界が平和になるのか。
映画は最後の最後で、ほろ苦い結末を選び、
戦いは続くことを示唆するのでした。
そうかこの映画はフィクションではなく、
ドキュメンタリーだったんだ、と。

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