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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

憧憬と逡巡のあいだ

2022年11月20日 | 映画など
中江裕司監督「土を喰らう十二ヶ月」を見る。
長野の山奥で暮らす老作家が
野菜を育て料理をして食す生活を
季節の移ろいと共に描く。ジュリー枯淡の域。


山荘でひとり暮らしをするジュリーが、
自ら耕した畑から野菜を収穫したり、
山にキノコを採りに行ったりする。
干し柿や梅干しを仕込み、茄子や胡瓜などをぬか漬けにする。
そしてそれらをありがたくいただく。ほぼそれだけの映画。
まるでドキュメンタリーを見ているかのようで、
収穫や仕込み、料理の過程をカメラは地道に映し出していく。

つくられる料理は質素かつ素朴なものだけど、
旬のものをいちばん美味しいときにいただくという、
都会でカップ焼きそば的生活にまみれた自分とは
正反対の豊かさで、羨ましいという次元を超え、
雲の上の人を見ているような気分になる。

似た映画を見たことがある。
東海テレビ制作、伏原健之監督の
「人生フルーツ」(2016)だ。
あの映画は老建築家とその妻が、自宅のキッチンガーデンで
地道に食べ物をつくり生活する日々を描いたものだった。
本作もジュリー主演じゃなかったら、
ポレポレ東中野で上映しそうな映画だなあ、と思ったり。

閑話休題。
シネフィルモードになりかけました。

ときおり、東京から編集者(松たか子)がやってきて、
ジュリーのつくった料理に舌鼓を打ったり、
亡き妻の老母のところで、共に食事をしたりする。
その母が亡くなり、あたふたしながらも
きっちりした葬儀を取り仕切るジュリーは、
どうみても普通の人には見えない。
スーパーお爺ちゃんのように見えるわけで、
そのあたりはフィクションというか、ドラマっぽくて、
それはそれで楽しく見られたというか。

似た映画を見たことがある。
デ・ニーロが出た「マイ・インターン」(2015)だ。
IT社長のアン・ハサウェイを絶妙にサポートする
70歳の運転手を演じたデ・ニーロもスーパーお爺ちゃんだった。

閑話休題。
またシネフィルモードですみません。

ともあれ、日々を大切に生きる老作家が、
迫り来る死について考察し、孤独に震えながらも、
それでも淡々と生きていく姿に
心を打たれる人はきっと多いと思う。

かくいう自分はどうかというと、
ジュリーがつくる料理はそれはそれは
絶品だと思うけれど、物足りなさを感じてしまいそう。
まだカップ焼きそば的世界に未練があるというか。
生臭くてケミカルな生活から抜けられそうもなく、
この映画のジュリーみたいには永遠になれないのではないか、
と絶望的な気分になったりする。

似た映画を見たことがある。
イーストウッドの「クライ・マッチョ」(2021)だ。
あれもスーパーお爺ちゃんで(以下同)。

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そして母になる

2022年11月13日 | 映画など
ペドロ・アルドモバル監督「パラレル・マザーズ」を見る。
産院で子供を取り違えた母親たちの物語、
と聞くと、是枝監督の「そして父になる」が浮かぶ。
今作もまさにすれ違いから生じる
人間ドラマが展開されると思いきや、
この映画の作り手たちの意図は
もっと別のところにあったことに
気づいたときには、すっかり映画に埋没していたわけで。


映画のテーマとは別に、
ペネロペ姐さん演じるジャニスも
ミレナ・スミット演じるアナも
共にシングルマザーになることを選んでいる。
それがものすごく自然で、何の問題もないまま
物語が流れていくところに驚く。
これが日本映画だとしたら、シングルマザーであることの
葛藤や困難さを描いたりするかもしれないなと。

でも、そもそもアルドモバル監督は
性的志向や性自認にバイアスのない映画を撮る人なので、
そのあたりに戸惑っていると
ますます本作のテーマに到達できない気がする。

それにしても、語り口が洗練されている。
ビビッドな色彩と、シャープなカット割りで
巧みに時制をずらす演出に酔いしれていると、
ますます本作のテーマに到達できない気がする。

ペネロペ姐さんの男前な美しさと強さ。
ミレナ・スミットの若いがゆえの不安定さと可愛らしさ。
ふたりが取り違えた赤ん坊をめぐって
感情が揺れ動くドラマに夢中になっていると、
ますます本作のテーマに到達できない気がする。

とは言え、最後の最後。
こういう映画だったのかと驚くことになり、
そのあとすぐエンドタイトルとなり唖然とするわけで、
そういう意味で、最終的には誰でも本作のテーマに
到達できるから、まあこれはこれで。
まぎれもない傑作なのか。あるいはかなりの問題作か。
きっと両方なのだろう。

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恋と牛乳

2022年11月07日 | 映画など
ヴィンセント・ミネリ監督「二日間の出会い」を見る。
なんかつまらなそうな邦題だと思う人もいるだろう。
じゃあ原題はというと「The Clock」。時計って言われても、ねえ。
主演はジュディ・ガーランド。おお。だとしたら
楽しいミュージカルかな、と思いきや、
彼女は歌も歌わないし、ダンスもしない。
なんじゃ、そんなん見る気せんわい!
とイケズな発言をするシネフィルの旦那(←誰?)、
まあ、ちょっと待ってくださいよ。
実はこれ、とんでもない傑作なんです。しかも笑えて泣けるという。


冒頭。駅構内のエスカレーターでの出会い。
堅物OLのジュディが
休暇中の兵士ロバート・ウォーカーの足につまづいて
ヒールを落としてしまうシークエンスから素晴らしい。
私のヒール! とジュディが叫びながら
昇りのエスカレーターで連れて行かれる場面は
サスペンスフルかつコミカルだ。

映画とエスカレーターは相性が、いい。
思い出すのが、濱口竜介監督「偶然と想像」の
仙台駅前のエスカレーターですれ違う占部房子と河井青葉。
あるいは、ヴィム・ヴェンダース監督
「アメリカの友人」でブルーノ・ガンヅが
エスカレーターに乗りながら、依頼された殺人を行う場面。
意表を突く出会いと、じわじわと移動するサスペンスが
とても映画的だと思ったりするわけで。

閑話休題。シネフィルモード炸裂ですみません。

ともあれ、偶然出会ったふたりが
デートの約束をして、夜景を見ながら
感情を高めていく場面に見ているこちらも高揚していく。
そして突然、タクシーと間違えた
牛乳配達のトラックに乗せてもらい、
そのまま配達の手伝いをする流れとなる。
なんで牛乳配達するの? と戸惑いながらも、
二人が配達する先の店先とか、
ミルクを飲む猫が一瞬写し出されるとか、
アパートの戸口からちらりと見える人の生活ぶりとか、
そんな細かな描写に目を見張る。
出会ったばかりの二人が限られた時間内に
結婚にいたるまでの
シチュエーションコメディでありながら、
映画は細部に宿るとは
このことかと感心するやら圧倒されるやら。

ドタバタで結婚式を挙げる二人だが、
あまりにもムードが無くて、
思わず泣きじゃくってしまうジュディが可愛らしい。
歌わなくても、ダンスをしなくても
素晴らしい女優さんだということは明らかで、
演技派として大成しようと思えばできたかも、
と、彼女のその後の不遇ぶりを想像すると何ともやるせない。

ロバート・ウォーカーが休暇を終え、
列車に乗るまでの制限時間が映画の大きなフックとなり、
すべての物語がスリリングに、そしてロマンチックに流れていく。
エスカレーターだけでなく、ライターや地下鉄など
出会いとすれ違いのための小道具も気が利いている。
こんな傑作が日本未公開だったなんて。
見せてくれてありがとうシネマヴェーラ。

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変わらない変われない

2022年10月29日 | 映画など
五十旗頭幸男監督「裸のムラ」を見る。
石川県は保守王国と言われるほど、
与党、つまり自民党の影響力の強い地域らしい。
でも実際は、県のトップからは
想像できないぐらい人々の価値観は
どんどん多様化してきているわけで。
時代は着実に変わっているのに、変わろうとしない、
あるいは変われないものを見せつけてくるドキュメント。


7期27年もの長きにわたって
石川県知事を務めてきた谷本正憲知事の
いかにも尊大で権力者然とした
振る舞いをひたすら追いかけるカメラ。
地元の人からしたら、新幹線を通してくれた人だし、
県の発展に寄与してきた功労者なのだろう。
その谷本知事から、馳浩氏に権力が移され、
自民党王国が引き継がれていく様子も事細かに説明される。
なんかそういうのって、様式美だなあと思う(褒めてません)。

県のトップのあまりの保守ぶりというか、
相変わらずのパターナリズムがまん延しているなか、
ムスリムの一家と、クルマで移動しながら生活や仕事をする
バンフライヤーと呼ばれる人たちの姿が交互に描かれる。
市井の人々は多様性を増しているのに、
ほぼ無視された存在としか見られない。

ムスリム一家のティーンエージャーの娘に
自己のアイデンティティについて
インタビューをしようとして、拒絶される場面が印象的だ。
多様性を強調するために、そうした場面を撮ろうとして
あえなく失敗するところをカットせずちゃんと見せるところ。
権力者が悪で、マイノリティーの女の子が善、という
わかりやすい図式を見せないところに監督の正直さというか
誠実さがうかがわれる。

その五十旗頭監督は前作「はりぼて」でも、
富山市議会の腐敗ぶりを追いかけ、それが結果的に
コメディのようにしか見えなくなる様子を描いていた。
変われない、変わりたくない人たちに
怒りの目を向けるのもいいだろう。でもああいう人たちって、
どこか滑稽な価値観のなかで生きてるんだなと思ったりする。

笑える映画だ。でもどこか不健全な笑いが体の奥底から
じわじわと漏れ出てくるような、そんな気持ち悪さもある。


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顔を洗って出直したい

2022年10月16日 | 映画など
ウォン・カーウァイ監督「天使の涙」を見る。
この監督、やっぱり本作が一番だなあ。
遊戯性と疾走感。無茶苦茶な語り口と、
クリストファー・ドイルのやり過ぎなカメラワーク。
ミシェル・リーにカレン・モク、
レオン・ライや金城武などの俳優たち、すべてが、いい。
今回の4K版で見直して、あらためて惚れ直した次第。


滅茶苦茶な語り口、と書いたが、
ずるくて反則な語り口とも言える。
登場人物の心情はナレーションで矢継ぎ早に流れ、
俳優たちはそのナレーションを伴奏に
苦悩したり、切ない表情をしたり、バイクで疾走したり、
銃弾の雨を降らせたりする。
観客はその流れに乗っかって、
彼ら彼女らの人生を体感する。
殺し屋やエージェント、自意識過剰の少女や
口の利けない父親思いの青年になるのだ。

オーソドックスに人物を描くことなど眼中にない
この監督の真骨頂だと思う。
それでいて、すれ違いばかりの
男女の物語が哀切きわまりない。
これも映画だ。文句あるか。
悔しかったら俺よりカッコいい映画を撮ってみろ。
そんな挑発すら感じるわけで。

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やさぐれこそ正義

2022年10月02日 | 映画など
タナダユキ監督
「マイ・ブロークン・マリコ」を見る。
やさぐれた永野芽郁がこちらを睨んでいるポスターを見て、
これはいい映画に違いない、と思ったら
まさに予想通りだったという。
やさぐれ度が上がれば上がるほど
映画が良くなるというのは、たぶん正しい。


絵に描いたような
ブラック企業に勤めるトモヨは、
幼い頃からの親友マリコが自殺したことを知る。
いても立ってもいられず、マリコの遺骨を親元から奪い取る。
マリコとの思い出がインサートされながら、
トモヨはマリコが行きたがっていた海岸に向かう。

遺骨を持ちながら電車に乗り、牛丼を喰らい、
バスに乗り込み、チューハイをあおり
海岸にあったボートで野宿するトモヨの姿。
どこかで見たことがあるなと思ったら、
そうか。これは「ガルシアの首」じゃないか。
本作の永野芽郁は、生首を持って彷徨う
ウォーレン・オーツの生き写しに違いない、
というのはシネフィルの戯れ言です。

閑話休題。
この永野芽郁はとにかく逞しい。
クソみたいな世の中で、唯一信じられるのは
死んでしまったマリコとの繋がりだけ。
それをエネルギーにして映画を駆け抜けるのだ。
振り切ったかのような永野芽郁の演技と、
薄幸な役どころがぴたりハマった奈緒との
アンサンブルも素晴らしい。

そういえばこの二人、
朝ドラ「半分、青い」で共演しているんだな。
あんなお茶の間向けのドラマから、
よくぞこんなやさぐれた映画に出てくれました。
そしてタナダユキ監督。
いつもいい映画を見せてくれて、ありがとうと言いたいです。

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内なる光のなかへ

2022年09月24日 | 映画など
ポール・サルツマン監督
「ミーティング・ビートルズ・イン・インド」を見る。
1968年、ビートルズはインド、リシケシュの
マハリシ師のもとを訪れて瞑想を学んでいた。
偶然一緒になったカナダ人の青年が、
メンバーとの8日間にわたる奇跡のような交友をたどる
ドキュメントでありロードムービー。


それにしても、監督のサルツマンが当時撮った、
ビートルズの面々の写真が素晴らしい。
素の感じが出ているというか、スーパースターでも何でもなく、
ただのイギリス人のあんちゃん、という風情。
サルツマンにヨコシマな気持ちがなかったからこそ
撮ることのできた写真だと語られるが、まさにその通りなのだろう。

映画で語られる当時のエピソードがいちいち面白い。
失恋してインドにやってきたと話すサルツマンに、
すでにヨーコと付き合っていたジョンが
深く同情の意を示すところ。
「富や名声を得ても、愛と健康は得られないだろ?」
という意味合いのことを言うジョージ。

「ホワイトアルバム」の多くの曲が
インドで作られたと言われていて
「バンガロー・ビル」のモデルになった当人が
登場する場面にたまげる。掘れば掘るほど
新たな事実が出てくるビートルズ考古学的な1作というか。

権利が得られなかったのだろう、
残念ながら1曲を除いて
本作にビートルズの曲は流れない。
「バンガロー・ビル」の当事者が現れたんだから、
曲を流してよ、と思う人は多いと思うけど、
ビートルズのファンなら脳内で鳴らせばいいじゃない、
ということなのかな。


映画館でもらったジョンのポストカード。
ギターを弾いている途中に、
ちょっと耳を掻いたところを撮ったものらしい。
思索にふけっているんだろうか。
それともヨーコのことを考えてるのかな。

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脱ぐのが友情

2022年09月19日 | 映画など
トニー・スコット監督「トップガン」&
ジョセフ・コシンスキー監督「トップガン マーヴェリック」を見る。
実は最初の「トップガン」を見ておらず、
「マーヴェリック」を見るタイミングを逸していたのです。
シネフィルって何でも見ているようで、
実は大して見ていないのです。ゴダールもトム・クルーズも。
という自虐は置いておいて、2本立て上映の機会に恵まれ、
めくるめくトムクルの世界に浸ることができました。
ありがとう、立川シネマシティ。

 

トムクルは、歳を取ることをやめたようだ。
「マーヴェリック」は教官という役どころなのに、
結局自分で出動して、とんでもない任務をやってのける。
そこは映画だから、というエクスキューズはあるだろう。
トムクルなんだから許そうよ、というファンの意見もあると思う。

でもね。歳を取ったら、役割を次の世代に譲るというか、
父が子に、師が弟子に受け継ぐというアメリカ映画の
伝統を打ち崩そうとしているわけで、どうなのトムクル。
ジャッキーだって、スタローンだって
そういう役を演ってるじゃないですか。
おまけに嬉々として脱いでますよね。
もお。還暦男の肉体じゃないですよ。
もっと贅肉でブヨブヨしてるのが普通でしょ。
そもそもあなた演技も上手でしょう。
そんなに肉体を鍛えなくたって、観客の心を打つことなんか
朝飯前じゃないですか。
と思ったりするけれど、新作はすこぶる出来がいい。

実際、前作の「トップガン」では、
ドッグファイトがすごければすごいほど、
どうやって飛んでいるのか、
よくわからなかったりしたけれど、
新作ではそのあたりが丁寧に描かれ、わかりやすく
観客を興奮させるつくりになっているというか。

だからといって前作がつまらないわけではなく、
ヒット曲を思わせぶりに流しつつ、
緩急のついた故トニー・スコットの演出は
とても見応えがあるし、新作でもそのあたりの
演出はしっかりなぞっている。
自身の過失で親友を亡くし、その傷が癒えない設定を
新作でもしっかり物語の軸にしているところにも好感。
そしてラストはトニー・スコットへの献辞に泣く。

前作でメグ・ライアンに似ている女優が出てると思ったら、
なんと本人だったという。当時はまだ端役だったのね。
ケリー・マクギリスっていまどうしてるんだろう、とか。
ヴァル・キルマーは本当にがんで闘病していたらしく、
そのあたりも36年前の公開時に見ていれば、
感慨は深かったのに、と後悔。なぜ当時見ていなかったんだろう。
トムクル嫌いじゃないのに。というか好きだし、
本作の次の主演作「デイズ・オブ・サンダー」は
同じトニー・スコット監督で、
かなりの傑作なのに。系統立てて見ておらず
好きな俳優や監督も丁寧に追っていない
ダメダメなシネフィルだということを痛感しつつ、
また自虐ですみませんと平身低頭のtaco。

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映し出す鏡として

2022年09月17日 | 映画など
ゴダールの記憶 Ⅱ

W君とのくだらない諍いで
「気狂いピエロ」を知った中学3年生の自分。
いきなりだけど、話は現在に飛ぶ。
2022年9月17日。
つまり本日、ゴダールに触れたのです。直近の記憶。

墨田区に新しくオープンした
「ストレンジャー」という名の映画館の
こけら落としがゴダール特集だったという。
「パッション」「右側に気をつけろ」など
80〜90年代の監督作の上映という
なかなか攻めたプログラムで、
もちろんゴダールの訃報とは無関係でまったくの偶然。
かくいう自分もネットで前売りチケットを
買った日の夕方に訃報を聞いたという顛末。

普段からゴダールゴダール
とか言っておきながら未見の作品があったわけで、
それが「JLG/自画像」と「フォーエヴァー・モーツァルト」。
シネフィルって何でも見ているようで、
実は大して見ていないのです。
という自虐ネタは置いておいて、2作ともやはり素晴らしい。

 

やさしい光が差し込むなか、
いたって素直に自身をスケッチしていく
語り口が心地良い「JLG/自画像」。
過去の書物や映画から引用される言葉が流れ、
けっこう楽しそうに湖畔を歩くゴダール。
こんなに明るい御大の姿は珍しい。テニスとかしてるし。
苦悩に満ちた映画をつくるのに疲れていたのだろうかと
想像する95年作。

反面、いたって過激で残酷なのが、
「フォーエヴァー・モーツアルト」だ。
映画づくりのために、ボスニアにクルマで向かう
芸術家一家が遭遇する紛争と殺戮。
そして映画をつくる苦悩と悦びが散りばめられていて、
これまた傑作だと思い知らされた次第。
ベランジュール・アローが
カメラの前で執拗に「ウイ」と言わされる場面など、
女優を苛めて何か崇高なものを引き出そうとする魂胆が
いかにもゴダールらしい(褒めてません)と思わされる96年作。

このあとゴダールは、深淵かつ難解きわまる
「映画史」のプロジェクトに埋没していくわけで、
ある意味、ファンが喜ぶゴダール節のような語り口の作品は
これが最後なのかも、と思ったりするのです。

ゴダールの記憶 Ⅱ おわり
Ⅲに続きます。おそらく、たぶん。
コメント (4)
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見上げた先の恐怖

2022年09月04日 | 映画など
ジョーダン・ピール監督「NOPE/ノープ」を見る。
何を書いてもネタバレになりそうなので、
以下は見た人限定で読んでいただければと。



舞台はハリウッド近郊の山間。
映画やテレビに出演する馬の調教と牧場を
経営する兄と妹が主人公。
あるとき、その兄が見上げた先の空に浮かぶ雲が
まったく動いていないことに気がつく。
その雲の正体は、見た目はUFOのようだが、
空から人を吸い込み喰らっている生命体だった。

つまりは得体のしれない怪物に襲われ、
それに立ち向かう兄妹たちの戦いが繰り広げられるわけで、
そういう意味ではホラーであり、パニック映画というか。

とにかく、空がこわい。
主人公たちはひたすら空を見ないようにしているのだが、
そんな意識とは裏腹に、地面からぐっと周辺をなめるように
空を見上げるカメラワークに戦慄する。
見たくないのに見せようとする演出がものすごく上手い。

そうは言っても、
ただの良く出来たエンタテインメントではない。
ジョーダン・ピール監督は、
「ゲット・アウト」「アス」でもそうだったけれど、
巧みに社会問題や人種差別への怒りを
映画のショットや台詞、
音楽などの中に暗喩のように入れ込む人で、
本作にも、一見しただけでは意味のわからないものが
たくさん詰め込まれていて、そのあたりを読み解くところに
面白さがあるのだろう。純粋に頭をからっぽにして
見るような映画ではない。

人類最初の連続写真で、映画の元祖だと言われている
「動く馬」のモチーフが何度も出てくるのは何故か。

テレビのバラエティで、主役のチンパンジーが
共演している人間たちを殺戮するエピソードは
なぜ本筋とまともにシンクロしないのか。

空からの謎の生命体と戦う、というより
この生命体の映画を撮ろうとする
主人公たちの意図はどこにあるのか。

そのあたりを、うーんと唸りながら
解釈していくのも本作の楽しみのひとつだろう。
自分としてもいろんな解釈をしてみたけれど、
それをあれこれ書く気はあまりない。
リアルに会った人で、もしよければ酒でも飲みながら話しましょう。

とにかく空がこわい。
そんな映画、いままで見たことがなかったなあ。
と思ったら、あった。
スピルバーグの「宇宙戦争」だ。得体の知れないものが
空から降ってくるのはこわい。しかも殺しに来るわけだから。
あともう1本。PTAの「マグノリア」だ。
ラストのラストで、空から大量のカエルが降ってきて、
それはそれは仰天したものだったけど、あれ。なんだか
シネフィルモードが炸裂しちまいましたね。
収集がつかなくなってきたので、終了です。失礼しました。

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