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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

暗闇のなかに映るもの

2022年08月26日 | 映画など
きうちかずひろ監督「共犯者」を見る。
Vシネマなどオリジナルビデオ全盛の90年代。
そこから台頭した監督は、
望月六郎や三池崇史、黒沢清だけでなく、
きうちかずひろがいたことを忘れてはいけないと思う。
Vシネの竹中直人主演「カルロス」(1991)
で、一躍名を上げたあと、
続編である本作(1999)では小泉今日子をヒロインに、
そして内田裕也を敵役に迎え、惚れ惚れするような
バイオレンス映画をものにしている。


竹中直人扮する
日系二世のブラジル人ヤクザのカルロス。
この男の行動原理は金でも女でもなく、
とにかく戦い、殺し合うことである。
そのために敢えて巨大暴力団にケンカを売り、
自分を窮地に追い込み、殺戮の場に身を投じるのだ。そんな人物像。

内田裕也演じる殺し屋も
カルロスとまったく同類で、人を殺すことだけが
自分の存在理由であるかのような男である。

そんな二人がただ殺し合うクライマックス。
廃墟の暗闇で蠢く竹中直人と内田裕也を追いかける
仙元誠三のカメラワークがなんといっても素晴らしい。

その仙元のカメラだが、
小泉今日子を捉えるときだけ、
暗闇のなか、そっと光を当て、
彼女の美しさを際立たせるのだ。
照明の渡辺三雄との絶妙なアンサンブルというか、
東映セントラルフィルムの職人技を堪能する。

内田裕也に存在感がありすぎて
割を食った感のある小泉今日子だが、
映画の作り手たちは、ちゃんと彼女に華を持たせるのを忘れない。
この頃のキョンキョンがいちばんキレイだったのでは、
と思ったりする1999 年作(今もキレイです)。
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長いものには巻かれろ

2022年08月22日 | 映画など
ジョン・フォード監督
「若き日のリンカーン」を見る。
なんという名作。そしてヘンリー・フォンダの
なんという足の長さ。スタンダードサイズの
スクリーンでは狭すぎて、今にもはみ出しそうだ。


エイブラハム・リンカーンが政治家になる前、
弁護士だったのは有名な話で、フォンダは、
まだ若造でペーペーの弁護士を演じている。
独立記念日の祭りの夜、
ケンカで保安官が殺され、
容疑者として2人の兄弟が捕まる。
兄弟はお互いをかばい合って、自分の方が殺したと主張しており、
その真相をつかむべく、若きリンカーンが活躍する。

と書いたが、リンカーンはそんなに活躍しないのである。
ただ、兄弟の母や妻と交流し、優しい言葉をかけたりするだけで、
いきなりクライマックスの法廷で名推理を働かせ、
真犯人を暴き出す場面のフォンダの存在感。
あまりにもハンサムかつ長身長足で
しかもこれだけスマートな物腰の男が言うことは、すべて正しいはず。
そしてどんな難問も解決してくれるだろうと思わせてしまうのだ。
映画の登場人物はもとより、見ている観客も含めて。

そういう意味で、この映画のフォンダは、
鞍馬天狗とか座頭市、ブルース・リーやジャッキーのように、
お約束のキャラクターに近いものがある。
登場するだけで、この人は主役で強い、
そして正しい、何をしても許される。
と思わせてしまうほどの説得力が、全身から漂う不思議。

陽気で弾むような演出のもと、
抒情的な風景がアクセントとなり、詩的なイメージが広がるのは、
まさにジョン・フォード映画ならでは、というか。
そこにヘンリー・フォンダが加わると、ここまで神々しくなるとは。
そういえば「怒りの葡萄」も「荒野の決闘」もそうだったなあ、と
シネフィルは溜息をつくばかりだったのです。

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炎のごとく燃えさかり

2022年08月08日 | 映画など
フランソワ・トリュフォー監督「華氏451」を見る。
ずいぶん前に見たきりで、
ほとんど内容を覚えていなかったのはいつものこと。
ただ、2役をこなすジュリー・クリスティーの美しさと
バーナード・ハーマンの緊迫感あふれる劇伴。
そして本が焼かれる場面の強烈さは覚えていて、
再見してあらためて感じ入ったというか。
ありがとう早稲田松竹。



本を読むことが禁じられた近未来の物語であり、
焚書をおこなう消防士が主人公の本作は、
メディアの自由度が限りなく低い日本で、
あらためて重要度が上がっていると思う。

本のすばらしさに目覚めた主人公が、
全てを捨てて、逃げおおせた先が、
本の中味を頭の中に記憶し、
自分自身が本となる秘密のコミュニティだったという。
小雨が降り注ぐ森の中を
本を朗読しながら歩く人たちに、
主人公たちが紛れていく美しさに目を見張る。

トリュフォーによる本作の製作日誌
「ある映画の物語」(草思社)によると、
主役のオスカー・ウェルナーのスター然とした
振る舞いにずいぶん悩まされたらしい。
確かにこの俳優さん、「突然炎のごとく」では
あれだけ初々しかったのに、
本作ではまるで生気が感じられない。



さらにトリュフォーは
次から次へと降りかかる難題に
とりあえずの判断をして(というかそれしかできない)、
映画を完成に導いていく。
この日誌を読む限り、映画が面白くなるかどうかは、
撮影の段階では、まるで予想がつかないんだなと思ったりする。
それでもいい映画を作ろうとする人たちの
努力には敬服するしかないのだけれど。

ともあれ、トリュフォーの失敗作と言われ、
彼のフィルモグラフィの中でもかなり冷遇されている本作。
それほど悪くないですよ。というか、
いい場面がいくつもあるので、ほぼ名画ですよ。名画。


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泣くな笑うな絶望するな

2022年07月27日 | 映画など
森井勇佑監督「こちらあみ子」を見る。
なんという傑作だろう。
この映画を見て、家に帰って飯食って風呂入って寝て。
朝、目が覚めたとき、ああ、あみ子はどうしてるだろう、
と泣けてきてしまった。そんな映画、滅多にない。


映画ではまったく語られないが、
主人公の少女あみ子は、どうやら発達の偏りがあり、
まわりの空気がまったく読めない子である。
喜怒哀楽の表情に乏しく、何を考えているかわからない。
ときおり発する、彼女のハードボイルドな言動が、
核心を突けば突くほど、耳に障れば障るほど、
見る者たちの心に突き刺さっていく。

流産した義理の母親を慰めるため、
死んだ赤ん坊の墓を庭につくるあみ子の行動は正しい。
でも正しすぎるがゆえに、物事の核心を
避けようとしていた母親の精神を崩壊させる。

あみ子が慕うクラスメートの「のり君」は
彼女のストレートすぎる愛情を受け止めきれず、
あろうことか彼女に暴力をふるう。その場面は
思わず目を覆ってしまうほどだ。

それだけに、あみ子のことを唯一、
受け入れようとする少年が限りなくいとおしい。
この少年がどれだけあみ子に近づこうとしても、
彼女には伝わらないことが
見る者に痛いほどわかってしまうからだ。

大人たちに持て余され、一人になったあみ子は
それでも歩く。前に進むしかないのだ。
彼女が山道をつたって海岸に出るクライマックスは
まるで「大人は判ってくれない」のジャン=ピエール・レオだ。
あるいは「お引っ越し」の田畑智子だ。
と頭の悪いシネフィルは、涙が止まらなくなってしまったのです。

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虚飾の先に

2022年07月16日 | 映画など
バズ・ラーマン監督「エルヴィス」を見る。
言わずと知れたエルヴィス・プレスリーの伝記映画。
でも本作はエルヴィスの悪徳マネージャー、
トム・パーカー大佐がもう一人の主役であり、
本来は「ELVIS AND COLONEL」と
題すべき映画かもしれないと思ったりする。


大佐を演じたトム・ハンクスはさすがというか、本当に上手い。
腹黒い策士に違いないのだけど、
ギリギリのところで憎めない感じ。絶妙な愛嬌を振りまきつつ、
嘘八百のハッタリをかましたと思ったら、
信じられないほど小心者だったりと変幻自在。
演じていて楽しかったんだろうなと想像する。

対照的にエルヴィスを演じたオースティン・バトラーは
初々しくてキラキラしていて、稀代のロックンローラーを
演じるにふさわしい佇まいだ。

大佐とエルヴィス。
この二人はまさに車の両輪というか。
どんなにいがみ合ってもお互いがお互いを必要とする
共依存の関係にあったのではと思ったりする。

少年時代のエルヴィスが、
ブルースとゴスペルを全身に浴び、
音楽の申し子となっていく場面の美しさは
バズ・ラーマン監督のハッタリの効いた
ド派手でわかりやすいMV風演出があってこそだと思う。

マヘリア・ジャクソン、B・B・キング、
リトル・リチャードらとの交友の場面などを見ると、
黒人音楽を世界中に広めた
エルヴィスの功績の大きさに触れることができる。
が、やがて時代が移り、オルタモントの悲劇や
シャロン・テート事件などが起こり、
時代が陰影を増し、きな臭くなっていく。
取り残された感のあったエルヴィスが
見事な復活を遂げつつも、酒とクスリに溺れていく痛ましさ。
思えば42歳で亡くなったんだな。なんという早死に。
時代に、そしてアメリカに殺されたと言ったら
深読みのしすぎだろうか。

ドラマなのかミュージカルなのかわからない。
印象に残るのは大佐の首の贅肉だけ。
エルヴィスがずっとピュアなまま。人物像の掘り下げが浅い。
上演時間が長すぎる。見終わったあとどっと疲れる。

そんな声が聞こえてきそうだけど、それがどうした。
自分にはすべて褒め言葉に聞こえる。傑作です。

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海は知っている

2022年07月11日 | 映画など
ヤン・ヨンヒ監督「スープとイデオロギー」を見る。
在日コリアンであるヤン監督が
実母の生きざまをひもときながら
日本と朝鮮半島の歴史を
浮き彫りにしていくドキュメンタリー。
時代に翻弄された老母の哀しみと、
監督の母に対する慈しみにスクリーンが満ちていく。


ヤン監督の母親が主人公。
ということは、監督が10年前に撮った
劇映画「かぞくのくに」で宮崎美子が演じていたお母さんだ。
朝鮮総連の幹部だった父親に従いながら、
忠誠を誓っていた北朝鮮に、
帰国事業で息子3人を送った母親でもある。
この世の楽園と謳われた北の地が、
実は苛烈を極めた最悪の永住地だったことが判明する。
母親は手放した息子たちに向けて
必死に仕送りを続ける。その健気さに矛盾を感じ、
なぜ兄たちを北に送ったのかと非難するのが娘のヤン監督だ。

実は母親には事情があった。
彼女は南朝鮮(韓国)の出身で、
大阪大空襲で故郷の済州島に疎開をするが、
南北に分かれ、対立が勃発したあおりで
島民の多くが虐殺された、
いわゆる「済州4・3事件」の当事者だったのだ。
南の出身でありながら、北に忠誠を誓った理由が明かされ、
その事情がわかったときには、母親はすでに
認知症に襲われており、記憶が混濁していた。

済州島にいたときに、
母に婚約者(監督の父ではない)
がいたことが判明するが、
今やその痕跡をたどることも難しくなっていく。

そんな母が自宅でつくるのが、
高麗人参とニンニクを詰め込んだ鶏のスープだ。
じっくり煮込めば煮込むほど味が出るこのスープが
暗示しているものは明らかだ。観客はスープの味を
想像しながら、この母親が長年心に溜めてきたものを
垣間見ることができる。じっくりコトコトと煮込まれた思いを。

劇中、ヤン監督の夫が登場する。
日本人である彼は、監督の心の支えとなっていて、
母親とも良好な関係を築くこの人の存在感が出色。
荒井カオルという人で、本作のプロデューサーでもあり、
かなりやり手のノンフィクションライターらしい。
血の繫がらない他者が入ることで
ドキュメンタリーに客観性が出るというか。
一気にこの夫と同じ目線になった。それは正しい作用を
本作にもたらしてくれていると思う。
ともあれ、こんな人が夫なら安心だなと思ったり。

ヤン監督は、
「ディア・ピョンヤン」(06)で活動家としての父親を撮り、
「愛しきソナ」(11)では平壌に住む姪っ子
(帰国事業で北に渡った兄の娘)との交流が語られる。
「かぞくのくに」(12)はフィクションとはいえ、
北に翻弄される兄の姿を描き、そして今作は母親と、
徹底的に自分の家族を通したミニマムな視点から、
国家という大きなものに迫ろうとしている。
それはかなりしんどい作業だろうな、と想像しつつ、
ヤン監督の映画はいつも楽しみにしているわけで。
いずれ、自身の青春時代を描いた小説
「朝鮮大学校物語」を映画化してくれるといいな。応援しています。

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背中を押して押されるまで

2022年07月05日 | 映画など
ポール・トーマス・アンダーソン監督
「リコリス・ピザ」を見る。
全篇を覆う70年代テイストが絶妙な雑味を醸しだし、
ちょっと、というか、かなりひねくれた
年の差カップルの恋愛の行方を見守る134分。


舞台は1973年のハリウッド近郊の街。
高校生のゲイリーが
年上の女性アラナにひと目ぼれして、
「君は運命の人だ!」と口説き始める場面から始まる。

この二人の属性が濃い。
ゲイリーは15歳の高校生で、
テレビに出たりしている子役タレント。
商売の才覚があるようで、ウォーターベッドの販売や、
ピンボールマシンの店を開いたりする。
ほんとに10代? かと思うほど大人びているし、
こまっしゃくれた態度が目につく。

片やアラナは25歳の女性。写真技師アシスタントとして
働いているが、自分のやりたいことがよくわからず、
女優のオーディションを受けたり、
選挙事務所の事務員をしたりと忙しいが、
煮え切らない人生にもやもやしている。
ユダヤ系で、実家の両親や姉妹は
それほど細かく描かれないが、なんだか濃い面々ばかり。

そんな二人はお互い惹かれ合いながらも、
それぞれの立場や状況で離れたりくっついたりして、
なんだかはっきりしない。
ピュアで一途なところを見せてくれたら、共感できるのに、
見栄や損得で動いているところもあったりして、
感情移入しにくいというか、
そんな主人公でいいのか、と思ったりする。

高名だがとことん怪しい映画監督とか、
バーブラ・ストライサンドのやたらいばりくさった恋人とか、
ゲイであることをひた隠しにする市長候補とか、
一筋縄ではいかない大人たちが、ふたりの周りで蠢いている。
その濁り具合がこの映画の見どころなのだろう。
ピュアな青春映画ではなく、雑味たっぷりの青春映画、というか。

昔、仕事でドイツに出張したときに飲んだ、
「クリスタルヴァイツェン」というビールが
麦の発酵途中のもので、ものすごく雑味があり、
癖になるほど美味かった記憶がある(仕事もしてましたよ)。
それと同じ感じというか、PTAビール説。

ともあれ、PTAの監督作の中では、
「ブギーナイツ」や「パンチドランク・ラブ」の
系列に入るんだろうと思いつつ、
多くのシネフィルたちは深読みをすることだろう。
どの人物が現実の誰をモデルにしているかなどを探り、
時代背景をひもといていくと、
アメリカ社会の暗部みたいなものも見えてくるかもしれない。
そのあたりの分析はシネフィルの人たちにお任せして、
最後の最後に、ようやくこの映画の作り手たちが
二人の背中を押して、ピュアな気持ちを炸裂させるのを見て、
ああ、良かったなあと思ったりしたのです。
だって青春映画なのだから。

主役を演じたのはクーパー・ホフマン。
食えないあんちゃんだな、と思っていたら、
そうかフィリップ・シーモア・ホフマンの息子かと気づいて納得。
ヒロインのアラナ・ハイムは、
もともと姉妹ロックバンド「ハイム」のメンバーで、
映画に出ていたきょうだいは本当の姉妹らしい。へえ。
そのほか、ブラッドリー・クーパーが出ていたり
なんかショーン・ペンやトム・ウエイツに似た人が出てきたな、
と思っていたら本人だったという。みなさんの雑味っぷりに
スクリーンはどんどん濁っていくばかりだったのです。

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ダイナマイトな哀感

2022年06月29日 | 映画など
森崎東監督「喜劇 女は度胸」を見る。
まごうことなき傑作で名作だと
放言しているにもかかわらず、
久し振りに再見したら、
内容をほとんど覚えていなかったという。
シネフィルの記憶力なんてそんなもんです。
まともに覚えちゃいないのに、
傑作だ名作だと適当な発言ばかりなんです。
と自虐はそこまでにして、やっぱり傑作で名作でした。


粗暴で能天気な兄(渥美清)と、
繊細でインテリな弟(河原崎建三)の対比が
まさに愚兄賢弟。この兄弟が織りなす色恋沙汰を中心に、
悲劇を強引に喜劇にしていく力技の演出。

弟は自動車修理工で兄はダンプの運転手。
この兄弟が恋する女たちも工場労働者だったり
コールガールだったりして、
徹底的に庶民側にカメラを向ける立ち位置だ。

彼らが住んでいるのは羽田空港近くの海岸沿い。
弟が恋する女(倍賞美津子)がコールガールだと
勘違いすることから起こるドタバタは失笑に次ぐ失笑。
そんな騒動の背景で最新鋭の飛行機がキーンと飛ぶ場面に、
文明批判や社会批判を見て取ることもできるだろう。

あまりのドタバタに喝を入れるのが、
この映画でずっと寡黙だった母親(清川虹子)だ。
戦争を乗り越え、好きでもない男(父親役の花澤徳衛)と結婚するが、
できた子は別の男との子だったと告白する。
血の繫がった家族だからこそできる甘えた態度の
兄と弟、父のふぬけた心を凍り付かせるところ。
これは喜劇じゃないよなあ、
と驚愕しながらクライマックスまで一気に見せる。

コールガールを演じた沖山秀子と
ヒロインの倍賞美津子が素晴らしい。
おしとやかで控え目な、いわゆるステロタイプな女性像から
まったくかけ離れているというか、パワー溢れる存在感。

傑作で名作だと思います。
なるべく内容を忘れないように
記憶にとどめておこうと思いつつ、
忘れたら、また見ればいいんじゃないの、と
自分に甘いシネフィルですみません。
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せつなさの行方

2022年06月21日 | 映画など
早川千絵監督「PLAN75」を見る。
これはしんどい。厳しくて残酷。身につまされる。
でも映画は美しい。
登場人物たちの誠実な佇まいと、
彼ら彼女らを包み込む風景の静謐さ。


藤子F先生に似た設定の
SF短編があったような気がする。
でも本作はSFとは思えないし、
「すこしふしぎ」な感じも全くしない。
それだけリアルで切実な題材だ。

PLAN75とは、後期高齢者になる年齢、
つまり75歳になったら、安楽死を選ぶことができ、
それを国が支援するという制度だ。
舞台設定が近未来の日本だとはいえ、
少子高齢化が重くのしかかり、
年金も下がり、福祉も介護も
満足なサービスが行われていない現実の日本。
もしかしてこんな制度、すでにあるんじゃないの、
と勘違いしそうなほど、だ。

いわば、使えなくなった老人は
死んでもらって結構ですよ、という恐ろしい制度のもと、
ホテルの客室清掃員として働く老女(倍賞千恵子)は、
なんとか生きていこうと思いつつも、死を受け入れることを決心する。

いっぽう、PLAN75の相談窓口で働く青年(磯村勇斗)や、
老人たちのメンタルをサポートする
コールセンタースタッフ(河合優実)は、
感情を押し隠して、業務にいそしんでいる。

ないがしろにさせられる人の命に対して、
声高にこの制度を批判する声は聞こえてこないし、
そのような言葉を登場人物たちが発することもない。
だから映画は静かである。誰も語らないし、説明も少ない。
ふとしたつぶやきと、途切れがちの会話をするだけだ。

倍賞千恵子が、二度目の結婚をしたときに、
声がいい、と褒められた話を
電話越しで河合優実にする場面が哀切きわまりない。
確かに、本当に倍賞さんの声がいいし、
カラオケで歌う場面もあったりして、
これが最後の最後に効いてくる。

一見、テーマと関係なさそうな
フィリピン人の介護職の女性(ステファニー・アリアン)が
重要な役割を果たすのは、日本という国を
客観的に見られる立場だからだろうか。
彼女が映画に登場することで、
うっすらと批判精神が浮かび上がる。

そして磯村勇斗が、
長年会っていなかった叔父(たかお鷹)のアパートを訪れる場面。
叔父が持っていた献血手帳の束を見て、
その人生が垣間見られるところは、
本当にさりげないが、本作の白眉かもしれない。

細部にわたって、さりげなく
登場人物たちの人生の断片が散りばめられていて、
脚本と演出、撮影や美術の巧みさに感服する。

倍賞さん。82歳にして
代表作がまた1本増えたと思う。
あと河合優実。傑作ばかりに出ている印象があり、
旬の俳優として急上昇している感がひしひしと。

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悪いようにはしないから

2022年06月08日 | 映画など
アンドリュー・スレイター監督
「エコー・イン・ザ・キャニオン」を見る。
60年半ばから70年代にかけて
LA郊外のローレル・キャニオンに集った
名だたるミュージシャンたちと、
数々の名曲へのリスペクトが詰まったドキュメンタリー。


同じく公開中の「ローレル・キャニオン
夢のウェストコースト・ロック」とは別の映画だ。
しっかり歴史をなぞった「夢のウェストコースト〜」とは異なり、
本作は、ジェイコブ・ディランを語り部にして、
ローレル・キャニオンで活躍した
ミュージシャンたちを訪ねる構成で
かつての名曲を、ジェイコブやベック、
ノラ・ジョーンズなど後世代であるミュージシャンたちが
カバーするライブ場面が軸となっている。

ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、
ママス&パパス、ビーチ・ボーイズらの名曲誕生の裏話が興味深い。
ギターを持って技術論を語るロジャー・マッギンのダンディさや、
苦難を乗り越えて生き延び、かなり元気そうに見える
ブライアン・ウィルソンのちょっと奔放な感じも楽しい。

年を取っても青くさい理想を語るグラハム・ナッシュと、
俺はクソ野郎だと自虐的なデヴィッド・クロスビー、
自分は小心者だったと告白するスティーヴン・スティルスと、
CSNの人たちはやたらに人間くさくて、面白すぎ。
聞き手がディランの息子だからか、みんなどこか
リラックスしていて、基本的にドヤ顔なのも、いい。

バーズの偉大さを淡々と語るトム・ペティは、
ローレル・キャニオン世代と、ジェイコブたちとの
ちょうど挟間の世代で、だからこそ、
ジェイコブにわかりやすく伝える言葉を
持っているのだろうと想像する。これがTP生前最後の映像らしい。

ディランの息子であるジェイコブと、
ラヴィシャン先生の娘であるノラ姐さんが
アソシエイションの「ネヴァー・マイ・ラブ」を
収録する場面が絶品。そうか今は二世・三世の時代なんだなあ、と。

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