中江裕司監督「土を喰らう十二ヶ月」を見る。
長野の山奥で暮らす老作家が
野菜を育て料理をして食す生活を
季節の移ろいと共に描く。ジュリー枯淡の域。
山荘でひとり暮らしをするジュリーが、
自ら耕した畑から野菜を収穫したり、
山にキノコを採りに行ったりする。
干し柿や梅干しを仕込み、茄子や胡瓜などをぬか漬けにする。
そしてそれらをありがたくいただく。ほぼそれだけの映画。
まるでドキュメンタリーを見ているかのようで、
収穫や仕込み、料理の過程をカメラは地道に映し出していく。
つくられる料理は質素かつ素朴なものだけど、
旬のものをいちばん美味しいときにいただくという、
都会でカップ焼きそば的生活にまみれた自分とは
正反対の豊かさで、羨ましいという次元を超え、
雲の上の人を見ているような気分になる。
似た映画を見たことがある。
東海テレビ制作、伏原健之監督の
「人生フルーツ」(2016)だ。
あの映画は老建築家とその妻が、自宅のキッチンガーデンで
地道に食べ物をつくり生活する日々を描いたものだった。
本作もジュリー主演じゃなかったら、
ポレポレ東中野で上映しそうな映画だなあ、と思ったり。
閑話休題。
シネフィルモードになりかけました。
ときおり、東京から編集者(松たか子)がやってきて、
ジュリーのつくった料理に舌鼓を打ったり、
亡き妻の老母のところで、共に食事をしたりする。
その母が亡くなり、あたふたしながらも
きっちりした葬儀を取り仕切るジュリーは、
どうみても普通の人には見えない。
スーパーお爺ちゃんのように見えるわけで、
そのあたりはフィクションというか、ドラマっぽくて、
それはそれで楽しく見られたというか。
似た映画を見たことがある。
デ・ニーロが出た「マイ・インターン」(2015)だ。
IT社長のアン・ハサウェイを絶妙にサポートする
70歳の運転手を演じたデ・ニーロもスーパーお爺ちゃんだった。
閑話休題。
またシネフィルモードですみません。
ともあれ、日々を大切に生きる老作家が、
迫り来る死について考察し、孤独に震えながらも、
それでも淡々と生きていく姿に
心を打たれる人はきっと多いと思う。
かくいう自分はどうかというと、
ジュリーがつくる料理はそれはそれは
絶品だと思うけれど、物足りなさを感じてしまいそう。
まだカップ焼きそば的世界に未練があるというか。
生臭くてケミカルな生活から抜けられそうもなく、
この映画のジュリーみたいには永遠になれないのではないか、
と絶望的な気分になったりする。
似た映画を見たことがある。
イーストウッドの「クライ・マッチョ」(2021)だ。
あれもスーパーお爺ちゃんで(以下同)。
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