昨日は今年の山びこの会最後の行事、高尾山忘年登山に参加した。登山と言っても、私はケーブルカー利用の省エネ登山の組であったが。
9時30分に京王線高尾山口に集合して、健脚組は約2時間かけて頂上を目指す。私たち老人組はケーブルカーを利用して、そこから約40分を歩き頂上で合流する。これが山びこの会の良いところで、おかげで私は80歳をまじかにして高尾山の頂上に立つことができたのだ。
40分の行程もそう楽ではない。ケーブルの終点が標高470mぐらいというから、600m近い頂上までは100m以上は登るのだ。全般になだらかな道が多いが、最後の奥ノ院までの階段の上りはかなり急だ。
しかし振り返れば、ケーブル組のリーダーMさんの大変な配慮で、往きは、「山登りだからこのくらいの上りは頑張りなさい」と階段を上らせ、復路は、老人に急階段を降りさせる危険を避けて、なだらかな林道を下るというコースをとった。私も、往きはそれなりに頑張り、返りはルンルン気分で周囲の景色を満喫した。有難うMさん。
快晴無風、思ったより暖かく、美しい空気を腹いっぱい吸った。
予定通り11時に、頂上で合流
頂上から見上げる空は、青く、高く、澄み渡っていた
紅葉は既に盛りを過ぎていたが
木漏れ日の林道は気持ちが良かった
数年ぶりに開かれた「八の会」の忘年会に出かけた。この会は技術系の人の集まりで、私は門外漢であるが、飲み会でもあるので酒のつながりから参加させてもらっている。
メンバーの一人にKさんという才人がいて、今回は氏がこの度完成させた船の事が話題になった。Kさんは、全長8m、幅2.5m、8人乗りの船を「すべて手づくり」で作り上げたという。要した歳月は4年、年約百万円を投じたので総費用4百万円。
こうして完成した船で、全国各地を旅するルンペン生活を送っているという。ルンペン生活というのは、船に金を投じたのでその分節約して、着く港ごとにラーメンをすすって食いつないでいるというのだ。港ごとに何を食っているかは別にして、ロマンに富んだ話である。
問題は「手づくり」の中身だ。Kさんは船体や各部屋などを作る大工仕事や木工仕事をすべて自分でやることはもちろん、作業上必要な船の移動やひっくり返しなども自分一人でやったというのだ。移動とかひっくり返しとか、そのような物理的対応ぐらい手伝ってもらってもいいではないか、と質問すると、「それを人にやらせてはいけない。自分でやらなければ船の感触や完成度がわからない」ときた。
これには驚いた。酒造りでも「手づくり」が言われるが、蒸米をエアシューターで送ったり、絞った酒をポンプで運んだりする。Kさんに言わせれば、「それでは完成度や、出来具合は把握できない」というかもしれない。
Kさんの船の「手づくり度」は、想像を絶する水準のようだ。最後に海に浮かべるとき、浮くかどうか不安があったが、正常に浮いた時の喜びはたとえようがなかったと述懐していた。
マララさんがノルウェーでノーベル平和賞授賞式に臨んでいる。テレビに流れる、あの有名な国連演説を聞いて、改めてその偉大な生き方に感動した。
学校に通うという、子供としてあまりにも普通の行動を続けたゆえにテロの銃撃を受けた。「女は家事をやればいいので学校には行くな」というタリバンの命令に対し、毅然として通いつづけたスクールバスの中で射撃された。奇跡的に助かった少女は、「神は私に新たな人生を授けてくれた」と、屈することなく教育普及運動に立ち上がる。
何がそのような強い女性を育てたのか? お父さんの言葉が素晴らしい。
「私は何もしなかった。彼女の翼を取らなかっただけだ。翼を摘み取れば彼女は普通の女性になったかもしれないが、私はそのまま摘み取らなかった。私は何かをしたのではなく、何もしなかったのだ。」
自由に翼を伸ばしたマララさんは、国連で次のように演説した。
「One child, one teacher, one pen and one book can change the world.
Education is the only solution. Education First.
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、
それで世界を変えられます。
教育こそがただ一つの解決策です。
エデュケーション・ファースト(教育を第一に) 」
国連でスピーチする17歳の彼女は、凛々しく、美しかった。声ははっきりと、きれいで、全てに無駄なく説得力を持っていた。このようなスピーチを聞けるだけで、今年も生きてきた値打ちがあった。
2014.12.10付 日経新聞朝刊より
早いもので山桜桃の会も9回目となった。再び浜松町に集まり、前回の洋風日本料理『和楽菱』から転じて“旬彩和膳”を謳う『ぼん』を選んだ。
メンバーの年齢からして「量より質の料理を」と頼んでおいたが、酒と話題のテンポに合わせてゆっくりと、つぎつぎと出てくる料理は好評であった。
先ず恒例の純米大吟醸「山桜桃」で乾杯をすると、「白子の茶わん蒸し」と「あんきも」が出てきた。茶わん蒸しも数多く食べたが白子は初めてであった。続いて、「天ぷら」(舞茸、里芋、牡蠣)、「刺身」(赤むつ、くえ、尾長鯛)、「焼魚(太刀魚)としめ鯖のサンドウィッチ」、「プリプリ海老入りしんじょ」などが続き、最後の「お茶漬け風焼きおにぎり」まで多彩で大満足であった。
中でも話題になったのが「しめ鯖のサンドウィッチ」。しめ鯖は普通のしめ鯖らしいが、それを本当にパンで挟んであるところが面白い。料理長によればトルコ風ということであった。単に和風だけではないのがしゃれている。
酒は、店の名前が『ぼん』であるだけに福井の「梵」が基調。乾杯酒の「山桜桃」がどっしりした酒だけに、後は「梵」の「ときしらず」や特別純米クラス、また「南部美人」の純米吟醸などをつなぐ。最後の「焼きおにぎり」のころには、特別純米酒「梵55」のお燗とした。
いやあ、満足、まんぞく…
天ぷら
焼き魚(太刀魚)と「しめ鯖のサンドウィッチ」
プリプリ海老入りしんじょ
「焼きおにぎり」は浸したおつゆの味が何とも言えなかった
昨日12月5日は戌の日…、ちょうどその日が妊娠5か月目に入る日となった二男の嫁の安産祈願のため、永福町の大宮八幡宮に出向いた。不安定な天候が続いていたが、心地よい好天に恵まれ、大宮八幡宮の森は秋の彩りを称え、空は高く澄み渡っていた。
本殿に導かれ、数組の祈願者とともにお祓いを受け、祝詞をいただき、さらに巫女が舞を舞うという念入りな行事であった。その後、腹に巻くさらし布をはじめ祝いの品々の入った袋をいただき、その中の「安産祈願絵馬」に本人が願い事を記し署名、それを境内につるす。
何はともあれ、安産で、元気な子が生まれてきてほしい。予定日は来年5月。その前月に傘寿を迎えるが、私にとっては初孫だ。何としてもあと半年は元気に生きねばなるまい。
願い事を記した安産祈願絵馬をつるす息子夫婦
青く澄み渡った空には、希望をつなぐ白雲が湧いていた
打ち上げが2度も延期されて不安な気持ちにかられていたが、成功してホッとした。何と言っても、これほどロマンに富んだ話はない。暗い事件ばかりがつづく中でケタはづれに明るい話題だ。先代はやぶさが、想像を絶するような苦難の末地球に帰り着いた体験が未だ脳裏を離れず、その高度な技術、先駆性とヒューマンな物語が私たちの心を温めてくれただけに、その延長線上で新たな夢物語をみんな追っているのであろう。
3億キロも離れた直径1キロに充たない小惑星をめがけ、6年間、往復52億キロに及ぶ旅を続けて、その小惑星から生命の起源を探る岩石を採取して来るというのだ。その距離も時間も小さな的も、全て想像を絶する。
詳細な技術につき解説を受けるほど、日本の先端技術力に誇りを感じる。日本は最高度に発達した超先進国と自負していいのではないか。ところが同時に、毎年生活保護者が増え続けているというニュースが流されている。またワーキングプアー2千万人などという貧困問題が現出している。
これは明らかに政治の貧困を表しているのではないか? 数百億円の金をかけて総選挙が争われているが、この貧困問題を解決することに、政治は全力を挙げるべきではないか? はやぶさの技術力を考えただけでも、日本は何千万の貧困層を抱えなければならないほど遅れた国ではないはずだから。
高倉健氏に続き菅原文太死が亡くなった。「80を過ぎると男は逝くのね」という周囲の言葉に、あと4か月でその年に達する者としては、背筋に冷たいものが走る思いがあったが、それはさておき……、
菅原氏の、沖縄知事選での応援演説がテレビに流れて、思わず背筋を立てる思いで聞いた。あの朴訥な口調で語った言葉は胸に刺さった。
「政治の任務は二つある。一つは、国民を飢えさせないこと。そして二つは、…これこそ重要なことであるが…、戦争を絶対にしないこと。」
菅原氏の平和希求が、どこから生まれてきたのか私は知らない。やくざ映画で人殺しを演じながら、「このようなことだけは無くしたい」と思い続けたのかもしれない。何よりも、政治の最大の任務が「戦争をしないこと」と言われて、その凄みに、改めて背筋が立った。
アベノミクスは、株高と円安で大企業と一部の金持ちを潤したが、15期連続実質賃金低下や消費傾向低下が示すように「民を飢えさせている」のではないか? また集団的自衛権を閣議決定などで容認するなど「戦争の道を進んでいる」のではないか?
菅原氏は、死して安倍自公政治を糾弾したのではないか?