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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

横浜の三渓園に行ってきました

2008-11-23 15:35:08 | 時局雑感

 

 昨日は、快晴に恵まれた連休のど真ん中であるので、せめて紅葉を眺めることぐらいはやろう、と出かけることにした。
 当初は近場の百草園にしようか、府中あたりどこかいいところがあるかなあ、どうせなら高尾山か・・・、などと思っていたのだが、ふと、一度は行ってみたいと思っていた三渓園を思い出し、横浜まで出かけることになった。

 結論から言うと、「紅葉」という点では全く的外れで、三渓園の“もみじ”は未だ青々として、紅葉の風情は全くなかった。松ノ木を中心とした配置でもあり、木々は緑が多く、紅葉のシーズンなどあるのかと思うくらい緑に覆われていた。そして、それはそれでまた見ごたえはあった。

 この庭は、175,000㎡という広大なもので、生糸の貿易で財を成した原三渓(本名富太郎)が、明治351902)年から約20年をかけて造成したものだと言う。その随所に、各地から移築された歴史的建物が配置され、見るものに飽きることは無い。岐阜の合掌つくりの建物や、鎌倉のお寺の塔頭(たっちゅう)の一つなど、よくもまあ集めたものだと思うほど、建てられている。国や横浜の指定文化財クラスもたくさんある。

 生糸産業に関わったというと、『ああ 野麦峠』をはじめとした女工哀史を想起し、「若い女性の生き血を吸って富を蓄積した結果がこれか」、などと思いたくなるであるが、その富が歴史的価値物の収集、保存に充てられたのかとなると、偉業と言うべきかとも思う。
 倉敷の大原美術館に行ったときもいろいろ思った。まさに女工哀史の現場であるが、大原孫三郎がその富をすべて費消し尽くすことなく、大原美術館としてこれだけの世界的美術品を残したのか、と思うと、それはまた大変な業績だとも思った。
 歴史の評価とは実に難しい、といつも思う。

 夕方には新宿に帰り着き、「今日は1122日・・・、“いい夫婦”の日」を口実に、イタリアンレストランで夫婦仲良く食事をとった。たっぷり量のあるコースで、最初は全部食べきれないと思っていたが、白、赤ワインのデカンタ2杯につられ全部平らげ、仕上げのグラッパ(イタリアの焼酎)でデザートを食べて大満足であった。
                            


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