大統領選に勝利したオバマは、一貫して“変化”を訴え続けた。それが“経験”を強調した相手候補――予備選のヒラリー・クリントン、本選のジョン・マケインに勝った要の言葉となった。アメリカ国民が求めていたものは、彼らを覆う閉塞感からの開放、すなわち変化であり、旧来の政治にまみれた経験はむしろ邪魔であったのかもしれない。
そのようなことを話していたら、娘が、「なんとしても、アメリカはいい国になって欲しいなあ」とつぶやいた。
今のアメリカは“よい国”ではないのだ。アメリカ国民は、「悪い国をよくしよう」と願っているのだ。
ところで“よい国”とはどんな国だろう。
戦後の私たちにとって、アメリカは憧れの国であった。豊かで、文化的で、自由と民主主義の花咲く国であった。ただ、ヴェトナム戦争などに見られる武力をたてにした覇権主義が、常に気なってはいたが・・・。
私が最初にアメリカに行ったのは1988年であった。そのころ日本は経済的にはかなり追いついていたが、それでもアメリカに“豊かさ”を感じ、余暇を含めた“文化”的生活や、日常生活に定着した“民主主義”などに学ぶことが多かった。
しかし、ちょうどその時期から進められた新自由仕儀経済は、アメリカを(というより、その影響下にある日本をはじめとした各国をも)、弱肉強食の手放し競争社会、一握りの富裕層と膨大な貧困層を生む格差社会に導き、またイラク戦争における先制攻撃論などに見られる傲慢さも加わって、アメリカを悪い国、危険な国にしたのではないか。
アメリカ国民は、いま正に、「アメリカをよい国に変えよう」と変化を求めたのであろう。
今のアメリカは、決してよい国ではないと率直に思う。
「なんとしても、いい国になって欲しいなあ」と私も願う。