旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

泡盛・焼酎にみる日本人の智恵

2008-11-03 17:01:42 | 

 

 一日(ついたち)を「焼酎・泡盛の日」(11月1日付ブログご参照)として始まる今月は、さしずめ「泡盛・焼酎月間」であろう。だから、焼酎について少し勉強しておこう。

 日本に蒸留法が伝わってきたのは500~600年前のことらしい。先ずシャム(タイ)などと海洋貿易を行っていた沖縄(琉球王国)に、そこから蒸留酒が持ち込まれる。その蒸留法により沖縄人が「泡盛」を完成させたのが1470年ごろと言われている。(10月31日付日経新聞第二部9面)
 泡盛は、「蒸した米に泡盛特有の麹菌である黒麹菌を加え約40時間かけて米麹を造り、これに水と酵母を加えて10~14日間醗酵させ、そのまま蒸留する。従って泡盛は米麹だけを原料とした焼酎といえる。」(日本酒造組合中央会『本格焼酎&泡盛小百科』18頁)
 つまり泡盛は、米麹だけを原料とした全麹仕込みの焼酎である。米麹のもとは米であるので米焼酎には違いないが、黒麹菌と全麹仕込みにより全く別物を生み出している。特に黒麹菌については、なぜ使用されたのかいまだ分かってないらしいが、酸の強い黒麹菌は、雑菌の繁殖を防ぎ、南国の酒つくりに適していたのであろう。

 この泡盛が日本に渡り、日本の蒸留酒(焼酎)造りが始まるのが500年位前からのようだ。それは先ず鹿児島に上陸し、そこから九州全土を経て全国に広がる過程で、様々な日本人の智恵が働き、日本的な蒸留酒を生みながら焼酎文化に花を咲かせる。
 泡盛を含め日本の焼酎は、先ず米麹に水と酵母を加え醗酵させてもろみを造る「一次仕込み」に始まる。その一次もろみをそのまま蒸留すれば、前述したように泡盛になるが、鹿児島県人はそれに土地の産物であるサツマイモを加え二次仕込みを行い、出来たもろみを蒸留して「いも焼酎」を造った。
 熊本県人は、米が採れるので二次仕込みに米を使い「米焼酎」を造り、宮崎県人は、鹿児島県境では採れるいもで「いも焼酎、そばの採れる高千穂、五ヶ瀬地方ではそばを仕込み「そば焼酎」を造った。
 大分県では麦が採れるので二次仕込みに麦を使い「麦焼酎」、また長崎県の壱岐の島で造られる「麦焼酎」も有名だ。

 このように、外部から持ちもまれたものを、単に真似るだけでなく、その土地の産物を加えて新たな食品を造り上げたところに、日本人の智恵を感じるのである。そしてそれは、当然のことながら、その土地の食べ物にも合致したに違いない。
                            


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