桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

京都散策3

2010-05-14 | Weblog
四条通りを東に進むと八坂神社がある。
初めて神社の門から四条通りを撮影してみた。
この門の前で中国からの旅行客に祇園に行きたいと話し掛けられた。そして、この道路の左側、南座方向へ歩いていたらば、建仁寺を見学して来て、清水寺に行きたいと言う群馬県から来た修学旅行生に話し掛けられた。
俺はどこに行っても歩いていると場所を聞かれるが、場所に溶け込んでしまうのかなぁ。

京都散策1

2010-05-14 | Weblog
今日は何も予定がないから、好きに街を歩いた。
もちろん、昔の思い出を辿りに行ったのだが、京都駅から河原町まで歩き、明後日の帰りのチケットを買い、それから、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。街には修学旅行の子供、中国からの旅行客が多かった。
写真は川床と言われる物で、鴨川の川原に突き出している食事をする場所だ。
これが出来ると夏。
今日は風が強くて、余り川原に人はいなかった。

出会い

2010-05-14 | Weblog
人と人の出会いは面白い。昨夜のパーティーはコース料理で座った形式だったが、俺は京都御所散策などをしていて時間ギリギリに会場に着いたため、もう座るテーブルは限られていた。昨日の集会に招かれた人たちの席にいた甲山事件の山田悦子さんからは「桜井さんは向こうの席よ!」と追い払われるし、仕方なく一番入り口近い席に座ると、四人席の俺の前に可愛いい女性が座った。他の二つは空いているし、黙っていては可哀想だと思って話し掛けた。
彼女は、まだアルコールのダメな二回生で、俺には縁の深い岸和田市から通学してるのだとか。
それからアレコレを話し、会が終わるときにはメールアドレスも交換し、俺のブログにアップすることを告げて写真も撮らせて貰った。
大体、こんなケースは、俺がお礼のメールをして、その返信が来て終わり。後は続かないが、昨夜は、初めて俺がメールを書く前にメールが来た。
将来はジャーナリストになりたいと言っていた彼女。夢は必ず実現するし、きっと素晴らしいジャーナリストになるだろう感性を感じる人だった。
写真は彼女。名前の公開は承諾を得てないので秘密です。

浅野健一教授

2010-05-14 | Weblog
昨日、同志社大学に来たのは、浅野先生の招きだった。
その企画が終わった後に、浅野先生の裁判勝利パーティーが開かれた。
浅野先生は学内の教授から嘘のセクハラの密告をされ、名誉毀損裁判をして勝った。それは知っていたが、まだ同志社大学には、その嘘のセクハラ密告をした教授がいて隠然たる力を持っていると聞いて驚いた。普通はあり得ないでしょ。
大学だよ。人の道を教える立場の者が人を陥れるような行為をしたらば失格だ。解雇されて当然だろうに、職に留まっているとは、何たることだろう。
昨夜のパーティーでは、その某W教授を浅野先生の教え子たちが笑っていたが、笑われて当然だ。こんな教授の存在を許す同志社大学、新島精神が泣いていよう。
浅野先生の一期生の美しい女性二人が語るには、「先生は、私と部屋で二人きりになると、必ずドアを開けていた。私は魅力がないのかと思ったことがある」とエピソードを話していたが、生徒に信頼された浅野先生の人となりが判った、素晴らしい勝利パーティーだった。

御所

2010-05-14 | Weblog
京都御所は、あの外周りが総て天皇が住んでいた御所だと思っていたらば、中に塀があり、また仕切られた区域があり、そこが天皇の住まいだと知った。
東京の狭い江戸城跡にいないで、ここに帰ればいいのにね、天皇家は。

京都

2010-05-14 | Weblog
昔、京都で暮らしたことがある。
毎日、楽しいことはないかと追い求めていたが、真面目に働かない生活など、楽しいことは有り得ない。
人生をやり直したい撮思って京都に来て、ある酒屋さんに雇っていたので頂いた。でも怠け者はどうしょうもなくて、また失敗をして逃げて帰り、この布川事件に巻き込まれのだった。
あれから44年。19歳の俺の心が彷徨っていた京都は、ある意味、第二の故郷かも知れない。何時も懐かしく思い出していた。
昨日は同志社大学に招かれて来た。足利事件の菅家さんも一緒だったが、菅家さんが虫垂炎のハプニング。俺と杉山が代役で話し、夜の行事まで、時間があったので御所内を歩いた。
昔、京都にいたときは来たことなかった。警官がいるとは思わなかったり、予想以上に広大なのに驚いたり、約2時間を楽しんだ。