桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

家族

2010-05-29 | Weblog
冤罪者には家族がいる。本人も思い荷物を背負うが、社会にいる家族が一番、大きな負担を背負うのが冤罪だ。
星野文昭さんは社会に待ってる家族、妻がいる。獄中結婚して24年という妻暁子さんの待つ思いを考えると、自分を待ったろう両親の思いに重なって、何でもしてあげたい気持ちになる。
俺が千葉刑務所にいたとき、本当にシャバに帰れないならば、それはそれで仕方ない心境だった。刑務所の中っ人として満ち足りた毎日を過ごし、一編の詩を残し、一曲の歌を残せれば自分の人生は満足出来る気持ちになっていた。その毎日に馴れてしまったのだろうが、今、星野さんも同じように言うらしい。あの頃の俺のように。
俺は両親は死んでいたし、面会に来る家族もいなかったが、星野さんにはいる。シャバに帰る気持ちになって頑張って欲しいと言うために来た徳島だったが、残念ながら面会出来ずに話せなかった。
思想、主義の違いで、色々とあるし、狭山事件運動などを見ていて、あのヘルメット姿と主張がマイナスにしかならない思いがある。その中核派思想を一番に持ってる星野さんらしあから、俺と交わらないかも知れないが、冤罪の戦いという一点には主義も思想もない。星野さんの妻、兄弟、市民運動家などと来て、改めて無実の星野文昭さんの再審がなるように願う思いを強くした。

徳島刑務所

2010-05-29 | Weblog
徳島刑務所と言えば医療行為をめぐる暴動が有名だ。人権無視の医務官がいて、その乱暴な行為に怒った受刑者が抗議に走ったのだが、その医務官は告発が入れられずに起訴されず、密かに高松刑務所に転勤したらしい。
そんな徳島刑務所にいる冤罪仲間の星野文昭さんは、もう獄中35年になる。奇遇と言うか、我々と同じ年代で生まれる場所が同じだったらば、俺も菅家さんも星野さんも同窓生になった関係だ。
昨夜は、徳島の支援者が集った集会もあったが、やはり中核派という思想を意識した発言もあり、純粋な冤罪として再審を目指す限界を感じる人もいることを知った。
俺は、まあ中核派の思想から言えば敵になる救援会の支援で仮釈放と再審を実現したわけだし、その行動の価値と意義も語ったし、それが理解されたようなのは意外でもあった。それだけ星野さんを取り戻したい思いの真剣さを感じた。
しかし、徳島刑務所は遅れてる。俺の面会は拒否された。受刑者の人権としての面会を認めないのは呆れたし、さすが医療暴動を起こした刑務所だけあると思った。
この写真は門から刑務所を写したモノ。