桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

2008-12-29 | Weblog
本当は脳なのだろうが、不可思議なモノ。
泣いたり、怒ったり、笑ったり、恨んだり、愛したり、憎んだり、あらゆる思考の根源にある。
悟りを開くことは、それらの感情の波を無くすことなのだろうか。感情の波をコントロールすることではあるのだろうが、何も感じなくなることだとは思えない。
今年も色々なことがあったな。常に感情に流されている俺などは、まあ悟りなどとも無縁だが、来年は、少しは感情の波をセーブしたい。俺だって辛いことはある。それが生きるのがイヤ、闘いを捨てたいと思うこともある。あるけど、俺は、そういう感情の波こそが、生きる人間の喜びだし、そこから何かが生まれると思ってる。
まあ、だから感情の波、これからもあるし、甘受するね。
今年あった全てのこと、ありがとう!今日、今日だから言いたいかな。
心は不思議。昨日の思いが今日じゃない。今日の思いが明日じゃない。

仕事納め

2008-12-29 | Weblog
今年の仕事は、昨日で終わった。会社に出た日数は109日だった。半日だったことも多いから、実際の日数は、もっと少ないだろう。こんな我儘な働き方を許して貰えて、実に幸せだと思う。
前の会社にも、同じように働かせて貰えたし、本当に恵まれている。
もし、このように働けなかったらば、俺の闘いは無い。そのことを思えば、再審を実現させてくれた恩人と言ってもいいだろう。
恵まれていることを自覚し、来年も、常に全力で働く。それしかないが、来年は闘いも決着する。
今後の見通しは、まだまだ判らないが、俺の予想を越えたことが起こるだろうと思っている。

相性

2008-12-29 | Weblog
俺の冤罪生活は42年目になる。実に長い月日だ。
その間、共犯とされた杉山とは、同じ月日を重ねて来たわけだが、彼と心が通ったと思うことは、殆ど無かった。思えば不思議な話だ。命を削るような体験を行有しながら、手を取り合って喜んだり、楽しんだことが無いというのは、とにかく相性が合わないとしかいいようが無い。
相性というのは怖い側面がある。合うというのを体験すると、余計に合わないことが判ったり、感じたりする。
布川事件の支援者には、沢山の人がいる。沢山の人と触れ合えば、勿論、合う合わないもあるが、杉山ほどに強烈に相性を考えさせられる存在はいない。
我が弁護団は、「この二人が一緒に犯行をすることは無い」というほどの二人は、やはり冤罪の共犯者に相応しいのかも知れない。

今日

2008-12-29 | Weblog
当たり前だが、今日は一日限り。
人間だけでは無くて、この世にありしあらゆる存在は一度限りなのだ。
アナタの命の今日が、豊かで楽しくありますように。