桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

大鶴補充書批判4

2008-12-09 | Weblog
「著しく正義に反する重大な事実誤認」という大業なタイトルで決定を批判した内容部分を読めば、これも相変わらずの我田引水だ。
我々を目撃したと嘘を言う渡辺証人を雲の上までも持ち上げて「その証言の信用性は極めて高い」と主張する。
大丈夫かいな、大鶴さん!と言いたくなる。
1、渡辺は利害関係が無く、あえて虚偽の供述をする事情が無い、2、二人と面識があり、二人を認識することも可能で検証結果で裏付けられた、3、確定審で様々な観点から尋問されても桜井と杉山を見たと一貫して述べている、4、顧客先やガソリンスタンドなど、立ち寄り先関係者の供述などで裏付けられている、5、「忘れたなどの証言は記憶の薄れで当然である
このような根拠で渡辺証言は真実だと述べるが、最もらしい主張だけれども歪んだ思考だ。
渡辺の証言が出現した経過は、この補充書が言うような「証人出廷などを躊躇していた」ものではない。我々が犯人だと報道され、たまたま事件当夜に玉村さん方前を通過していた渡辺は、その性格から「俺は見たんだよ、あの二人を」と自慢気に得意先に話して歩いたのだ。それが有罪にする証拠を求め続けていた警察の網に掛かかって証人になったのだ。一度嘘を言ってしまえば利害は生まれる。嘘と認めれば、その嘘を言い回った得意先との関係に困るだろう。現に、渡辺証人は得意先から警察に話が持ち込まれたと、検察は関係者供述として書面を提出している。渡辺証言に利害が無いというのは間違っている。
識別が検証結果によって裏付けられたと言うが嘘だ。あれはバイクの後ろ席に乗った裁判官が検証し得たのであって運転者が識別できたのでは無い。大体、道路中央をバイクで走り、「道端に立った人の顔がライトに入って判った」などと言う証言は絵空事の極みだろう。そんな照射角度は無い。頭で作り話を作っているから、こんな実体とは違う、あり得ない話になるのだろう。
桜井、杉山だと一貫して述べているとあるのには笑った。どこが一貫なのか、普通の感覚があれば、こうは言えまい。渡辺が現場前で見た人を、誰か判らなかったと言ったこともある。判らなかったが、その直後に学生たちと出会い、その中の顔と被害者宅前で見た人の顔が似ていて記憶に残ったと話した、あの良く意味の判らない証言部分は何だと言うのか。大鶴さん、嘘を書いてはいけない。誇張してはいけない。「全く揺らいでいない」どころか、揺らぎに揺らいでいる。事件発覚直後に「通ったが誰も見ていない」と語った最初から、原審高裁での最後の証言までを検証すれば、渡辺が家を出た時間から現場前通過時間、目撃した桜井、杉山の立ち位置から見た相手や状況、訪問先でのテレビ視聴時間から帰宅時間まで、変転しない部分は一つも無い。渡辺証言の変転は「年月による記憶の薄れ」などではあり得ない。著しく変転した渡辺証言に縋らざるを得ない検察の苦況は判るが、小貫証言に厳しい同じ検察官の言葉とは思えない論述だ。
それに立ち寄り先関係者の供述と言うが、なぜ渡辺だけの関係者供述を提出して、小貫証言の関係者供述は提出を拒否するのか。余りにもアンフェアーな話でなないか!
検察庁は、総ての証拠を開示しろ!証拠隠しをするな!
この渡辺証言を真実だと主張する検察と同じ言葉を用いて小貫証言を書けば、彼女に利害関係は無い、自転車で被害者宅を訪ねようとした意識的な目撃は信用性がある、40年間語る目撃状況に揺らぎは無く一貫している、こうなるだろう。
小貫証言を裏付けするに不足する関係者供述を考えるにつけ、検察の開示拒否は異常としか言い様が無い。
大鶴検事、総ての証拠を検討できた貴方は、小貫証言の真実性を理解しているはずだ。事件が発覚してから進んで目撃状況を話した小貫証言は、その8月30日付け調書から同じ話を一貫して語っているはずだ。そして、その話は関係者供述によって証明されているはずだ。だからこそ、検察は小貫証言を不当に難詰して初期供述を隠し、関係者供述を隠し続けているのだ。違いますか、大鶴検事!
検察庁の証拠隠しは犯罪的だ。「著しく正義に反する重大な事実誤認」をしているのは検察庁だろう。
重ねて言うが、正義に反するなどと書いて恥ずかしくないのだろうか?検察官として、人として恥ずかしくないのだろうか?