桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

今日の仕事

2008-12-11 | Weblog
久しぶりの仕事。取手市で解体する家の周りに、粉塵や物が飛散するのを防止する幕を張るために、単管パイプを組んだ。6メートルの高さ。かなり高いので、そこで作業するのは大変。高いところでの作業を苦にしない俺なので、明日の幕を張る作業にも出て欲しいとなって、明日の最高裁、再審での集いには参加できないことになった。
しかし、今日は手の指が攣ったのには驚いた。重い物を持つことも、そろそろ身体が負担と感じ始めたのかも知れない。

大鶴補充書批判7

2008-12-11 | Weblog
大鶴基成最高検察庁検事名で提出された補充書にある具体的な記載に対する批判は終わった。これ以上は何も言わずとも結果は見えていると思うが、最後に一言書きたい。
検察庁は犯罪者だ。証拠を隠す犯罪者。そう言っても反論はできまい。できようはずは無い。私が書いたこと確実な資料に基づく事実だからだ。布川事件の真実であり、歴史的事実だからだ。この真実の前に大鶴補充書は虚しい。あれは41年前、私に自白を迫った吉田賢治検察官は「君の言葉には、人の心を打つ響きが無い。たとえ裏付けが無くても真実ならば心に響くものがある。でも、君の言葉には、それが無い。真実とは思えない。」と言った。この大鶴補充書と特別抗告申立書には、真実も無ければ、もちろん心を打つ響きなどあり様が無い。それどころか、証拠を隠して裁判所に誤った判断をさせた、その決定にしがみ付く無様で哀れな姿しか見えない。
警察が、私への不当な取り調べ時間を隠そうとして、その記載を改ざんして提出した「留置人桜井昌司に対する出入り状況表」というのがあることは書いた。それを使って「留置場への帰房時間」と表現する言葉があるが、私は留置場内の看守勤務者が仮眠室として使っていた部屋で調べられていた。端から留置場内にいた者が帰房もないだろう。この補充書は、どこまでも間違っている。真実の欠片も無い
41年前、吉田検事が私に語りかけた言葉は、今でも検察官は使うらしい。「私が修習中に、桜井さんが言われたと同じことを言う検察官がいましたよ、君の言葉には心を打つ響きが無いって」と、つい先日、話してくれた若手弁護士がいる。犯罪手口は同じかと、みなで大笑いしたが、今も昔も検察庁は同じ。起訴した人を有罪にするためならば、どんな手段でも使う。来年に始まる裁判員制度の中でも、必ず同じことをするだろう。布川事件を作り上げたと同じように、警察の証拠ねつ造を許し、自らは証拠を隠すに違いない。
反省しない者は、人も組織も同じ過ちを犯す。私は裁判官となる国民に、この事実を語り続ける。そして、今、検察庁の犯罪行為で有罪とされる仲間とともに、貴方たちを犯罪者として裁ける社会を求めて闘う。
これからも樋渡利秋を頂点とする検察庁を追及する。真実と正義の体言の場であるべき裁判で証拠隠しという犯罪行為を続ける検察庁を追及する。