桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

検察批判第五弾

2008-06-17 | Weblog
我々を有罪とした判決の目撃証人に渡辺クリーニング屋がいる。
彼は、「当夜、配達に行くときに現場家屋前の路上に立っていた桜井と杉山を見た、帰りには100メートル以上手前から背の大きい男(杉山を示す)と背の小さな男(俺、桜井を示す)の二人を見た」と言う。
この渡辺さんの証言は嘘。事実関係はホームページで見て欲しいが、道路を走るバイクのライトに道端に立つ人の顔が入る?バイクに乗った経験があれば判るけど、道端の人の顔はライトの照射範囲に入らない。渡辺は「2メートルくらい手前になったとき、桜井が振り向き、ライトに顔が入って判った」と言う。もっともらしいが、あり得ない。
100メートル手前の現場に行くと、昼でさえも男か女か判らない。それを背の大小も見えたと言うのだから凄い。
渡辺は、テレビ取材に「もし間違っていたらキツネ憑きだ。良くあるんですよ」と笑っていた。弁護団の聴取には「私には霊感がある、でも衰えて、この頃はパチンコの当り台が判らなくなった」などと言ったそうだ。
この渡辺証言を「同人の供述の信用性は極めて高い」と無条件で認めるのが検察意見書だが、かなり苦しい内容だよね。
俺は社会に帰り、この渡辺に何度か会っている。たまたまスナックで会社の同僚と飲み、布川事件を取り上げたTBSの番組ビデオを見ようとしているときに、渡辺が来たことがあった。黙っているのも悪いから挨拶に行ったが、誰か判らないと答えた渡辺で、まあ自己紹介して一緒にビデオを見た。感想を聞けば「実は、俺は見たと言ってないんだよ 」だった。さすがにアタマに来て「ふざけたことを言うな!」と言い、後は相手にしなかった。
この渡辺、俺たちが第一回公判で否認した後、突然に目撃を語り始めた。そこからしてウロンな話だが、二人の将来を考えて言えなかった、良心が許さずに話す気になったとか、格好のいいことを言うんだ。
今度の意見書に
「法廷で証言することをおそれて目撃を言わなかったが、結局証言を決意した。法廷でも請求人両名を恐れる態度が顕著ではあるものの証言した内容は信用性がある」と書かている。
これ、ひどいよね。
赤根検事は40年前、幾つなんだろ。あの公判、知ってるのかな。
公判調書の字面のどこを見て「請求人両名を恐れる態度が顕著」と言うのか、理由を書いて言いなよ。裁判官なら、この程度で懐柔するに充分と甘く見たかも知れないが、渡辺証言の変転、矛盾、沢山ある。その証言の問題性は、俺たちを恐れたからと言いたいのかも知れないが、嘘を言う人はオドオドするもの。言葉が変転するもの。常識だよ。
赤根さんだけじゃなくて、検察官は、皆同じ。我れに有利ならば何でも使う!例え渡辺のような物理的に不可能を言う証人でも。
この第五弾では、渡辺じゃない目撃証人の問題を書くつもりだったが、長くなったので六弾にする。
検察官は不利な証拠を隠す。赤根意見書には、隠された証人がある。なぜなのか、次回に。

弁護団

2008-06-14 | Weblog
布川事件弁護団は、大体実働者が20数名いる。
皆さんが、ほぼ手弁当で活動して下さってる。
最終意見書を提出して、今は決定待ちの一息の時期だと思うだろうけども、実は違う。無実を証す証拠を集めるために活動されている。
今日も捜査幹部が行おうとしたでっち上げを知る人物に面会している。
ここに詳細を記すには行かない現状だが、布川事件は警察に依ってでっち上げられた事件であることが証明される日が来る。
この捜査の実質指揮者だった渡辺氏は、今も水戸市に健在だ。俺は、渡辺さんに会って「 我々を犯人にするためにした調書の改ざん、証拠の隠ぺい含めて、全貌を話して」 と直接に聞きたいと思ってる。多分、弁護団に止められるだろうが、やはり最後はでっち上げを画策した張本人に聞かないと、どんなにでっち上げが判ったところで、俺の気持ちは納得し難い。
さてはて今日の弁護団の調査活動はどんな成果を得ましょうか。

2008-06-14 | Weblog
冤罪を背負った俺の生き方って、常に今、目の前のことしか無かった。将来を見据えて計画したり、行動するなんて、有り得なかった。
仕方なく今、目の前のことだけに全力を尽くして生きて来たけども、振り返って見れば、不思議と悪い結果にはなっていない。
今を大事に生きるのは、人生を満たす大きな力なのかも知れない。
今日晴れ茨城守る会の総会。今日も明るく楽しい1日にしたいね。

2008-06-11 | Weblog
また無差別殺人事件だ。いきなり命を奪われるなんて、本人はもとより、肉親や友人だって堪らない。少し想像力を働かせれば判りそうな気持ちだが、自分だけを見つめる思考しかない状態の人には判らなくなってしまうんだね。
命は一つしかない。代わりはない。生まれ変わりの次の世のと、霊感者とかのテレビ番組では真面目に放送されたりするけど、あり得ないよね。俺は俺、アナタはアナタ。他の誰でもない、その人自身だ。生まれ変わりなんてあり得ない。
命には限りがあって、そして一度限り。その命の儚さ、哀しさゆえ、人はこの世だけではない存在を願い、あの世に望み託して目の前の苦しみから目を逸らして来た。救いを求めて来た。そんな気がする。宗教だよね。生まれ変わりも同じ思考だと思う。
命は一度、オンリーワン。だから、何物にも変えられない尊さがある。
ところが、この社会は一度限り、一つ限りの生命が大切にされない。金が一番で、人が金儲けの道具にされている。社会の歪みは、そから生まれる。派遣業なんて、人を道具にする極み。誰が許したんだ、こんな制度。若者が全うに働いても、まともに生きていけない、生活が出来ない社会なんて狂ってる。
アキバの犯人の思考は、いかに社会に問題があろうと許されない。歪み切ってるが、彼が俺のような体験をしたらば、どうなったろうか。そんなことを考えてる。
無実の罪で29年を獄中で過ごし、生涯を掛けて冤罪と闘うしかなかった俺。何事も他人の責任にして我が身の不遇に憤懣を募らせたと、連日湯水のようにワイドショーで放送される犯人の心理と生い立ち。彼が俺の歳月を知ったらば、どんな言葉を残したろうか。
29年の獄中生活があったからこそ得られた人生観。苦しみに立ち向かい一途に生きて行けば、必ず満ち足りたものを得る、得られる確信。不遇なときほど、自分の中にある才能や力が発揮され、人間として磨かれ、成長する。そして、幸せや喜びは、不遇や不運を感じたときに逃げず、一生懸命に立ち向かって乗り越えたときに得られるものだと、俺は加藤と言う哀れな男に話したかった。
一人の生命が、本当に社会的に大切にされる時代になって欲しいよね。

コンサート

2008-06-09 | Weblog
毎年、今頃に八王子で佐藤光政さんのコンサートがある。長く布川事件を支援して下さる光政さんの歌声を聴くため、出来る限りに行くようにしている。
八王子には、熱い支援者であった大谷さんという方がいた。2年前に病いで他界されたので、それからはコンサートの度に墓前に訪ねることにしている。今年は連れ合いと二人だけだったが、墓地にある植木の剪定をして来た。そして、近いはずの決定を見守ってと祈って来た。
今年は布川関係者が11人。一つのテーブルを仲間だけで囲む気楽さ、毎年、充分に堪能するが、今年も飲んで食べて語って、そして光政さんの心地好い歌声を聴いて、大満足の1日だった。もし冤罪に陥れられなければ、絶対に人生で出会わなかったし、交わらなかったろう人たちとの時間は、何時もながら楽しい。こういう時が有るたび、冤罪に陥れられたことを不幸では無かったと思える。

シンポジウム

2008-06-09 | Weblog
法学者の豊崎先生、志布志事件、引野口事件の関係者を招き、布川弁護団事件のシンポジウムを開いた。
志布志事件と引野口事件は一審で無罪が確定した。41年になる布川とは違うが、何れも警察と検察の非道で理不尽な取り調べによって犯人にされた。
そもそも犯罪など存在しないのに選挙違反を作り上げ、踏み字と言う精神的拷問を行い、しかも、その行為を当然だと裁判で刑事が語った志布志事件。
実家で兄が殺害、放火され、本来なら被害者の立場なのに、誰か(この誰かは判っている)からデタラメな話を聞いて信じ込んだ警察から何ヵ月も自白を迫られながら、それに耐えた引野口事件の片岸みつ子さん。しかも、ご主人は警察の迫害を受けて自殺に追い込まれている。
どの冤罪もひどい話ですが、布川事件は証拠の捏ち上げ、改ざんがなされている上に、検察は、まだ沢山の証拠を隠して、我々の無実を証すことを妨害してます。今度のシンポジウムでは、改めて、こんなことが許される筈は無い!と言う怒りを感じました。

山古志村へ

2008-06-03 | Weblog
全員離村という大被害の爪痕は、もう余り目立たなくなった山古志村に行って来た。山々に見られる土砂崩れ跡に災害の大きさを窺い知るだけの感じだったが、東竹沢木篭地区に残る土砂に埋もれた家々を見たとき、初めて地震の凄まじさを知った。
しかし、四年の月日で完全に復興した村落を見て歩き、自然の破壊力と同じに人の力の大きさも感じた。中山ズイ道を掘り抜いた意志にも触れて来たが、人の力も偉大だ。
今回のバス旅行は水戸映画サークルの仲間たちと、毎年映画にちなんだ土地を訪ねるもの。長岡市の職員が案内をしてくれたが、その方を初め、昼御飯を用意してくれた民宿の方、野菜売りの小母さんや中国大地震の募金を訴えに来た中学生まで、出会った人たちの持っている雰囲気の安らかさと言うか温かさが、とても心に残った。
大災害は不幸だった。でも、そこで知った人様の援助から受ける有り難さと喜び。きっと俺が冤罪に出会って得た有り難さと喜びと同じものを、この山古志村の人が知ったのではないか。故の、この村の人々の雰囲気なのではないかと感じた。
人はどのような人と出会うかで人生が変わる。そして、人との出会いは生き方、行動によって決まる。
何度も腹が痛くなるほどに笑った楽しい旅をして、改めて、こういう皆さんと出会えた自分の冤罪人生を良かったと思えた。