桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

映画を見て

2008-06-23 | Weblog
志布志事件のドキュメンタリー映画を見た。
凄まじい警察の自白強要。検察の無能と言うべき警察追随の自白強要。更に、それらに無批判に力を貸す裁判所の勾留認可。救い難い日本の司法の現実が、事実を基に描かれていた。
でも、俺には不満があった。踏み字という卑劣な自白強要を受けた川畑さんに、高検の検察官が電話をしてきた声の場面があるのだが、この検察官の名前がボカされて判らないのだ。
この検察官は、明らかに川畑さんを強迫してる。自白強要された冤罪被害者を強迫する!こんな検察官がいるから冤罪が作られる。こんな奴は顔もさらし、満天下に知らしめ、犯罪者として裁くべきなのだ。日弁連としては検察庁との摩擦を避けたのだろうが、残念だった。
しかし、この映画は外国にも広めるのだとか。痴漢冤罪を描いた「それでもボクはやってない」でクレージーと言った世界の常識には、これでも充分に日本の遺跡的な司法の実態が理解出来るに違いない。
裏金、ニセ領収書、公金横領に協力しないと出世が出来ない日本警察。若い正義の警察官も歪むよね。
証拠隠し、冤罪被害者強迫、正義の欠けらも無い、似非正義の日本の検察庁。司法試験に受かってるエリート意識は、警察庁の力には勝てない現実に、更に歪むのかも知れないね。
救い難い裁判所は、どう言うべきか!独立性は言われても、現実には検察庁が支配する法務省の受けが良くなければ出世ポストには就けない弱さ。エリートの勉強マンには、どうしても検察庁には逆らえない。求めるままの勾留認可になるのかもね。
来年は俺も国連へ行き、この後進国を訴えて来たい。そう思った夜だ。

またまた検察意見書批判

2008-06-23 | Weblog
検察意見書を覚えるくらいに読んでやろうと見ているが、自白が正しいウンヌンと、そんなことにばかり書いている内容を再認識して、また書きたいことが出来た。
意見書に
「捜査官の強制、誘導で虚偽の自白をしたと主張するが、死体検案書に「絞痕あり」と記載されていることからすると、警察官が、あえてこの記載に反する「扼頸」の自白をするように誘導したり、強要したりするはずがないのであって、主張の内容自体から失当である」
と書かれた部分がある。
一見、正当に見えるが、所詮は検察官の主張。我田引水、残念ながら、この主張こそ、失当だね。
そう言うのならば、、なぜ「絞痕あり」の検案書に反する自白を、取調べ官は調書に綴り続けたのか、なぜ死体検案書を知る捜査指揮者が「扼殺した」の調書のままに許したのかが問題だろう。
捜査指揮者の渡辺忠治は、40年余り前の公判で「資料に基づいて指揮、捜査した」旨を証言している。早瀬も「指揮されて調べた」と言っている。
つまり、屍体の腐敗、膨隆状態を見た捜査官が、首に巻かれたパンツが回らないのも見て、「これはパンツで絞められない」と誤解したために「手で首を締めた」と言わせたことは明白だろう。事件現場の説明など、布川事件の自白にある数多の変転を見れば、初めは間違い、それを誘導して資料に合う自白にして行ったことも明らかで、この扼殺は捜査指揮者が誤解したからこそ、手で扼したと言う自白のままに最後まで通させた。誰にでも判ること。判らないのは検察官だけじゃないのか。
名張事件で毒物が違うという殺人事件では致命的な欠陥を無視して「逮捕前の自白だから正しい」として再審開始決定を取り消した門野博裁判長の、その思考に頼り、自白を過大に書けば逆転してくれるとでも思ってるのかも知れないが、せめて弁護団の意見書なみに正確に論述して欲しいものだ。
読む度に検察官意見書の瑕疵、欠陥が判り、本当に質の悪い最後意見書だと思う。科学的事実を越えた自白など、有り様が無い。言葉は嘘を言うが、科学的事実は嘘を付かない。
検察官、フェアーに行こうよ、フェアーに!

志布志事件

2008-06-23 | Weblog
志布志選挙違反事件、余程世俗に疎くなければ知っていると思う。
この事件は、布川事件のように、実際にあった事件ではないところが異質だろう。大体の冤罪は、何か事件があり、その犯人を誤解や偏見、思い込みと言った警察官特有の猜疑心によって強引に自白を迫ることによって作られる。しかし、志布志事件は、警察が枯れ尾花に幽霊を見てしまい、有りもしない犯罪を作り上げてしまったのだから、度しがたい。しかも、その捜査が反省もなされず、でっち上げだ鹿児島県警が、一時は表彰までされ、世間の批判で取り消された経過を思うと、最早警察庁は救いがたい。
その志布志選挙違反事件をドキュメンタリー映画に作り、今日、午後6時から日弁連のクレオで完成試写会とパネルディスカッションがある。
なぜ冤罪は作られるのか、今日の会に参加して、我が思いを語ってくるつもりだ。