桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

2008-06-11 | Weblog
また無差別殺人事件だ。いきなり命を奪われるなんて、本人はもとより、肉親や友人だって堪らない。少し想像力を働かせれば判りそうな気持ちだが、自分だけを見つめる思考しかない状態の人には判らなくなってしまうんだね。
命は一つしかない。代わりはない。生まれ変わりの次の世のと、霊感者とかのテレビ番組では真面目に放送されたりするけど、あり得ないよね。俺は俺、アナタはアナタ。他の誰でもない、その人自身だ。生まれ変わりなんてあり得ない。
命には限りがあって、そして一度限り。その命の儚さ、哀しさゆえ、人はこの世だけではない存在を願い、あの世に望み託して目の前の苦しみから目を逸らして来た。救いを求めて来た。そんな気がする。宗教だよね。生まれ変わりも同じ思考だと思う。
命は一度、オンリーワン。だから、何物にも変えられない尊さがある。
ところが、この社会は一度限り、一つ限りの生命が大切にされない。金が一番で、人が金儲けの道具にされている。社会の歪みは、そから生まれる。派遣業なんて、人を道具にする極み。誰が許したんだ、こんな制度。若者が全うに働いても、まともに生きていけない、生活が出来ない社会なんて狂ってる。
アキバの犯人の思考は、いかに社会に問題があろうと許されない。歪み切ってるが、彼が俺のような体験をしたらば、どうなったろうか。そんなことを考えてる。
無実の罪で29年を獄中で過ごし、生涯を掛けて冤罪と闘うしかなかった俺。何事も他人の責任にして我が身の不遇に憤懣を募らせたと、連日湯水のようにワイドショーで放送される犯人の心理と生い立ち。彼が俺の歳月を知ったらば、どんな言葉を残したろうか。
29年の獄中生活があったからこそ得られた人生観。苦しみに立ち向かい一途に生きて行けば、必ず満ち足りたものを得る、得られる確信。不遇なときほど、自分の中にある才能や力が発揮され、人間として磨かれ、成長する。そして、幸せや喜びは、不遇や不運を感じたときに逃げず、一生懸命に立ち向かって乗り越えたときに得られるものだと、俺は加藤と言う哀れな男に話したかった。
一人の生命が、本当に社会的に大切にされる時代になって欲しいよね。