桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

何があっても

2012-01-18 | Weblog
生きていれば、そう楽なことばかりはない。嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、沢山ある。でも、どんな苦悩に出会っても、ただ苦悩ばかりがあるものでもない。どんな出来事があっても、それは一面的ではないのだ。
俺は、沢山の冤罪者と付き合っているが、無実の罪という耐え難い苦しみを体験しても、そこには喜びがあると知る俺は、悪いことばかりはないし、毎日を頑張れば良いことがあると励ます。冤罪の苦しみには、それを助けてくれる善意の人があって、その無条件に信じられる人たちの誠に触れられることが、まず人として喜びを味わえる。
この世に生きて無条件に信じられる人たちが自分の周りにいることは、何よりの幸せだと思っているが、それが判らない冤罪者もいる。
人様から頂いた支援を忘れて、ひたすらに自分の味わった苦痛しか感じない冤罪者の言葉は、本当に悲しい。自分の受ける苦には敏感で、自分の与える苦には鈍感な人間がいて、実にお気楽に生きているのを知っているが、ただただ冤罪を苦しみだと語り、失った痛みしかなかったと訴える言葉を聞いて、体験の一面しか感じられないらしい仲間の明日は、どんなことがあるのかと気が重くなった。
冤罪は大変だが、決して百%の苦痛ではない。そこにあるはずの1%でも2%でもの喜びや幸せを感じられれば、生き方も人生も変わるだろうに、判らない人には判らないのかも知れない。

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