桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

林真琴

2023-01-17 | Weblog
昨日の東京新聞に刑務所での受刑者暴行事件を受けて、前回の監獄法改正などに関わったとして林真琴を取材した記事と、林真琴自身の言葉が掲載されていた。
監獄法改正を社会に開かれた刑務所とか言ってるけど、受刑者を暴行して殺した看守への社会的な批判が収まったらば、すぐに開かれた門は閉ざしたろうが。
知らなかったとでも言うのだろうか、この男は。呑気なモノだね、検事総長になるような連中は。
今回の事件は、前回とは違って懲役刑から教育刑に理念が変わる過程のモノだとか言うけど、検事総長を辞めても判らないんだね。
今回、事件を起こしたのは若い看守だと言うが、その若い連中が暴行しても許されるような雰囲気が刑務所にあればこそ、やったと判らないらしい。
林真琴も言っているが、受刑者も社会に帰る。そのときに社会人として、再び犯罪を犯さない人になって貰うために刑務所はある。もちろん、犯した罪への罰としての受刑でもあるのだが、それは人生の時を奪うことだけであって、それ以上に痛みや辛さを体感させることではない。
しかし、日本の刑務所は人生の時を奪うと共に身体的、精神的な苦痛を味合わせることで「もう2度と入りたくない」と思わせることが刑務所であり、矯正であるかのような存在だった。
だからこそ、人間として当然に許されるべき人権としての面会や手紙など自由を奪い、社会との接触を遮断して来たのだ。
林真琴先生が尽力した監獄法改正らしいが、冤罪仲間に面会に行っても、すぐに許可されませんと言われるようになったときに、俺は、また刑務所は元に戻るだろうと判ったよね。
なぜ、刑務所は、こうなのか?
それは可罰意欲に支配される検察庁の意識で運営されるからだ。どのような理念や法律を制定しても、それを曲解する能力に長けた検察であり、官庁だからね。教育刑の実現などは夢の、また夢だろう。
罪を憎んで人を憎まず、まずは受刑者に人間的な自由と人権を保証して、真に刑務所を社会的に開放しない限りは、林真琴先生の世迷言が実現する道は厳しいだろう。
しかし、こんなのでも検事総長は務まるんだねぇ、駒、歯車。日本は組織のトップでさえも存在が軽いよなあ。

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