今日の読売新聞は、政治部芳村健次名で都議選大敗北の自民党政権に付いて「慢心 長期政権に暗雲」とする解説記事を掲載した。
その中身を見ると、それを助長したのは読売新聞自身であって、読売新聞自身の存在に暗雲なのではないかと思った。
「国会を軽視し、多くの疑惑に付いて説明責任を十分に果たしているとは言い難い」と書くが、その国会軽視を許し、説明責任を看過して擁護したのは読売新聞などの安倍晋三御用達マスコミではなかったのか。
なおも安倍晋三政権を望むらしい記事は「首相は4年半で経済の立て直しに力を入れ、外交で一定の成果を上げた」と書くが、アベノミクスとかの経済立て直し策は、結局、幻で終焉する見込みを、読売新聞は理解出来ないのか。
すでに税収実績では1兆円からの税収不足が明らかになったはずだが、国の税収見通しの誤りとは経済状況の悪化ではないのか。
読売新聞と同じ安倍晋三組に属する日銀総裁は、経済にジャブジャブと金を注ぎ込んで 表面的な好況を作り上げはした。お蔭で大企業は4百兆円を超える内部留保を増やした。大企業の1社である読売グループも、さぞやアベノミクスの恩恵に預かっただろう。しかし、多くの国民には無縁の経済政策だ。やがて国民は莫大な借金を背負うことにならないだろうか。
一定の外交成果とは、なんだ?
ひたすらにアメリカに追随、追従するだけの奴隷外交ではないのか。
この日本国は、今を生きる人たちだけにある存在ではなかろう。我々の知らない百年後、2百年後を生きる人たちのものでもある。国家百年、2百年を考えることも政治であり、マスコミの存在価値ではないのか。
あの前川前文科省事務次官の私的行為を官邸リークで報じた読売新聞には、どのような抗議が届き、どのような反省がなされたのかは知らないが、1度離れた人心は戻らない。安倍晋三首相が行って来た国会軽視と悪法作りに対する人心の怒りは、もはや戻りようなないのだ。
安倍晋三首相は共謀罪を強行突破で成立させたとき、「どうせ時間が過ぎれば国民は忘れてしまう」と嘯いた。今までもそうだったと語ったはずだ。読売新聞には安倍晋三の側に遣える茶坊主記者がいるはずだから、その御用人が聞いているだろう。
果たして、そうか?
社説には「自民党支持層の5割しか投票しなかった」とする分析もあったが、投票しなかった5割が、次の選挙で戻ると思うならば、それは誤りだろう。
安倍晋三首相と、その御用達マスコミが行った国民軽視と国会軽視の暴挙は、もはや自民党支持層をも切り離したのだ。俺が50年以上も愛読した読売新聞に、永久に別れを決断したようにだ。
安倍晋三政権や自民党政権を維持しようとすれば、先に成立させた共謀罪を使った国民弾圧を行うしかないだろうが、それも国民の反発を招いて自民党崩壊、読売新聞解体の歴史を早めることだろう。
もはや手遅れだ。安倍晋三政権が何をしようが、読売新聞が如何様な安倍擁護、あるいは見せ掛けの批判記事を連ねたとて、それは国民の嘲笑となり、ますます反安倍晋三、反自民党の力を生み出すだろう。
果たして、この俺の見通しが正しいのか、読売新聞の見せ掛けの安倍晋三政権批判が功を奏するか、この先を見ているがいい。
その中身を見ると、それを助長したのは読売新聞自身であって、読売新聞自身の存在に暗雲なのではないかと思った。
「国会を軽視し、多くの疑惑に付いて説明責任を十分に果たしているとは言い難い」と書くが、その国会軽視を許し、説明責任を看過して擁護したのは読売新聞などの安倍晋三御用達マスコミではなかったのか。
なおも安倍晋三政権を望むらしい記事は「首相は4年半で経済の立て直しに力を入れ、外交で一定の成果を上げた」と書くが、アベノミクスとかの経済立て直し策は、結局、幻で終焉する見込みを、読売新聞は理解出来ないのか。
すでに税収実績では1兆円からの税収不足が明らかになったはずだが、国の税収見通しの誤りとは経済状況の悪化ではないのか。
読売新聞と同じ安倍晋三組に属する日銀総裁は、経済にジャブジャブと金を注ぎ込んで 表面的な好況を作り上げはした。お蔭で大企業は4百兆円を超える内部留保を増やした。大企業の1社である読売グループも、さぞやアベノミクスの恩恵に預かっただろう。しかし、多くの国民には無縁の経済政策だ。やがて国民は莫大な借金を背負うことにならないだろうか。
一定の外交成果とは、なんだ?
ひたすらにアメリカに追随、追従するだけの奴隷外交ではないのか。
この日本国は、今を生きる人たちだけにある存在ではなかろう。我々の知らない百年後、2百年後を生きる人たちのものでもある。国家百年、2百年を考えることも政治であり、マスコミの存在価値ではないのか。
あの前川前文科省事務次官の私的行為を官邸リークで報じた読売新聞には、どのような抗議が届き、どのような反省がなされたのかは知らないが、1度離れた人心は戻らない。安倍晋三首相が行って来た国会軽視と悪法作りに対する人心の怒りは、もはや戻りようなないのだ。
安倍晋三首相は共謀罪を強行突破で成立させたとき、「どうせ時間が過ぎれば国民は忘れてしまう」と嘯いた。今までもそうだったと語ったはずだ。読売新聞には安倍晋三の側に遣える茶坊主記者がいるはずだから、その御用人が聞いているだろう。
果たして、そうか?
社説には「自民党支持層の5割しか投票しなかった」とする分析もあったが、投票しなかった5割が、次の選挙で戻ると思うならば、それは誤りだろう。
安倍晋三首相と、その御用達マスコミが行った国民軽視と国会軽視の暴挙は、もはや自民党支持層をも切り離したのだ。俺が50年以上も愛読した読売新聞に、永久に別れを決断したようにだ。
安倍晋三政権や自民党政権を維持しようとすれば、先に成立させた共謀罪を使った国民弾圧を行うしかないだろうが、それも国民の反発を招いて自民党崩壊、読売新聞解体の歴史を早めることだろう。
もはや手遅れだ。安倍晋三政権が何をしようが、読売新聞が如何様な安倍擁護、あるいは見せ掛けの批判記事を連ねたとて、それは国民の嘲笑となり、ますます反安倍晋三、反自民党の力を生み出すだろう。
果たして、この俺の見通しが正しいのか、読売新聞の見せ掛けの安倍晋三政権批判が功を奏するか、この先を見ているがいい。
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