桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

大和魂❓️武士道❓️

2020-08-02 | Weblog
日本人の躰には大和魂が宿るとか、武士道精神が存在するとか、日本民族の素晴らしさを耳障りの良い言葉で語る輩がいるけど、はあ❓️だよね。
そんな絵空事みたいな魂やら精神が、どこにあるっての❓️
総理大臣が公然と嘘を語ると、それに追従する官僚やら自民党、公明党の政治家たち。更に警察や検察、マスコミも含めて、みな嘘に目を反らしているのが今の日本てはないのか。どこに大和魂や武士道精神の清廉があると言うのだ。
そんな言葉は、何時も何時も権力を握った連中が国民、市民の命を玩ぶときに使うんじゃないの。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)に冒されて身体の自由を失った女性の死にたい思いに手を貸して殺した医師2名が逮捕された事件で、かの石原慎太郎は「その行為は武士道の介錯にあたる美徳精神。裁判になったら証人になりたい」と抜かしたらしいが、都知事時代の過ちである豊洲市場問題で裁判に呼び出された石原慎太郎さんは「平仮名も読めなくなった」と耄碌を自認して責任逃れをしたのではなかったか❓️耄碌爺さんの出る幕かねぇ。
逮捕された医師2名は「老人を枯らす」とかホザク優成主義者だ。
社会の役に立たない人は生きる価値がないと思う思考は、確か石原先生も「胃ろうになって生きる意味があるのか」とか、「子供を産めなくなったババアに生きてる価値はない」とか語って詫びた過去があるけども、そもそも生きる価値と何なのだ。そこが、この意思や石原慎太郎は判っていないのではないのだろか。
人間は独りでは生きられない。人間同士が繋がり、支え合って生きている。誰もが誰かの生きる力や支えになって存在しているということ だ。
この医師や石原慎太郎、それに相模原事件の植松などは「役に立たない人間は生きてる価値がない」と思うのだろうが、人間の生きる意味や価値は生産性や金儲けなどにあるのではなくて、誰かの生きる支えになっているか、なっていないかにあると、俺は思っている。
活発に生きていたのに筋萎縮の病で身動きならなくなり、死にたいと考えた女性の哀しみと絶望は、さぞやであったのだろうが、それても彼女が生きていることを喜びとし、感謝としていた家族がいたのだ。彼女は、充分に生きる価値ある存在だった。
本来の医師ならば、そして政治家ならば、彼女に自分の生きているべき価値と意味を教え、導き、更に生きるための助力をすることこそ、成すべき使命だったろう。
殺して、何が武士道だ、笑わせるな。
確かに、俺も自分の冤罪との闘いの中知った人には、この人こそ大和魂の人だ、武士道精神を持つ人だと思う方はいる。だが、人の価値を生産性や金儲けだけにしか見られない、かの2名の医師や石原慎太郎ごときが大和魂や武士道を語るのはおこがましいと腹が立つよ。
耄碌した石原慎太郎など、生きてる意味があるのか❓️枯らしてしまえ❗️と、かの医師2名は思っているだろうにさ、裁判で証人になるなんて言って、ホントにボケてるよな、石原慎太郎も。
俺は耄碌爺さんは死ねなんて思いもしないから誤解なきように。
耄碌爺さんにも愛する家族がいて、きっも長生きして欲しいと願っているだろうからね。

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1 コメント

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Unknown (narufg)
2020-09-17 18:34:40
人は、生きているのではなく、生かされているんだと、僕は思います。
聖書にも「裁いてはならない。」と書いてあります。上手い事を言うと、僕は思います。
人が独りよがりな自分の価値観で、他人を評価するから「人の生きる価値」なんて概念が発生するのだと、僕は思います。
「生きる価値」でなくて、「生きている事に価値が有る。」と僕は思います。

また、万能で無い人間が、浅知恵で他人を裁こうとするから冤罪が起こるのだと、僕は思います。
人間は、万能で無いから、誤ちを起こします。だから、誤ちに気づいたら過ちを認め、過ちを正すことが大事な事だと僕は思います。

でも、これが難しいです。
僕も、なかなか出来ません。
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