先月の同窓会のとき、初恋の彼女が、別れ際に元裁判官、原田國男氏の「裁判官の非情と人情」と題する本を手渡してくれた。
原田國男裁判官、俺もお名前は知っていた。木谷明先生と同じに無罪判決を、かなり出している裁判官と聞いてもいたが、俺には腹の立つ経験をした裁判官だった。
だから、その書籍は、初恋の人から渡されていなければ読まなかっただろう。
原田國男氏の裁判官体験からの色々が詰まった書籍は、かなり面白かった。裁判官社会の内幕も、原田氏なりに書いているし、そうなっているのか、と判らせて貰えた。
ただ、原田國男氏は、やはり裁判官社会の権威に従っている人だとも判った。
最高裁調査官体験を書いている中で最高裁裁判官の「御審議」だとか、「お尋ね」だとか書く、その言葉の大仰さには、独立国家した裁判官同士だろうにとウンザリする思いになったからだ。自分の会社の想い出を書く人が、そんな言葉使いはしないだろう。原田國男氏の心が見える文章だった。
原田國男氏が、冤罪を防ぐために必要だと書かれている証拠開示問題などは、ゆえに逆転無罪判決を何度も書かれている人なのだと判ったが、判っていないなぁ!と思わされる記述もある。
「我が国の刑訴法学者の多くは、冤罪不存在論か冤罪不可避論に立ち、冤罪問題について、実に冷淡である」と書くが、原田氏が嘆く冤罪問題対する日本社会の現実には同感でも、刑訴法学者の多くが冤罪問題に冷淡であるとは思わない。法制審議会など、警察や検察の代弁者として発言する刑訴法学者連中が冷淡であり、無知なのだ。
この認識の違いは、多分、俺が日常的に出会って知る刑訴法学者と、原田氏が立場的に出会っている刑訴法学者の違いゆえに生まれる認識の違いなのかも知れない。
ところで、この原田國男氏の書かれた書籍には、冤罪事件として布川事件は書かれていない。
あれは韓国人の張さんに関わる冤罪事件だったが、原田裁判長は控訴棄却。有罪維持の判決を下した。彼の冤罪は、体験した俺には明白だ。腹が立つた俺は、判決言い渡し後も裁判官席に座り続ける原田國男氏に言った、「大体、人相が悪すぎるよ、良く自分の顔を見てみなよ」と。
その意趣返しなのかもし知れないが、原田氏の書籍に冤罪事件と書かれているのは、氷見事件、足利事件、東電OL殺人事件だけだ。
逆転無罪判決を多く書いた原田氏には、検査や法務省連中と同じに布川事件は冤罪とは認めて貰えないようだ。
いやはや。
原田國男裁判官、俺もお名前は知っていた。木谷明先生と同じに無罪判決を、かなり出している裁判官と聞いてもいたが、俺には腹の立つ経験をした裁判官だった。
だから、その書籍は、初恋の人から渡されていなければ読まなかっただろう。
原田國男氏の裁判官体験からの色々が詰まった書籍は、かなり面白かった。裁判官社会の内幕も、原田氏なりに書いているし、そうなっているのか、と判らせて貰えた。
ただ、原田國男氏は、やはり裁判官社会の権威に従っている人だとも判った。
最高裁調査官体験を書いている中で最高裁裁判官の「御審議」だとか、「お尋ね」だとか書く、その言葉の大仰さには、独立国家した裁判官同士だろうにとウンザリする思いになったからだ。自分の会社の想い出を書く人が、そんな言葉使いはしないだろう。原田國男氏の心が見える文章だった。
原田國男氏が、冤罪を防ぐために必要だと書かれている証拠開示問題などは、ゆえに逆転無罪判決を何度も書かれている人なのだと判ったが、判っていないなぁ!と思わされる記述もある。
「我が国の刑訴法学者の多くは、冤罪不存在論か冤罪不可避論に立ち、冤罪問題について、実に冷淡である」と書くが、原田氏が嘆く冤罪問題対する日本社会の現実には同感でも、刑訴法学者の多くが冤罪問題に冷淡であるとは思わない。法制審議会など、警察や検察の代弁者として発言する刑訴法学者連中が冷淡であり、無知なのだ。
この認識の違いは、多分、俺が日常的に出会って知る刑訴法学者と、原田氏が立場的に出会っている刑訴法学者の違いゆえに生まれる認識の違いなのかも知れない。
ところで、この原田國男氏の書かれた書籍には、冤罪事件として布川事件は書かれていない。
あれは韓国人の張さんに関わる冤罪事件だったが、原田裁判長は控訴棄却。有罪維持の判決を下した。彼の冤罪は、体験した俺には明白だ。腹が立つた俺は、判決言い渡し後も裁判官席に座り続ける原田國男氏に言った、「大体、人相が悪すぎるよ、良く自分の顔を見てみなよ」と。
その意趣返しなのかもし知れないが、原田氏の書籍に冤罪事件と書かれているのは、氷見事件、足利事件、東電OL殺人事件だけだ。
逆転無罪判決を多く書いた原田氏には、検査や法務省連中と同じに布川事件は冤罪とは認めて貰えないようだ。
いやはや。
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