桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

何度でも言う!

2014-09-25 | Weblog

全国で闘われている冤罪の裁判で、必ず検察の語る決まり文句がある。「検察には証拠を開示する法律的な義務はない」という主張だ。

この腐れどもには道理が判らない。

俺の国賠裁判で、国から「第7準備書面」と「第8準備書面」が出て来て、またあれこれと詭弁を弄して無責任を書いているのだが、読んでいると気分が悪くなる。白を黒と言い包める言葉ばかりで、正義とか真実を考えていると、本当に身の置き所が困るような困惑を感じる。このような連中に正義を求めている日本の危うさを考えさせられて息苦しい思いになってしまう。

「(布川事件の原審裁判や再審請求時、その以降も)「検察官には、弁護人からの証拠開示請求に対応する職務上の義務はなく、検察官(自身の)請求証拠でない証拠を開示しなかったからといって国賠法上の違法とはならない」というのだ。

だから冤罪が生まれる。検察官の証拠隠しで冤罪が作られてきた。そして、だからこそ、今でも冤罪に苦しむ人がいるのだ。

検察官に証拠を独占させる法律こそ間違っている。刑訴法上、その開示義務はないと言うが、そもそも正義の体現、真実の究明を義務とする検察官であるのだから、我々国民と、その法律は「検察官が証拠を隠す」ことを想定していない。その刑訴法の条文は、検察官が誠実に証拠を保管して、公正に取り扱うことを前提にしているのではないのか。だから、「証拠開示義務」などを付けなかったのではないのか。

誰が考えても、検察官が警察の捜査で収集された証拠を独占的に所持し、弁護人の求める開示に応えないことは不公平だと判るだろうに、この腐れ組織人には理解できないらしい。

警察の作った偽造書面である「昭和42年10月29日付け捜査報告書」(俺のアリバイ主張日を書いた書面)などを引用して、「ゆえに不正ではない。弁護側の主張には理由がない」などとある弁解書面を見ていると、改めて検察庁という組織にいる人間の異常さを感じるばかりだ。

この検察の主張のままを受け入れるならば、俺は10月20日にアリバイを主張して、その後、数日間は否認していたことになる。でも、翌10月21日には「犯行自白調書」でが存在しているのだから、突然に「10月20日アリバイ主張」という中味の、この書面の異様さこそ、警察の工作書面として問題なのだ。

ただひたすらに都合の良いところを都合良く引用した「準備書面」なのだが、このようなばかりを読んでいると、こちらの正常な感覚もおかしくなってしまう。

若い正義感から検察を目指したのだろうに、法務省に転勤して、無駄な時間と金を使って検察庁の無責任を書いている気持は、どうなのだろうね。「国家に難癖をつける輩から、俺が国家の正義を守っている!」とでも思っておるのかな。腐れ切ってるものね、精神が。


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1 コメント

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検察の思考論理、日本人の人権意識、世間の関心 (Tri)
2014-10-01 04:03:04
検察にとっては有罪を勝ち取ることこそが正義で、そのためには法律で許されている範囲ならどんなことでも躊躇せず実行するのでしょう。

建前では人権を尊重しなければならないが、本音では自分たちの組織の利益しか頭に無いのか彼らです。

検察に証拠独占を戦後から今まで70年以上許している事実が、我々日本人の人権意識の無さを表していると思います。

あの法制審議会は残念な結果で終わりましたが、そうなった原因は法制審のメンバー構成だけでなく、まだ国民の総意として今の司法制度を変えなくてはいけないという意識が十分では無いというのも大きいと思います。

この5~6年で足利事件や村木さんの事件など、社会問題になる位に大きな冤罪事件と報道があったから一応改革しなければならないという空気にはなったものの、根本的な改革に至らなかったのは世間の関心が希薄だったからではないでしょうか。

冤罪問題と比べると、割りと最近(2~3年前)の事案ですが、クラブの風営法摘発が話題になって社会的関心が集まり多くの人の尽力でようやく次の通常国会あたりでクラブを風営法のくくりから外す様です。法律を変えるのはかなり大変で、特に風営法がらみは警察が抵抗するので私としては少なくとも5年くらい時間がかかるのでは無いかなと思ってたら、思いの他早く結果が出そうで驚きました。

対して冤罪問題はもう何十年も前から騒がれているにも関わらず、ようやく裁判員裁判限定で可視化を実施するのが精一杯です。

まあ、冤罪問題(司法制度改革)とクラブの風営法の問題を単純に同じく議論はできませんが、とはいえ問題が起こってから結果が出るまでこうもかかる時間に差が出るのは、世間の関心の差が大きいのではと思うのです。
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